第52話 忍び寄る毒蛇。

「第一、的に当てようにも玉が見えない・・・・・・じゃない?」

「そうなんですよ。空気の中を飛ぶ気体が真っ直ぐ飛んでいるかどうか、目には見えないんです・・・・・・・・・・


 じゃあ駄目じゃないと言おうとしたエリスを、ステファノは遮って言う。


「だから、見えるようにした・・・・・・・・んですよ」


 まただ。また新しいなぞなぞだ。ソフィアは目の前の空中に、幾重にも折れ曲がった階段が際限なく続いて行く幻を見た。


「どうやったのよ……?」


 悔しそうにエリスが聞いた。


「雲に乗る蝶」


 嬉しそうにステファノが言う。


「何よそれ? 全然わからないわ」


 ソフィアはエリスの正直が羨ましい。自分も全然わからないわと言いたかった。


「風は目に見えないけど、雲の動きでわかるでしょ? それに蝶を乗せれば、目的の花まで運ぶことが出来る」

「雲を作ったの?」

「いや。もっと単純に、煙を毒気に巻き込んだ・・・・・・・・・・んです」


 魔術師の足元から蛇のように鎌首をもたげ、館に向かって進んで来る煙。正に獲物に忍び寄る毒蛇であった。


「納品が終われば誰も通らなくなる道です。煙を見た人はいません」


 仮に人が通ったとしても、余程注意しなければ気づかないであろう。地上3メートルに細く伸びる煙など。


「風が……風が吹いたら飛ばされるじゃない!」


 意地になってエリスが否定する。だが、その指摘はもっともだ。


「うん。そしたらやり直します。風がやむのを待ってもう一度」


 考えたくない。風止みをしつこく待ち、毒煙を送り込む魔術師の姿。胸がむかつく妄執ではないか。


「1日では無理かもしれない。何日も粘ったのかもしれない」


 もう止めてくれ。顔が、死神の顔が目に浮かんで来る。


「換気口から煙を送り込めれば、仕事は完了です」


 仕事? 人の命を絶つ魔術が? それが人間の仕事だと言うのか?


「食肉貯蔵庫はこの仕事にお誂え向きなんです」


 いっそ嬉しそうにそう言って、ステファノは己の異常に気づいたのだろう。苦虫を噛み潰したような顔になった。


「すみません。殺し屋の考えに同調・・・・・・・・・しすぎました」


 ステファノは、ぱんと両手で自分の顔を張った。


「エリスさん、食肉貯蔵庫と野菜倉庫の違いはどこにあると思います?」

「えっ? ええと、場所が違うでしょ? 大きさが違う。それから温度が違う」


 急に話を振られたエリスだったが、真面目に質問に答えた。根の素直さが滲み出ている。


「うん。そうですね。気体を冷やすと液体に戻るんです。春の朝靄あさもやのように」


 止めて。そんな美しい物に例えないで。ソフィアの心は悲鳴を上げていた。


「冷えた貯蔵庫に進入した毒は細かい霧のようになって、食肉に降り注ぐ。狭い貯蔵庫に充満してね」


 常温で広い空間を持つ野菜倉庫では、毒が食材に取りつく確率が低いのだ。


「初めてじゃない。犯人は何度も貴族か金持ちを毒殺しているに違いない」


 毒の使い方を知り尽くしていなければ、こんなやり方に辿りつくはずがない。そうステファノは言った。


「わたしも肉を食べてるわ……」


 奉公人の食事にも貯蔵庫の肉が使われる。彼らが死ななかったのは、単なる偶然であった。


「殿下に一番先に・・・・料理をお出ししたから、殿下がお倒れになった……」


 ソフィアは胸のむかつきを覚えて、ハンカチで口を押えた。


 ジュリアーノ王子が倒れたのは月曜の昼。その朝仕入れたばかりの肉を使った最初の食事であった。

 直ちに食材は調べられ、毒が見つかった肉はもちろん、すべての食材が廃棄された。


「発見が遅かったら、何人死んだかわかりません」


 ステファノは言った。


「王子が行儀の良い方で助かりました」


 王族はがつがつと食事を執ったりしない。威厳や作法を守る以前に、毒殺への備えとして幼い頃からしつけられるのだ。

 少しずつ食べれば毒の摂取量も少しずつになる。王子は早い段階で異変に気づくことができた。

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