ウォーターサーバーの怪⑦


「……いやあ、わざわざ悪かったなあ、二人とも」


 檜木は病院のベッドで、能天気に笑っていた。病室の白い明るい所で見ると、彼の顔はずいぶんとやつれて見えた。 

「本当だよ、散々な目にあった」

 桜井はため息をついて、でも助かって良かった、と笑った。幸い、感電はしたものの桜井は軽傷で済んだ。

 檜木も僕も桜井も、気がついたら病院にいた。僕と桜井はすぐ退院できたが、檜木は二、三日、入院を余儀なくされた。

「しかし、心不全とはなあ……お前どんだけな生活してたんだよ」

「まあ、過労と寝不足って言われた」

 笑いごとじゃないことを、檜木は笑って言った。桜井はひどく眉根を寄せるが、療養を必要とする人間には強く出れないようだ。


「眠れてなかったんだね」

 僕の言葉に、檜木はうなずいた。

「まああのにおいの中じゃあなあ。しかもすげー水漏れしたし。寝れるわけねー」

「本当に理由はそれだけか?」

「……は?」

 笑っていた檜木は、桜井の言葉にぴたりと止まった。


「お前、坂尾のこと覚えてるか」

「そりゃあ……仲良かったし。……もしかして、知ってんのか」

「ごめん、お節介と思ったけど、調べた」

 僕はとても、申し訳ない気持ちになった。勝手に調べることは、いくらでもできる。だけどそれを人に突きつけるのは——立ち入ったと告げるのは、本当に、本当に、気が重くなる。

「本当にお前らって、変なやつだなあ」

 しばらくあっけに取られていた檜木は、複雑そうに笑った。

「あのウォーターサーバーを買ったの、坂尾からなんだ」

「……やっぱり」

 僕がポツリと呟くと、檜木は少しだけ視線をスマートフォンに落とした。

「あいつさあ、ブラック企業に入っちゃって、すげー暗くなったんだよ。パワハラとかあってたみたいで、やめろって言いたかったんだけど。聞く耳持たずだったんだよ。ノルマがノルマがって、追い詰められてて。昔から、変に責任感あるやつだったからさー」

 檜木は頭の後ろに手を組み、天井に目をやる。それから視線を僕達に向けた。

「じゃあ俺にできることって、契約くらいしかなくね?ってなってさ」

「それで……」

 檜木はうなずいた。

「しばらくしてあいつが死んだって知って、なんか……あんまり驚かなかったな」

「過労……だったって」

「うん。それでさあ、あのウォーターサーバーが遺品みたいに思えて、取るに取れなくなったんだよな」


 檜木は淡々と話した。

「なんで、最初からそう言わなかったんだよ。それが気がかりだったって」

 少し憤る桜井に、檜木はうーん、と考えこんだ。

「俺、恨まれてるのかなって思ってさ」

「え?」

「だってさ、水が変なことになったのは、坂尾が死んでからなんだよ。俺幽霊とか、あんまり信じてなかったんだけど……どうして助けてくれなかったんだ……とかさ、思われてんのかな、って考えたら、なんか、ちょっと……言いづらかった」

 口ごもり、また少し唸った。


 気持ちは——わかる。

 言葉にしたら、現実になってしまう。「それ」の境界は脆く曖昧なのだ。僕たちはなんとなく、「それ」を感じ取っている。——体験からの、自論だけれど。

 そう思うほど、坂尾は檜木の近くにいたのかもしれない。

「……引っ越す暇がないくらい、檜木も忙しいんだよね」

「そりゃあ、はは、みんなそうじゃね?」

 急に何、と檜木は肩をすくめた。

 桜井はちらりと僕に視線をよこし、また檜木をまっすぐ見た。

「お前さ、就活の時、なんも考えずベンチャー行ったよな」

「……あー、そうだよ、俺も例に漏れずブラック勤めだよ。何が言いたいんだよ」

「なんで、辞めないの?」

 僕が尋ねると、檜木はぐっと一度唇を噛んだ。

「……就活、めんどくせーじゃん」


 檜木は顔をそらした。確かに、檜木のような飽き性にとっては、長期的に自分の時間を奪われる就職活動ほど、苦痛なものはないだろう。

「お前なあ」

 桜井は呆れたような、憤るような表情を見せた。その顔を見て檜木は少し目を見開いて、諦めのように微笑んだ。

「なんだよ」

「なんか、坂尾に怒られてるみてー」

「……」


「あいつもさー、俺のことばっかに口出ししてきてさ。俺もイライラして、最後に話したのは喧嘩してそれきり。……だから恨んでんのかなってさ」

 乾いた笑いを漏らし、檜木は肩をすくめた。ずいぶんと、空元気をしていたのだとわかる、とても弱々しい笑みだった。

「本当に……坂尾が、って思うなら、ちょっと休んだ方がいいよ」

「……やっぱり霊の仕業、なんて、おかしいよな」

 僕の言葉に、檜木は曖昧に笑う。僕は少し唸った。

「そうじゃなくて、現状を鑑みてくれって言ってるんじゃないかな」

「坂尾が?」

「僕は、坂尾が恨んでるとか思えない——思わない。ちゃんと心配してたよ……俺みたいになるんじゃないぞって……」

 僕は、もつれながら言葉を紡ぐ。だんだん頬が熱くなる。

「そう考えてた方が、いいよ。友達が恨んでるとか、自分が恨まれてるとか……もう確認できないのに、そう思うのは悲しいよ」

 生きている僕たちができるのは、生きることだけだ。

 僕はまっすぐ檜木を見つめて、笑った。少し驚いたようにしていた檜木は、ふうと肩の力を抜いた。

「——はは、やっぱ余島ってオカルトじゃん」

 彼は呆れたように笑う。僕は耳も、額も熱くなった。やっぱり言うんじゃなかった。

 それから、檜木はうん、と何度かうなずいていた。

「とりあえず——退院したら、ちゃんと墓参り行くわ」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る