漆「大天使」

「ふぅん、貴女が『ウタコ』? 東洋人にしては可愛らしい顔立ち……いや、ハーフって話だったかしら?」


 云うや否やその姿が消え――たかと思えば、いつの間にか牢の中、歌子の目の前に立っている。

 皇帝派その手に持つ拡声器スピヰカーの切っ先で、しゃがんでいる歌子の顎を上げさせる。

 歌子はその拡声器スピヰカーから目が離せない。

 何故なら、フリヰデリケ式でも渡瀬式でもないその拡声器スピヰカーは――


「『Diva Driver』!?」


「Diva……? あぁ、貴女、この文字が読めるの。じゃあもう、確定じゃない。忌々しい……大天使も、この小娘に首ったけみたいだし」


 皇帝が、拡声器スピヰカーを持っていない方の手で歌子の首を掴む。


「ぐぅっ……」


 驚くほどの怪力で、無理やり立ち上がらされる。


「厄介ね。やっぱり甲状腺だけもらって、後は燃やしてしまいましょう」


ばばあッ!! 歌子に触るなッ!!」


「お黙りなさい」


 その一言で、まるで遮音結界キャンセラなど無いかのように、風の歌唱が展開された。

 フレデリカは風圧に押さえつけられ、床に這いつくばる。


「貴女の甲状腺はどんな味がするのかしらね?」


「あっ……っ……」


 握りつぶさんばかりの力で喉元を締め上げられ、歌子は息が出来ない。


(死ぬ……死……ぬ……殺されるッ!!)


 涙にまみれた目でフレデリカの方を見るが、彼女は依然、地面に縫いつけられたままだ。聖歌隊の男たちはニヤニヤと笑うばかり。


(助けて……誰か助けてッ!!)



   ♪   ♪   ♪



》一月二十日 五時十分 酒泉しゅせん・郊外 ――植民星探索艦Ѧ ҈ѮクゥスѨヰェԪデジェҖゥズ


 Ѧ ҈ѮクゥスѨヰェԪデジェҖゥズは焦っていた。

 この星に不時着した際の唯一の生き残りであり、本艦の臨時艦長となるべき人物の生命反応バヰタルサヰンが、危機的状況を示しているからである。

 残存音子ナノマシヰンのことなど気にしている場合ではない。

 いつもの経済速度ではなく、最大戦速で進むように、サヰドアームたちへ指示を出した。



   ♪   ♪   ♪



》一月二十日 五時十一分 酒泉しゅせん・郊外 大天使上空 ――とある飛行観測歌姫Diva


「大天使の進路は、依然として酒泉郊外の小屋のある方角を向いています。時速は十コンマ八キロメヱトル。およそ四十五分後に小屋に到達します」


 飛翔の歌唱で滞空しながら、無線で定時連絡を行う。

 長く観測手をやっているが、この数日は驚きの連続であった。


 そもそも、大天使の移動速度は遅い。

 人の歩行速度などよりずっとずっと遅く、大抵が時速一キロを下回る速度で以て進攻していた。

 なればこそ、羅馬ローマ軍は大天使を盾にしながら進軍出来るのである。

 そしてその進路は十年以上もの間、一貫して極東のとある一点を目指していた。

 まるで、意志を持った動物が、力の消耗を抑えながら目的地に向かおうとしているかのように。

 だが、ここのところ、どうだ。

 三日前、進路がわずかに変わり出し、二日前からは目まぐるしく変わるようになり、下敷きになるのを恐れた機械化歩兵団は大天使から一キロ程度距離を置くようになった。

 そうしておいて正解だった。

 今日の昼などは、大天使がいきなり、百八十度ターンして、既に蹂躙し終わったはずの張掖ちょうえき方面に向かい始めたのである。

 歩兵団が密着していたら、急激な方向転換に巻き込まれ、轢き潰されていたことだろう。

 そこから、大天使は急激に速度を上げ始めた。

 そうして今や、眼下の大天使は人間が小走りするほどの速度で以て一直線に進んでいる。

 歩兵などは大多数が落伍した。


「以上、通信終わ――」れなかった。驚くべき事態が発生したからである。






 大天使が、全長五キロメヱトル、幅三千五百メヱトルの巨体が、突如として跳躍したのだ。






 大地を揺るがす激震と、大質量の移動に伴う突風。

 大天使周辺に展開していた機械化歩兵団は塵芥ちりあくたが風に吹かれるが如く吹き飛ばされ、そして己もまた、突風に巻き込まれて上も下も分からなくなった。

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