第7話

「おいおい、一体何やらかしたんだ? 会社にケーサツから何度も電話が掛かってるらしいぜ? おまえさんを探してるってさ。俺んとこにも編集長から知らないかって、さっき電話があったぞ?」

 堂本は助手席に乗り込んで来た女を横目で見ると、矢継ぎ早にそう言い、薄笑いを浮かべた。

「なあ、面白いネタ掴んだんだろ? 俺を呼んだってことは、当然俺にもイッチョ噛みさせてくれるんだよな?」

「サッサと車出して」

「おい、俺は気持ちよぉ~く寝てたところを……」

「堂本!」

「ハイハイ。流石、総監のお嬢様は人使いが荒いねぇ〜……」

「早く!」

 目一杯下げたシートに深く体を沈めると、女──水野遠子はひとつ大きく息を吐き、偉そうに足を組んだ。

 どこをどう走ったのか全く覚えていないが、走りながら日売の専属カメラマンである堂本に、迎えに来るように連絡を入れた。

 その時堂本は連日の張り込みで疲労し寝ていたが、遠子の尋常ではない様子に独占スクープの臭いを嗅ぎ取ったか、位置情報を送付するよう指示し、着の身着のまま、オンボロの愛車、銀色の日産サニーを走らせ、住宅街の路地裏に隠れていた遠子を拾ったのだった。

「で? 何処に向かえばよろしいんで? あ〜、言っとくが、会社はよした方がいいぜ?」

 寝癖のついたままの頭をガシガシ掻くと、堂本はアームレストを探り、潰れたタバコのパッケージを取り出した。

「アタシだってバカじゃないのよ。んなこた分かってるわ。つか、堂本。そのタバコ、臭いからやめてくんない? 吸うなら外で吸ってよ」

 そう言うと遠子はさも嫌そうに堂本を睨んだ。

「なんだよ、俺の車だぞ……」

 不服そうに言いながらも、堂本は渋々後部座席に放り投げた。いつだってこの女王様然とした女には敵わない。

 反撃すれば容赦無く倍、いや、100倍返しである。その事は堂本が1番の被害者だけによく知っていた。大人しく従うのが得策なのだ。

「ったく……。で? どこかアテがあんのか?」

 言いながらドアポケットから一体いつのか分からないガムを取り出す。前を向いたまま遠子にもすすめるが、シカトされた。大人しく自分の分だけ取る。

 まあ、こういう女だ。黙っていれば見目は良いが、気位が高く傲慢、我儘で、口が悪く、そして――

「えっぶるるるる〜。えっぶるるるる〜」

 車内に盛大な遠子のいびきが響き渡った。

「こいつ……。白目剥いて寝てやがる」

 なにより水野遠子には、壊滅的なまでに色気が無かった。

「そんじゃま、心躍る夢の世界にでもお連れしましょうかね」

 白目を剥き、よだれを垂らしたお姫様を乗せたオンボロ・サニーは、首都高に乗ると、一気に加速した。


 


 目が覚めると、そこはムーミン谷だった。

「ちょっと。なんでムーミン谷にいんのアタシら」

「おお、見ろよ! ムーミン屋敷だぜ!」

 遠子の氷のような眼差しを躱わすと、堂本はとカメラを構え、目の前にある、空色の愛らしい家を撮り始めた。

 今まさに2人がいるのは、埼玉県飯野市にある、かの有名なフィンランドの作家、トーベ・ヤンソンの「ムーミン・シリーズ」と呼ばれる小説と絵本の世界が体験出来るテーマパーク、ムーミンバレーパークのムーミン屋敷だった。

「水野は警察に目を付けられてるようだしな。でも、これだけ人がいりゃあ、俺らも紛れるだろ。話をするならうってつけじゃないか。それに俺、ムーミン好きだったんだよなぁ」

 そう言って再びシャッターを切る。

 事実、堂本が言う通り、園内は夏休みということもあって、親子連れやカップルでごった返している。

 しかしそんな中で、遠子と堂本は浮いていた。親子連れなどは明らかに距離を取っている。

 何しろ堂本は寝間着姿であったし、それ以上に、楽しそうに走り回る少年たちを追い回す遠子の視線が原因なのだが、本人は微塵も気付いていない。




「おまっとさん」

 夏休みのテーマパークでコーヒーを1杯を飲む。それがこれほどまでに消耗する事だったとは。

 普段はコーヒーショップにも立ち寄らず、コンビニコーヒーか自販機で済ませて来た堂本には衝撃だった。

 遠子の命令で、園内のカフェの親子連れの列に並び30分。カフェは程よくエアコンが効いて涼しかったが、寝巻き姿の中年に向けられた視線はそれ以上に冷ややかだった。

 ようやく手にしたコーヒーとアイスキャラメルラテを手に戻って来ると、案の定、遠子は酷く不機嫌だった。

 それでも渡されたキャラメルラテをじゅるじゅる啜ると、あら美味しいじゃないと機嫌を直した。

 そりゃあそうだろう。コンビニの倍では済まない価格設定なのだ。堂本は遠子の鼻先に手のひらを差し出した。

「600円」

「あん?」

「600円。そのキャラメルラテの──」

「アンタ、今夜のボクシングの試合、賭けてたわよね」

「へ? ああ、豊島・岩本戦か。賭けてるぜ? 豊島にな。つっても、みーんな豊島に賭けたからな。賭けになんねぇわ。ハイ、キャラメルラテ、600円」

「ふふん」

 遠子はニタリと笑った。

「アンタにイイ事教えてあげる」

「イイ事?」

「今すぐ、岩本に全財産賭けんのね」

「ぜっ……、おい、冗談言うなよ。豊島は今一番脂がのってんだぞ? ライブ製薬って大手のスポンサーもついて……」

「明日の試合、岩本の不戦勝よ。豊島は行方が分からなくなってる」

「ちょ、ホントかよ。ガセじゃねぇだろうな」

「ホントよ。その現場にいたんだから」

 なにせあの惨状である。豊島が生きているかどうかも疑わしい。透子は昨夜赤塚公園で見聞きしたことを堂本に話して聞かせた。

「マジかよ……。豊島まで失踪? 最近のスポーツ界どうなってんだ」

 堂本の言葉に遠子は片眉を上げた。

「失踪……」

 じゅるじゅるとキャラメルラテを啜りながらモヤモヤとした記憶を探る。

 

 ──津山がいれば、確実に勝てた試合だったんだって!

 ──相手校の沢田、欠場だったもんなあ

 ──何だよ失踪って。大会中だぜ?

 ──俺、沢田もソレで欠場って聞いたよ?

 ──ハヤリ?


「あああああああッ!」

「うわ! なんだよ!」

「うるさい! 黙ってろ!」

 遠子は目玉を右往左往させながら、再びじゅるじゅるとキャラメルラテを啜った。

 考え事をする時は糖分が重要なのだと遠子は信じている。糖分を摂れば摂るほど頭がギンギンと冴えわたる気がした。

 ずぼぼっ!

「ぬぬっ! 堂本! お代わり!」

 ダメだ、糖分が足りない。今、遠子の頭はフル回転していた。断片的ではあるが、次々と脳内に浮かび上がってくる。それを繋げるには糖分が、映える可愛いビジュアルに、可愛くないお値段のキャラメルラテが必要なのである。

 考えろ、考えるのよ遠子!

 遠子はギラギラとした視線を空になったプラカップに向ける。途端に向こうの席に座っていた幼児がガタガタと震え泣き始めたが、透子の耳には届かない。

 目を見開き、うわ言のようにブツブツと繰り返した。

「津山、沢田……失踪……。それからえぇっと……」

 昨日の居酒屋で若者が話していたスポーツ選手の失踪。

 今回のボクサー、豊島の失踪。

 そして、高瀬達が話していた「御岳山と酷似している」という赤塚公園の現場。

 御岳山の事件については規制や圧力があり報道されていないが、遠子は御山荘の大女将、土屋静江から凡その現場の様子は聞いていた。つまり、赤塚公園で殺された被害者も腹を裂かれていたのだろう。静江が話していた鬼伝説のように。

「鬼伝説……」


 ──感染るのさ。


 静江の声がリフレインした。

 鬼が人を喰らう話ならどこにでもあるだろうが、この話は衝撃的だった。それも人を選ぶと言った。

 静江の言うように鬼が蘇ったのだとしたら? その鬼が、仲間を増やそうとしていたら?

 鬼の精に耐えられる、鍛えられた身体を持つ者……。つまり、豊島や津山、沢田たちのような……。

「おまたせ……うわっ、なんだよ!」

 遠子は堂本の手からキャラメルラテを引ったくると、ホイップに食らいつき、そしてカップを煽った。

「ちょっ、おまっ、600円だぞ!もっと味わって……」

「ケチ臭い事言ってんじゃないわよ! アンタ、アタシのお陰で金持ちになる身なのよ?」

 そう言うと遠子は堂本の襟首を引っ掴んだ。

「行くわよ」

 他にもいるかもしれない。

 失踪者──否、感染者が──。

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