第44話 尻がむずむずして落ち着かない。

「草には毒とも薬とも書いてない」というサルコの言葉は、深い意味を持ってステファノの胸に刺さった。


 人も同じ。生まれた時は善も悪もない。皆、乳を欲しがる赤子である。

 それがいつからか、悪人と呼ばれる者と善人と呼ばれる者に分かれてしまう。毒と薬、悪と善を決めるのは誰か?


「お前はそんなに賢いのか?」と血濡れた拳を突きつけられる思いがして、その夜ステファノは何度も目を覚ました。


 翌朝、食事が終わるとステファノはネルソンに呼ばれた。

 ジュリアーノ殿下の館に赴くのは、ネルソン、マルチェル、ステファノの3人である。ネルソンにとっては2日続けての訪問となる。


「殿下の経過は良好だ。昨日処方した解毒剤は早速効き目を現した」


 ネルソンが追加調合した解毒剤を小箱に納め、ステファノは背嚢に入れた。


「お前の考えた封印を、全ての小瓶に施してある。後は渡した各人に印を入れてもらうだけになっている」

「はい」


 3分の1の救命策。解毒剤これを使うようでは本来「負け」なのだ。

 だが、備えない訳にはいかない。


「悔しいが、3本の解毒剤が私にできる精一杯だ」


 声音は静かだが、ネルソンの言葉には身を切る自責が滲む。1本の薬で王子を守れない力不足を悔やんでいた。


「3分の1は殿下の天運を頼む。残りの3分の1は私の眼力だ」


 ステファノを見出した自分の目を信じる。それはステファノがしくじれば自分が責めを負うという覚悟でもあった。


「お前は自分の仕事をすればよい。なあ、飯屋のせがれ。人の料理に毒を盛るなど、許せることではあるまい?」


 その意思を示しておいて、ネルソンは冗談にする余裕を見せた。


 どれだけ「見通す目」を持っていようと、ステファノは17歳の少年なのだ。重荷は大人が背負うべき物である。


「うちの親父なら、そんな奴はボコボコにしてますね」


 ならばとステファノも笑ってみせる。内心に不安があろうと自分を信じ、仕事を全うして見せよう。


「よく考えたら、いつもの仕事と変わりませんわ。美味くて安全な物を客に食わせる。ちょっと客が上等なだけです」

「いつか、お前の親父が作る料理を食してみたいものだな」


 やがて3人は古い館に到着した。中心街から離れて、北側を森に囲まれている静かな佇まいであった。


「ここは私の別宅だ。呪タウン滞在中の宿として使って頂いている」


 人の耳は無かったが、ネルソンは「王子」という言葉を避けて語った。


 館の門には鉄柵でできた扉が聳えていた。砦のような頑丈さはないが、かといって簡単に乗り越えられる高さではない。

 門は衛兵に守られていた。


「警備ご苦労。この通り、マルチェルと共に新しい側仕えを同道して来た。開門してくれ」

「伺っております。只今」


 衛兵は槍を置いて鉄扉を引き開けた。


 50メートルほどのアプローチの先に建物の入り口があった。既に開け放たれた扉の前に、中年の女性が立っている。


「ソフィア様、お出迎え恐れ入ります」

「連日の訪問、痛み入ります」


 ネルソンは兄妹としてではなく、貴族と平民の立場で挨拶を交わした。


「そちらがステファノですか。奥に参りましょう」


 ソフィアの陰に控えていたメイドが先導する形で、一行は奥の一室に移動した。

 奥のソファにソフィアが座り、ステファノはその正面に座らされた。両者の中間、横向きのソファにネルソンが座り、マルチェルはその後ろに立つ。


 本来ステファノも従者として後ろに控えていなければならない身分であったが、それでは話ができないと無理やり席につかされた。さすがのステファノも、尻がむずむずして落ちつかない。


「ステファノと申します。田舎町サン・クラーレで食堂の下働きをしておりました。縁あってネルソン様に拾って頂き、こちらのお手伝いをさせて頂くことになりました。お見知りおきを」


 床に跪き、マルチェルに教わった口上を述べる。お貴族様に口を利くなど初めてのことだった。

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