第11話

 蒸し暑い地下駐車場に響く自分の靴音。

 高瀬は首を左右に倒し、ボキボキと鳴らしながら停めておいた覆面へと向かう。

 そう、確かあの柱の向こうだったと回り込むと、見慣れたシルバーの車両が激しく揺れているのが目に飛び込んで来た。

 嫌な予感に自然と鼻に皺が寄る。

「外しなさいよ、この糸目野郎!」

「いたたたたたた! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 そっと覗き込むと、狭い車内の後部座席で、遠子が片手に手錠を掛けられた状態で四つん這いになった柴田の髪を引っ掴み、バッグで殴打していた。

「くぬっ! くぬっ! このブタ野郎!」

「ヒィー! お許しください! 女王様ー!」

「……何じゃれついてんだ、お前ら」

 盛大なため息をつき、道端の吐瀉物でも見たかのように顔を顰めて助手席に乗り込む。

 柴田は遠子の下から這い出ると、いそいそと運転席へと回った。

「いやもう、遠子さんが激しくて」

「変なこと言うんじゃないよ! つか、なんなのアンタ!」

「ああ? そりゃこっちのセリフだ! テメー、なんだこれは!」

 体を捩じって後部座席の遠子をねめつけると、高瀬は新聞を突き付けて声を荒げた。最早苛立ちで鼻が大きく開き、ひくひくしている。

 その新聞をちらと見ると、遠子は意地悪く唇を上げ、勝ち誇ったように言い放った。

「やだ。アンタ、新聞知らないの? にゅうすぺーぱーよ、分かるかしら?」

「このアマ……。俺が言ってんのは記事のことだ!」

「あら、誤字でもあったかしらね」

「てっ……めぇ……。どこまでふてぶてしいんだ!」

「はん! なによクソゴリラ! いい? アタシたちには何があったか知る権利ってものがあるのよ! アンタら警察の隠蔽体質のお陰で──」

「テメーらの記事が人を殺すこともあるってんだ! 勝手なことしてんじぇねぇ!」

 新聞を叩きつけ、高瀬は遠子の主張を遮った。最早目は血走り、今にも掴みかかりそうな勢いである。

「いいか! これはただの猟奇殺人事件じゃねぇんだ!」

「そんなこと分かってるわよ! あの男は、松岡智之は間違いなくなんか知ってんのよ!」

「だったら挑発するようなことすんな!」

「ハイハイハイハイ!」

 睨み合った2人の間で、柴田が手を打った。しかし高瀬と遠子は視線を外せば負けとで言わんばかりに睨み合いを続けている。

「分かりました、お二人とも! 先ずは落ち着きましょ! 冷静になりましょ! ね! 通報されちゃいま──フガッ!」

「うるせぇ! 黙ってろ! この糸目野郎!」



 

「だから通報されますよって言ったのにぃ」

「やかましい。黙って運転しろ」

 柴田が遠子にバッグで叩かれ、高瀬にウインドに押し付けられた直後、3人はウインドウをノックする制服警官と目が合った。

 ビルの防災センターから通報を受けた所轄から出動したのである。

 幸いにも、2人が直ぐに身分証を提示して警官であることが証明されたため、直ぐに解放されたのだが。

「このクソゴリラの声がデカイせいよ」

「人のこと言えねぇだろうが! ヒステリー女!」

「にゃにおぅ!」

「ちょっとちょっと! 危ないですから遠子さんっ! 座っ──ぎゃん!」

 車内が再び一触即発の空気に満たされ、運転席のヘッドレストに繋がれた遠子が勢いよく柴田の肩越しからパンストの脚を蹴り出す。しかしそれは見事に高瀬に弾かれ、不運にも柴田の顎を打った。

 覆面は右へ左へと車体を振り、車内に悲鳴が、車外にクラクションと怒号が響き渡る。

「バカヤロー! 危ねぇだろうが!」

 高瀬が遠子の脚を掴んで後ろへ押し戻した。

 遠子の尻は座席下に滑り落ち、何とか車両は蛇行を止め、それと同時に刑事ドラマのテーマが流れた。

「何すんのよ!」

「たっ、高瀬さん! 着信! もー、お願いですから遠子さんは座って下さーい!」

 


 

「やっだーん。ボク、今日も可愛いわね〜」

 高井戸の千里たちの家で、遠子はだらしなく鼻の下を伸ばし、大樹を猫の子のように撫で回していた。

 その背後では千里が鬼の形相で仁王立ちしている。そして、じろりと目だけを高瀬に向けると地獄の底から湧き出るような声で言った。

「おい、何故いる」

「お前が呼んだんだろ」

「オレが言ってるのはこの変態女のことだ!」

「だよな」

「そこの糸目はいいだろう」

 千里は大沢に先日の弁当の礼をしている柴田を指さすと、次いでその手で高瀬の胸倉を掴んだ。

「だがオレはこの変態も一緒だとは聞いてねぇぞ」

「しょうがねぇだろ。今、この変態女から目を離す訳にいかねぇんだよ」

 千里は高瀬の言葉に舌打ちをすると、そうかよと高瀬のシャツから乱暴に手を放した。

 そのままソファーの背に向かってごろりと横になる。高瀬も向かいのソファーに腰を下ろした。

「クッソ気分悪ぃわ。話す気も失せた」

 室内がしんとなった。遠子ですら唇を尖らせ、その場に居づらそうにモゴモゴしている。大樹など今にも泣き出しそうだ。

「おい、千里」

 臍を曲げた千里は兎に角面倒くさい。無駄だと思いつつ高瀬は声をかけたが、案の定、うるさいと返って来ただけだった。

 ここへ来たのは、千里から話があると電話があったからなのだが……。

 こりゃあ出直すしかないかと頭を掻いたその時、リビングのインターフォンが鳴った。

 当然応対するのは大沢である。2、3言葉を交わすと、宅配便のようだと言い残して玄関へ向かった。その後ろを大樹がお菓子なのかと目を輝かせ、ぴょこぴょこと付いていく。

 その後姿を眺めながら、高瀬はひとつ大きく息をついた。今日はこれまで。カイシャに戻るかと言う区切りのつもりだった。

「さて──」

 そう言って高瀬が膝を打つと、大沢が何やら長い箱を持って戻ってきた。

「大神さん。大神さん宛ですよ」

 その一言が室内の空気を一気に変えた。

「おっ! 来たか!」

 不貞腐れていたはずの千里は体を起こし、嬉々として大沢から荷物を受け取る。

 それは120㎝くらいの細長い箱で、巻きダンと言われる梱包材で厳重にくるまれていた。

「なんだそりゃ。自然薯か?」

「ちげぇよ」

 室内にいた全員の視線が、テーブルの上の荷物をバリバリと開封していく千里の手に集まる。

 そして、ついにその蓋が開いた。

「ぷちぷちー!」

 出てきたのは緩衝材だった。千里は緩衝材をいくらかハサミで切ると放り投げ、まとわりつく大樹を追い払う。大樹は子犬のようにそれを追いかけていった。

 大樹が離れた事を確認すると、千里はまた少しずつ剥がしていった。

「随分厳重ですねぇ~」

 柴田もわくわくとその中身の出現を待っている。

 そしてついにその姿を現したのは──。

「え。なにこれ。日本刀じゃなーい。ヤッバ。ホンモノ?」

 遠子が遠慮なく手を伸ばす。千里は容赦なく、ピシャリとその手を叩いた。

「テメー、クソ女! 汚ぇ手で気安く俺の藤安に触んじゃねぇ!」

「いった~い!」

「おいおい、なんだよ、本物の真剣か?」

「そのようですね」

「僕、初めて見ましたよ~。意外と大きいですね~」

「ぶりぶりしんけーん!」

「おおっと、大樹、コイツはオモチャじゃないぞ。危ないからこっち来な」

 皆が覗き込んでいると、大樹が柴田の股の間をくぐって飛び込んできた。それを高瀬がさっと抱き上げて膝に乗せる。

 リビングが急激に賑やかになった。

「なんだって日本刀なんか買ったんだ、千里は」

「最近Vシネを熱心にご覧になってましたからね。また影響されたに決まってます」

「何とでも言え。藤安の打刀が150万で手に入って、オレは頗る機嫌がいい」

「ひゃくごじゅうまん?」

 遠子が素っ頓狂な声を上げた。目の前にいるのは明らかに10代の青年である。アラサーの自分ですら、そんな買物などしたことが無い。

 しかし、千里たちの懐が自分より遥かに潤っている事を承知している高瀬は、平然とコイツの悪癖だと肩を竦めた。

「全くです。直ぐに飽きるのに、こういうものに直ぐに飛びついて。ちゃんと管理してくださいよ。大樹が怪我でもしたら──」

「うるせぇな。分かってるよ」

「ちょっと高瀬、何なのここん家……」

「ケッ。お前ほど非常識じゃねぇわ」

 自分のシャツを引く遠子の手を振り払うと、高瀬はじろりと遠子を睨み、遠子も即座にかみついた。

「は?」

 二人の間に再び険悪な空気が流れた。柴田が慌てて、ちょっとちょっとと割り込むも、あっさりと高瀬に突き飛ばされた。

「は? じゃねぇだろが。テメーの記事だよ。なんだアレは。あ? 報道規制が布かれていたのを承知でブチ上げやがったろ」

「だったらなに? アンタあれが何の仕業か分ってんでしょ!」

「だからってテメーのあの記事で何が出来た! ただ煽っただけじゃねぇのか!」

「ちょっと、ちょっと、高瀬さん! 大樹君がびっくりしてますよ!」

 さすがにこれは効いたようだ。目を潤ませる大樹を見ると、高瀬は咳ばらいをし、声を落とした。

「とにかく、今後一切この事件に関わるな。なんなら本当に公務執行妨害で拘束するぞ」

 遠子は俯き黙っている。高瀬は大きく息をついた。コイツを総監宅に送り届けて今日は撤収だ。

 しかし、そうは問屋が卸さなかった。

 俯いた遠子がぼそりと呟く。

「なによ」

「あん?」

「偉そうになによ!」

 ばしりと遠子のバッグが高瀬の顔めがけて飛んできた。咄嗟にそれを払いのけたものの、遠子はバタバタと玄関へ向かっていた。

「おい! 待て!」

「ついてくんな! このクソゴリラ!」

 バタンと叩きつけるように激しくリビングのドアが閉められ、直ぐに玄関のドアを閉める音がする。高瀬は舌打ちをした──その時。

「ぎゃああああああ!」

 ドアが閉まっていても聞こえる、絶叫のような悲鳴。その場にいた全員が立ち上がった。

「たっ、高瀬さんっ!」

「大樹、こっちに来て!」

「うわああん!」

「お前らそこにいろ! 千里、コイツら頼む!」

 騒然となる室内。高瀬はテーブルを飛び越えると、玄関へと向かった。

「おい! 水──!」

 勢いよくドアを開けた高瀬は言葉を失った。

 そこにいたのは、腰を抜かした遠子と、そして──。

「お……、鬼……」

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