第176話 せっかくだから、この赤い扉に
二人とも体を包む薄い膜を服へと変換して音声で右へと開いた白い扉から
外へと出る。継ぎ目なのか模様なのかわからない等間隔の線の入った
白い壁と天井に囲まれた通路だった。
スズナカはスタスタと進んでいき、私はその後ろを警戒しながら続く。
通路には左右に扉があり、恐らくは私のように人々の居室に続いているようだ。
しばらく歩いていくと、通路を抜けて私は唖然としてしまう。
光あふれる五段状になった巨大なホールの吹き抜けを無数の人々が
浮いて行って上昇したり、下降していったりと自由に飛んで移動している。
小柄なスズナカが私の手を引いて「重力オフ」というと私たちは浮き上がっていく。
二段目は食べ物屋が並んでいて低い柵を乗り越えて
私たちは塵一つない床の端に着地する。
「なーい、食べよっかなー。ほらーこの子快楽主義じゃない?
常に色々と食べたいものがあるのよー」
スズナカは私の手を引いて、左側の鏡張りのカフェのような場所へと歩いていく。
「楽しいなー。デートですねー」
「……あの、これでいいんですか?」
スズナカは振り向かずに
「うん。まだ時間はあるわ。修正者にもこの短期間なら発見されないでしょうし」
「この時代にミイさんが来たのも、歴史の修正者が代理で入ってて
時空が歪んでいるからですか?」
スズナカはニコリと笑って
「ここって、公のスペースだから、マイラポイントが自動でカウントされてるわ。
あなたは、いつも通り、公について発言しなさいな。
私はいつも通り、好き勝手言ってるから」
「……」
いや、そんなこと言われても困るよ!
この体の持ち主がいつも発言しているようにっていいたいんだろうけど……。
その発言の内容が分かるわけがない。中身は私なんですけど……。
カフェの外が見える席へと着席して、注文をスズナカが取りに行っている最中に
道を行き交う人々を観察する。
みんなにこやかで、悩みなんてなさそうで
服装や姿かたちはそれぞれだが、清潔な恰好をしていて
嫌な雰囲気を漂わせている人など一人もいない。
戻ってきたスズナカはパクパクとドーナツのようなものを食べながら
私にコーヒーによく似た匂いのする緑色の液体の入ったカップを勧め
「この船内はマイラポイント上位者だらけだからね。
ほぼ社会への高度適応者たちしかいないわ。
たまには、私みたいに不適応者に近いものも紛れてるけど
その人たちも私みたいに、高度適応者たちに保護されてるからね」
「……なんか、とても差別的な気がします。
優秀な人だけが、安全な星へと移れるって……」
スズナカはニヤリと笑いながら
「その発言で今、マイラポイントが百二点入ったわ。
発言を聞き取っているコンピューターが公平な観点から採点しているのよ」
「……」
なんか、何も言いたくなくなる。勝手に私の言葉を採点しないでほしい。
黙りこくっていると、隣の席に口ひげを生やしたハット姿の紳士が座ってきて
「こんにちは」
にこやかに、私へと挨拶してきた。できるだけ失礼にならないように
自然に会釈を返すと、紳士はニコッと微笑んで
「……会話が、お耳に入ったもので。
このシステムはとても、差別的だと私も思いますよ」
黙って私が頷くと、紳士は
「……しかし、人の生存本能というものは歪です。
我らのようなポイント上位者であっても、生きたいと願うものです。
公平な観念と、生存本能とは矛盾しています。
そこについては、どのようにお考えで?」
いや、なんか難しいことをいきなり尋ねられても困りますけど……。
スズナカに目で助けを求めると、彼女は平気な顔で
ドーナツを頬張った後に
「まあ、そもそもポイント上位者ってのが上っ面よね。
ポイントで他者からいかに評価されようとも
そんなもん、真の姿にはたどり着かないわよ。
だって、このシステムだったら上っ面だけ装って中身ちょークズの
高知能サイコパスだけが得をするわけでしょ?」
紳士は苦笑いしながら
「その通りですね。しかし、優秀なものが皆、共感性皆無ではない。
ポイントシステムはある程度の普遍性は持ちうるのでは?」
スズナカはニヤニヤしながら
「人ってのは有機物で、排せつもするしオナニーもセックスもするのよ。
嫉妬深いし、憎みもするし、愛しすぎたりもするメンタルだって一定じゃないし
機械みたいに冷静でもない。嗜癖なんてもっと深くに隠してる。
それも本人の実態だけど、そんなとこまでポイントつけるの?
無理でしょ?それをやりだしたら人権も何もありはしない。
リアルディストピアよ。
社会性っていう意味では、そのポイント自体が意味を持ちうるけど
真の姿では全然ないの。でーもー人って単純だからそれが広まると
ポイントの高低こそが上っ面じゃなくて、真の姿だと混同しちゃうのよねー」
紳士はニコリとほほ笑んで
「あなたに二百万ポイントほど送っておきました。
少し、気が晴れましたよ」
そういうと、スッと立って立ち去って行った。スズナカは鼻でため息を吐くと
「そんな、クソみたいな社会だけど、アイちゃんは救いたい?」
「……わかんないです。難しすぎるのもあるし
違う時代生まれの私には違和感しかないですから……」
「そもそも、今のは監察官よ。低ポイント所有者の私の思想確認に来たの。
なので取り繕わずに、忌憚のない意見を述べましたー。ちょろー」
なんとなくそんな気はしていた。
優し気だったが、目の奥は笑っていなかった。
その後、私とスズナカは薄い膜に新たな服を登録するショッピングを楽しんだり
そして自室へと戻った。スズナカがテレビを出現させて点けると
母星では、移住反対のデモが全土で起きているようだった。
「まあ、行かない方が、いいんだけどね。
これから、移住しようとする高ポインターたちは全滅するんだし」
スズナカが皮肉っぽくそういう。ここはプライベート空間なので
発言が採点されないはずなので、スズナカに
「あの、どうすれば、滅亡を防げるんですか?」
スズナカはニヤニヤしながら
「……あなたが、たどり着く前に宇宙空間で死ねばいいのよ。
当然、私もお供するけどー?」
「えっと……この体が死んだら……」
「もちろん、元の時代にあなたは戻るわ。私もこの体から離れますよー」
「ミイさん……なんか、企んでますよね?」
できるだけ真剣にそう尋ねると、スズナカは笑いながら
「あなたがテロを起こさなければ、後の時代に相当な影響が出るわ。
パラレルワールドが無数に新たに創出されるの。
歴史の修正者たちも上手く塞げるかわかんないくらいにね。
それこそ、正常な時空の流れから言えばテロよ」
「どっちにしろ、私はテロリストだと……」
スズナカはニコニコしながら
「まあ、あと二日あるし、悩む時間はあるわ」
と言った。
結局、翌日、私は宇宙空間へと行くことにした。
スズナカの思惑に乗るのは気に食わないが、人々を殺すというのも
それ以上に気に食わなかったからだ。
私はスズナカと共に、広大な船内の端にある脱出ポッドの赤い扉の前に立っていた。
「ふー船内の監視システムをマヒさせるの手間だったねー」
スズナカが楽しげに言う。
そうなのだ、私はスズナカと共に船内の機関部に入り込んで
監視の目を逃れながら、その中のプログラム?とかいう内部の命令を書き換えた。
そして、脱出ポッドに私たちがいつでも乗れるようにしたのだ。
したのだって……そりゃしたけど、なんか怖いよ!
スズナカは扉にパスコードを入力して開くと、迷わず入っていこうとして
「入らないの?」
「そ、そうですね」
「せっかくだから、この赤い扉に入らないとねー」
「せっかくってなんですか……」
スズナカから手を引かれて中へと入ると、意外と広い室内の奥に
操縦席が二つ並んでいた。
「じゃ、行きますよー」
「……どうぞ」
スズナカが操縦席の前のパネルを勢いよく押すと、背後の扉が閉まり
あっという間に加速していく重力が体を押し付ける。
そしてそれが消えると、前面の窓が開いて、宇宙の景色が私たちの前に広がった。
「これから、どこへ向かうんですか?」
スズナカはニコリとして
「母星からとにかく離れるだけよ。あとのことは何も考えてないわ」
「食料も何もないですよね」
「そうね。まあ、酸素もそんなには持たないだろうし。
そのうち、無事に死ぬでしょうね」
「……」
私たちは、宇宙空間を見つめながらしばらく沈黙する。
「良かったんでしょうか……」
スズナカは笑いながら
「実はさ、あなたが行かなくても植民者たちは滅びるのよ。
ハーティカルが力を与えたのは、十四人居たからね」
もう別に衝撃も受けない。そんなことだろうと思った。
「……まあ、いいですよ。何か、別の意図があったんでしょう?」
いきなりスズナカは纏っていた服を消して、薄い膜を脱ぎ捨て
局部や胸を覆っていたものも取り去ると
「やりましょう!」
と言ってきた。
「……いや、私は同性愛者じゃありませんし。そもそもミイさんも違うのでは?」
スズナカはニヤッとすると
「ふっ。私の恋愛キャリアを舐めない方がいいわ。
タジマへの想いを秘めつつ、どれだけの男と女、
男でも女でもないものたち、人ですらない者たちと馬鍬ってきたか。
ここは、この体の道主たちに敬意を示して、抱き合うべきよ」
「……」
正直、何も纏わないスズナカを見てムラッとしてきているのは
身体の反応なんだろうなというのは分かる。
大きく息を吐いて、私もすべてを脱ぎ捨てた。
……この体の持ち主であるアイさんに敬意を表して……。
いや、なんか、全然納得いかないけど、とにかく欲望はまってくれなかったので
その後、気を失うまで私たちは延々と脱出ポッド内で求め合った。
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