現状の把握

7話 石の記憶


 ゆめを、見た。


 目を開いた旭人は自分がねむっていたことにおどろいた。

 あわてて部屋の時計を見ようとする。けれども昨日片付かたづけたはずの本棚ほんだなも、勉強机もない。白いかべ。白のサイドテーブル。病院のベッドのような、白パイプのフレームが見えた。


 旭人はまばたきをして、ここはどこだろうと考える。

 数秒後には、今自分がいるこの場所が埼玉県清華せいか市にある新居しんきょ、守屋家ではないことがわかってかたを落とした。


 昨日の夕方。

 清華駅であの空間に入り込んでしまい、幼馴染おさななじみの伊織と女性に助けてもらった。

 あれから女性が取り出した札が光り、旭人は目をつぶった。風が小さな音をたてて耳をかすめていくのを感じてまぶたを開く。

 目を開けた旭人はどこかの建物の屋上に移動していた。目を閉じていたのはほんの少しの間だったが、旭人の知っている場所や、あの場所に入りんだ清華駅の階段かいだんではなかった。少しはなれた場所には大きなビルが立ちならんでいる。それでも、風の音、下の方から小さく聞こえる生活音が旭人の耳にとどいて、あの空間から出られた、と息を短く吐き出した。


 旭人たちがこの場所に来るのがわかっていたのか、白衣はくいを着た人たちが周りに集まる。医者が羽織はおるような白衣姿すがたに、ここは病院なのだろうかと考える。そんな旭人は白衣を着た人に、無事でよかった、検査けんさをしようね、とやさしい声で話しかけられた。

 戸惑とまどいながらもうなずこうとした時、ママとパパがストレッチャーで運ばれていく姿を目に入れてしまった。追いかけようとこしを上げかける。そんな旭人の手を、おばさん、おじさんは大丈夫だいじょうぶだから彼らに任せてほしい、旭人もこの病院で検査を受けてくれる? と伊織が引き止めた。


 旭人はママとパパの側にいたかった。けれども、伊織の大丈夫の言葉と、彼女かのじょが旭人自身を心配していることを感じ取ってしまって動けなくなった。

 そんな旭人に、伊織と一緒に助けてくれた女性が、ご両親が安定するまでわたし一緒いっしょにいるから、あなたは自分のことを大切にしてあげて? とさとした。

 着替きがえるひまはなかったはずなのに、服装ふくそうが変わっている二人の姿すがた

 旭人と目を合わせるようにひざをついた女性の優しい声と、伊織の温かい小さな手に、旭人は自然と力がけて気づけば首をたてっていた。


 旭人はこの部屋に来たことも、ベッドに横になった記憶きおくもない。検査が全て終わり、西影さんをんでくるからここですわってっていてね、と声をかけられたのが最後の記憶だ。

 部屋の時計は四時を指している。

 ムクリと上半身を起こして、まどの外を見る。まだ太陽は登っていない。東の空が明るくなっていた。あともう少しすれば太陽が顔を出すだろう。


「早起き、しちゃったなぁ……」


 いつもこんな風に早起きしていたらママはほめてくれただろうか。パパも笑って頭をなでてくれただろうか。そんなことを思いながら、旭人は膝を立てて頭をけた。

 昨日の夕方の出来事を思い返して視界しかいにじむ。ママとパパが大変なこんな時に泣いている場合ではない。旭人は目にたまったしずくが落ちないように目をぎゅっとつぶり、息を大きくき出した。


「ママ、パパ……」


 ひとりぼっちの部屋。

 ママに小言を言われながらも起こしてもらえる朝も。

 剣道けんどう稽古けいこは別としても、よほどの寝坊ねぼうおこられることをしなければ、あきれたように苦笑にがわらいをかべるパパと顔を合わせる日も。

 そんな日常はしばらく来ない。それどころか、もしかしたら昨日が最後の朝だったのかもしれない。


 そう思うと旭人は泣いてしまいたかった。

 けれども泣いてしまったら、そんな旭人のおそろしい想像そうぞう現実げんじつになってしまうようで泣くこともできなかった。

 こわかった。

 むね奥底おくそこが熱く、息がつまりそうだった。


 それだけでも苦しい思いをしているのに、旭人は今日見た夢の内容ないようを覚えていた。

 社会の教科書。

 写真の一部を切り取ったかのような、平安京の町並まちなみ。

 真紅の水干すいかんを着た男性が、昨日旭人が遭遇そうぐうした球体きゅうたいに向かって歩き出す姿。

 それが最後の光景。とても現実味げんじつみがある夢だった。


 旭人はずっとこの夢を見続けていた、と確信かくしんしていた。昨日まではわすれていた。

 それでもみょう既視感きしかんと、男性の気持ちが直接的ちょくせつてきに伝わってきて旭人は胸をおさえた。


 旭人にとって、昨日までは当たり前だった日常が来ない悲しさと苦しさ。

 あの場所で何も動くことができなかった自分自身へのむなしさ。

 夢の中で見た男性の切ない気持ちと。かれが友人を想うなつかしさ。

 それら全部がじって、旭人の頭と胸の中はぐちゃぐちゃになっている。感情が追いつかないのか、胸が、全身が、引きかれるように痛く感じた。

 ポケットをさぐり、スマートフォンを取り出した。昨日は使い物にならなくて奥底おくそこんだ端末たんまつをぎゅっとにぎりしめる。


 旭人は何かにすがりたかった。

 こんなぐちゃぐちゃで、大声を上げてさけび出したい気持ちなのに、叫んだらそれが現実になってしまうようで叫べない。

 それでもこんなに、痛くて、悲しくて、虚しくて、さびしい気持ちをとても一人でかかえられなかった。


 端末を開く。

 さいわ充電じゅうでんはまだ残っていた。

 メッセージが届いている。

 相手は伊織だった。

 個別のメッセージ画面を表示する。


『いつでも連絡れんらくして』


 いつもの、彼女かのじょらしい短文のメッセージ。

 それを薄暗うすぐらい部屋で確認かくにんすれば、旭人はもういても立ってもいられなかった。

 メッセージが送られたのは昨日の二十時少し前。こんな早朝に彼女が起きているはずがない。


『いおりちゃん』


 そうわかっていても、旭人は勢いのままに打ち込んだ。

 助けてほしい、つらい、悲しい、苦しい、そんな気持ちを打ち込もうとした。けれども指がふるえて、彼女の名前を言葉に表すことしかできなかった。

 呼びかけに反応してしい気持ちと、こんな朝早い時間にメッセージを送って起こしてしまうのではないかという気持ちがせめぎ合う。


 メッセージ画面に彼女が確認した印がついた。ひゅっと息を飲み込んで、旭人は画面を食い入るように見つめ続ける。

 震えていた指先はぴたりと止まっていた。


 コンコン。


 びくりと、反射的はんしゃてきに旭人の肩がび上がる。

 そろりそろりと部屋の入り口へ視線しせんを向ける。

 ひかえめにとびらがノックされた音が聞こえたような気がしたのだ。


「旭人、入るよ」


 伊織の声だ、と旭人が認識にんしきすると同時に扉が開く。白のシャツに膝丈ひざたけのスカート。旭人が検査を受けている間着ていた彼女の服装ふくそうと一緒だった。

 薄暗い部屋で彼女の表情はよくわからない。


「伊織、ちゃん」


 こんな朝早くに彼女が起きていた。

 自分のメッセージで起こしてしまった。

 しかも彼女はメッセージを見てすぐにけつけてくれたにちがいなかった。

 そんな申し訳なさと、なんて話しかけたらいいかわからない旭人は言葉をまらせる。

 つかつかと歩み寄る伊織に、旭人は慌てて額を膝に押し付けた。

 ベッドのすぐそばで伊織が立ち止まる。


「……」


 カーディガンをきゅっと握りしめて、旭人は伊織にかける言葉を胸の中でさがす。

 そうしているうちに、足元のベッドが少ししずんで、彼女がこしかけたのがわかった。


「……体調は?」


 ややあって伊織が静かに口を開いた。気遣きづかう言葉に旭人の手のひらがゆるんだ。


「ごめん、ずるい聞き方した。昨日の検査結果でほぼ異常いじょうがないことわかっていたのにね」


 血液けつえき検査は明日わかるけど、と補足ほそくの言葉は淡々たんたんとしている。それでも彼女の声は怒っていなかった。


「おばさんとおじさんは、七時間くらい前に連絡があって、安定期に入ったから大丈夫だいじょうぶ。この病棟びょうとうの地下で休んでいるよ」


 こんな朝早い非常識ひじょうしきな時間にメッセージを送ってしまったのにも関わらず、いつも以上にやさしさをふくんだ声色こわいろだった。旭人はゆっくり顔を上げた。


「今日の午前中にはおばさんたちに会えるようになるから、ちょっと不安だと思うけどもう少しここで待ってて」


 そう言った伊織は部屋の扉の方を見ている。

 小学校の授業でふととなりに視線をやった時に見えた、彼女の横顔と同じものだった。

 場所は違う。だが、いつもと同じ表情の横顔に心が少し軽くなった。


「伊織、ちゃん……」

「なに?」

「ごめんね。起こしちゃった、よね?」

「昨日早めに寝たから少し前に起きちゃったの。だから気にしないで」


 わたしのことよりも、と伊織は言葉をきって立ち上がる。そして頭を深く下げた。


「あの場所にあなたたちをいさせてしまって、ごめんなさい」

「伊織ちゃんは悪くないよ」


 伊織が悪いことをしたなんて思えない。

 旭人はその気持ちに変わりはなかった。

 それでも、出てきた声は自分でもはっきりとわかってしまうような、小さいものだった。


「本当にごめんな」

「そうじゃ、ないんだ」


 伊織は旭人の震えた声に、旭人がまだ自分をゆるしていないと思ったようだった。ふたたあやまろうとする、彼女の謝罪しゃざいを旭人は言葉をかぶせて止める。

 伊織は旭人が違うことを言わんとしていることに気づいて頭を上げた。怪訝けげんそうな顔からはっとしたように表情を変える。


「検査結果は異常なかったけど、どこか痛いところあるの?」


 気持ち悪い? とあせったように問いかける伊織に、旭人は頭を横に振って否定ひていする。

 たった一人になってしまったあの場所で彼女が助けに来てくれた。

 旭人のメッセージに反応して来てくれた。ママとパパは大丈夫という言葉をかけてもらえた。

 旭人が一番怖いと思っていた、二人がいなくなることはない。

 ママとパパの無事がわかった。


 それだけで、十分なはずだった。


 けれども夢の中の出来事がわすれられない。落ち着いたはずの不安な気持ちが、むくりと旭人の心にわいてくる。


「ちょっと、さびしくなる、変な夢をみて」

「……変って?」

「すごく現実的な、夢だったから。目が冷めたとき、頭と胸がぐちゃぐちゃになって」

「……」

「ママとパパが大丈夫って教えてもらってそれだけでもう大丈夫だって、安心できるはずなのに、だけど」


 すごく悲しい気持ちなんだ、と旭人は胸元のシャツをぎゅっと掴んだ。


「それって……」


 伊織がごくりとつばをのみこんで口を開いた。


「旭人、あなた、霊闘石れいとうせき記憶きおくを見たの?」

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