第9話 エーテル
ジョニーが大人しく寝たその後
公爵がまたすぐに顔を出してきた。
僅かに開いた扉からふくよかな顔を出して
「あの、ちょっといいかい?」
手招きしてきたので、私が近寄ると
「あとでママと会ってほしいんだけど……」
「あ、ああ、前代のシルマティック大公様ですね」
私が生まれる前くらいまで、このシルマティック公国を治めていた女傑だ。
引退した今でも敬意を込めて「大公」と周囲の国々では呼ばれている。
若かりし頃に即位すると、大国に挟まれたこの小国の舵を見事にとりきり
時には戦争にも参戦して、今の版図の二倍あった時期もあるらしい。
たしか今では息子の(私の目の前にいる)ノースに国と
帝国から授けられた公爵の位を譲り完全に引退して、余生を楽しんでいると
学校に行っていたときに歴史の授業で習った覚えがある。
そんな有名人に会いに行くと思うと緊張するが
とりあえず、公爵にできる限りの真面目な顔を作り、深々と頷くと
「よかった。じゃあ、まずは君が食べるものもこの部屋に持ってくるから
ここから動かないでね。警備とか難しくなるから」
公爵は人のよさそうな顔からウインクしてまた去っていった。
それから、メイドの人たちが持ってきた
肉や野菜、穀物の盛られた大量の料理を
窓際のテーブルに置いてもらって、景色を見ながら食べていると
「旨そうだな……」
「ひゃあっ」
いつの間にかジョニーが私の横に立っていて悲鳴をあげてしまう。
「あ、あんた、もう大丈夫なの?」
「ああ、俺は最強だからな。回復力も強いはずだ」
絶対自分の身体のこと分かってないなぁ……と思いながら
私は指をさして、少し離れた椅子にジョニーを座らせる。
「魔力回復食を作ってもらってるから。
とりあえず普通の食事も食べといて」
「……」
ジョニーは私の話を完全に無視して何と手で食べ始めた。
「……スプーンとフォーク使ってよぉ……あんたの分もあるんだけど」
アホはチラッとこちらを見てきて
「野生に舞い戻った俺に惚れろ」
かっこつけた目線を送ってきた。もうため息も出ない。
食べ終わり、私がジョニーに布巾を渡して
手や口を自分で拭かしていると
公爵が紫色に発光する液体の入ったビーカーを手に入ってきた。
「あ、食べ終わったようだね。魔力回復食作るのに時間かかりそうだったから
エーテル持ってきたよ。さ、ジョニー君飲んで飲んで」
「えっ、ええええええ……」
私は思わずのけぞってしまう。
エーテルと言ったら、超高額な魔力回復飲料だ。
一杯で庶民の家が余裕で建つ金額が……あっ……ああああああああ!
ジョニーは公爵からあっさりとビーカーを受け取ると
すぐにラッパ飲みして、そして
「ぶべらぁああああああ!まっず!」
私めがけて、口に含んだエーテルを全て吐き出した。
私の服が……服が……魔力を……服に……お金が……かけられ
家が建つくらいのお金が……ああぁぁぁ……。
私はアホの口から噴き出されたエーテル塗れのまま、その場に座り込んでしまう。
「あっ……お口に合わなかったかい?あ、アイちゃん大丈夫?」
オロオロする公爵を私は力なく見て
「あっ、あの……すいません、高価なものをうちのアホが……」
頭を下げようとすると、彼はなんと笑って
「いいんだ。ジョニー君の好みを考えなかった僕が悪いよ」
私のエーテル塗れの顔をハンカチで優しく拭いてくれる。
久しぶりに感じたミッチャム以外の大人の優しさに泣きそうになっていると
「おい、おっさん。モブである貴様と
ヒロインであるアイの恋愛フラグは立たないぞ。無駄な抵抗はやめろ」
アホが意味不明なことを言ってきて、私は思わず怒りで立ち上がり
「おい、アホ!公爵様に謝れ!」
涙目でアホを一喝する。
「いやだ。今のは本当に不味かった。うちのばあちゃんの毒味噌汁より不味かった」
頬をはたこうとした私とジョニーの間を
「待って待って!二人とも落ち着いて!」
公爵が遮ってくれて、何とか私は落ち着くことができた。
色んな低賃金バイトをしてきて、お金を稼ぐことの大切さは身に沁みしている。
エーテル一本買うために、何年バイトしないといけないか分かってるんだろうか。
その後、私たちはヒラヒラのたくさんついた上級貴族の子女が着るような
高価なドレスと貴族用の服を用意され
シルマティック大公に会いに行くことになった。
私は立ったまま、隣の部屋で三人のメイドたちに着替えさせてもらう。
もう日が沈んで、いくつものランプの火が室内を明るく照らしている。
「綺麗な体ですね、貴族の生まれですか?」
微笑みながら、褒めてくれるメイドさんに
「えぇ……一応、貴族だと言えると思います……」
しどろもどろに答えると、三人ともさらに嬉しそうに手を動かし始めた。
何か、両親が生きていたころを思い出すなぁ。
沢山のメイドたちが家に居て
私は名家の出なので奉仕されるのが当たり前だと思っていて
みんなネルファゲルト家の名前を尊重してくれて……あぁ。
ダメだ、泣いたらダメ。ちゃんと気を強く持つの。
そう思いながら、私は黙って着替えが終わるまで待つ。
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