参「優先順位」

》一月十九日 十四時三分 張掖ちょうえき上空 ――フレドリク・フレデリカ《


「「~~~~♪」」


 歌子と二人、鼻歌を口ずさみながら空を飛ぶ。

 歌子の手を握る自分の手が、熱い。

 本当、待ちに待った時間だった。

 夢にまで見た、歌子と二人っきりの自由な時間。

 いつ喉を爆破されるかと怯える必要もなく、盗聴や尾行を不快に感じる必要も無い。

 酒泉しゅせんで一息ついたら、歌子に全てを話そう、と思う。ようやく話すことが出来る。






 …………張掖ちょうえき会戦では、羅馬ローマ軍ごと得意の陸喰いリヴァヰアサンで呑み込んだ。






 自分が死んだことにしておかないと、喉の束縛から逃れられなかったから。

 自由を手にし、歌子を迎えに行って、彼女の力を借りて羅馬ローマを滅ぼすには、それしか方法が無かったから。

 同じ釜の飯を喰った仲間を、信じてついて来て呉れた部下たちを殺すことに躊躇は無かったのかって?


(無かったさ、勿論。……――――優先順位の問題だ)


 独逸ドイツ仏蘭西フランス白耳義ベルギヰ阿蘭陀オランダを、西班牙スペヰン葡萄牙ポルトガル瑞西スイスを、伊太利ヰタリア墺太利オーストリアをバルカン半島を併合し、露西亜の版図を掠め取り、オスマンの体内を喰い破り、コーカサスを手中に収め、今や亜細亜アジアの全てを喰い尽くさんとしている新星羅馬ローマ帝國。

 己の両親を妹を弟を殺し、己を殺戮兵器に仕立て上げ、殺したくもない相手を大量に殺させた憎き羅馬ローマ

 この狂った大帝國を、フリヰデリケ四世クソばばあの治世を滅ぼすことが出来るなら、他のことは全て些末事だ。


 勿論、歌子のことを愛しているのは本心だ。

 そも、彼女は己の命の恩人であり、人生の恩人なのだから。



   ♪   ♪   ♪



》一月十九日 十五時四十五分 酒泉しゅせん ――渡瀬わたせ歌子うたこ


 酒泉の手前で着陸し、歌唱で強化した脚力で以て道を走り、酒泉に入った。

 大天使は酒泉の北を掠めるように進攻して行ったから、酒泉は直接の戦場にはならなかった、と日本では聞いていた。

 果たして話の通り、酒泉は張掖ちょうえきのような地獄の光景にはなっておらず、街は比較的形を保っていて、大勢の人たちが暮らしていた。

 歌子もフレデリカもフードで顔を隠したが、街は捕虜となっている日本人と、それを監視する羅馬ローマ人で溢れ返っていて、特段怪しまれることはなかった。


 フレデリカが服を買って呉れた。

 何しろ歌子の服は臭うのだ。いくらフレデリカが歌唱で洗い清めて呉れたからと云って、こびれついた死臭が落ちるものではなかった。

 それから、フレデリカに山盛りのご飯を奢ってもらった。

 思えば己は羅馬ローマの通貨を持っていなかった。

 勿論、探せば満州國の通貨が通用する店も沢山あったのだろうが、戦勝國たる羅馬ローマが支配・管理する店の方が、より衛生的で美味しいものが出てくるのは道理だった。

 亜細亜人顔の歌子にも普通に食事を提供して呉れることに歌子は驚いたが、フレデリカ曰く普通のことなのだそうだ。

 大天使の移動と、それに付随した侵略・支配が目的なのであって、その地域の民族を根絶やしにジェノサヰドすることが目的ではないし、全ての羅馬ローマ人が熱狂的な皇帝崇拝者・国粋主義者・歌姫Diva至上主義者なわけでもないのだ、と。

 なので、いざ戦争だいてんしが通り過ぎた後の地域は、意外と穏やかなものなのだそうだ。


「ま、戦闘終了直後はお楽しみの略奪・凌辱タヰムがあるんだけどね」


「…………ヱ」


 ほっこりとしたところでえげつない事実を教えられ、麺麭パンを頬張ったまま固まってしまう歌子。


「殊に歌姫Divaは善い声で泣くからって、凌辱の為にわざわざ高価な遮音結界キャンセラを用意するような下衆までいて、ホント参っちゃうよ」


「ひっ……」


 羅馬ローマ正規兵も抗日パルチザンも、前線では同じようなものらしい。


「生憎、羅馬ローマはハーグ陸戦条約以降に出てきた國だからねェ。でも、幸いにして今回の戦争では略奪も凌辱も無かったんだよ」


「ヱ、そうなん?」


「何しろ僕が、何もかもを流し去ってしまったから」


「嗚呼……」


 ジョークにしてもブラック過ぎるし、きっと事実なのだろう。

 ……などと暴力的な世間せんそう話を聞きながらも、歌子はフレデリカが呆れ果てるほどの量の麺麭とシチューを食べ、お腹がなったところで宿の一室を取った。二人してベッドに腰掛ける。


「それで……戦争を終わらせるって云うてたけど、一体全体どういう話なん?」


 歌子とて、この戦争が終わらせられるものなら、終わらせたいと思っている。

 道中で見た無数の死が頭から離れない。倒れ行く中山女史の、あの壮絶な笑顔が忘れられない。

 が、たった二人だけの力でこの大戦争を終わらせるなどというのは、空想小説の中のお話のように思えてならない。

 それともフレデリカには、他に味方の組織などがあったりするのだろうか?


「簡単さ。大天使の中に忍び込んで、皇帝フリヰデリケ四世を殺せば善い。大天使はあのばばあにしか制御出来ないからね」


 ベッドに寝転がりながら、フレデリカが云う。


「ば、婆って……フレデリカは皇帝にあったことがあるの?」


「何度もね。僕ら聖歌隊――あぁ、選りすぐりのカストラートだけで構成された近衛大隊のことをそう呼ぶんだけど――聖歌隊は、あの婆にとっては性の捌け口なンだよ。たないアレをいじり回して遊ぶのさ。本当、趣味が悪い」


「なっ……」


 幼いフレデリカ――もといフレドリク少年が全裸に向かれて拘束され、股間から生えた小さくて可愛らしい※※※をもてあそばれる光景を思い浮かべてしまい、言語を喪失する歌子である。


「さて。じゃア歌子、ようやくと云うべきか、今から十一年前のことについて話をするよ」


「!」


 ついに、である。


「十一年前、僕と歌子は羅馬ローマ帝國領内で出逢ったんだ。君はお父さんと一緒だった。逆に、僕は独りだったな。あの頃にはもう、家族はみんな戦争で死んでしまっていたから」


「――――……」


「出会った当時の君はとても病弱で」


「ヱッ!?」


 歌子は驚く。

 記憶のあるこころくしち年は熱を出したことも、腹を下したこともないこの身である。


「それで、君のお父さんが――…」






 ――コンコンコン






 部屋のドアがノックされるや否や、フレデリカが流れるような所作で腰の物を抜いた。

 果たしてそれは、


「ヱッ!? 銃ッ!?」


「シッ」


 フレデリカに口を塞がれる。

 非音子回路オルゴール兵器に疎い歌子には種類も名前も分からないが、ソレが拳銃だということだけは分かった。

 だが、フレデリカほどの天才的戦闘歌姫Divaですら通常兵器を持っていると云うのは、何も不思議な話ではないのかも知れない。

 歌唱とて無敵ではないのだ。実際、中山女史はパルチザンが放った凶弾によって命を落とした。


「どなた?」


 銃を構えながらフレデリカが尋ねると、


「ベッドを作りに参りました」


 と、ドアの向こうから女性の声が聞こえてきた。


「要らないよ。自分たちでやれるから」


「そんな! お客様の手を煩わせたとあっては、私がオーナーから叱られてしまいます!」


「……………………手早く頼むよ?」


 フレデリカがドアの鍵を開けた――瞬間、ドアが勢い善く開いてフレデリカの額を強打した。

 続いて部屋に何かが投げ込まれた。


「――手榴弾ッ!?」


 叫び、慌ててはちなな拡声器スピヰカーへと手を伸ばした歌子の視界の中で、手榴弾が爆発した。

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