ロス・マクドナルドは何故、ロス・マクドナルドなのか
フラートフ
ロス・マクドナルドは何故、ロス・マクドナルドなのか
学生時代、ハードボイルドと本格ミステリーを融合させたと云われる作家のある小説を読んだ。これは…ではないのか。
数年後、日本のある作家のミステリーを、書かれた経緯も合わせて読んだが、あの事には触れていなかった。世間からもそういう噂は上がらなかった。そうか、誰もそう思わないのか。
2007年、ある作家のミステリー評論集が出版され、ほどなく図書館で読んだ。その中にその作家論があったが、その様な言及はなかった。
その後ネット社会が進み、といってもたまに図書館の端末でしか関わらないアナログ人間なので、覚束ない手付きで調べてみたが、同じ意見は見当たらなかった。
数ヶ月前、ある事に気づかされ、確信した。
今日、どうしようか迷ったが、思い切って電話を…。
「はい、…社編集部です」
「すいません、そちらで出版されたある本について、担当の方のお話を伺いたいんですが、よろしいでしょうか」
「どういう本でしょうか」
「鬼灯林太郎さんの『複雑なる殺人芸術』という本なんですが」
「分かりました。担当の者に代わりますので少々お待ち下さい」
「はい、お電話替わりました。どういったご用件でしょう」
「はじめまして、…という者です。お忙しい所申し訳ありません。
さっそくですが、鬼灯さんのミステリー評論集、『複雑なる殺人芸術』の一番最後に載っている『複雑なる殺人芸術』は、三大ハードボイルド作家の一人のロス・マクドナルド論ですが」「はい」
「その論の中心は『ウィチャリー家の女』の第十一章の分析ですね」
「ええ、そうです」
「内容は、メイントリックの一人二役、妊娠している娘が自分の母の振りをするのは、無理があるとして一部で評価が低い事に対する、文体分析による反論です」
「はい」
「で、その『ウィチャリー家』なんですが、ある仮説がありまして、この本の編集者の方にご意見を伺いたいと思いまして、お電話した次第なんですが、ご迷惑だと思いますが、10分ほどよろしいでしょうか」
「いえ、構いませんよ」
「ありがとうございます。仮説というのは、『ウィチャリー家』は、ある作家の小説へのオマージュなのではないか、ということなんですが、そんな話をお聞きになったことはありますか」
「いえ、ないですね」
「そうですか。ではヒントを出しますので、考えてみて頂けますか」
「ええ、いいですよ」
「まず、題名が『ウィチャリー家の女』、原題はThe Wichary Womanです。次に、母と娘、つまり、二人のウーマンです。最後に、娘が実は亡くなっている母を演じる、つまり一人二役ですが、英語ではダブル・ロール、ダブルと言いますよね。どうでしょう、ある題名を思い付きませんか」
「もしかして、夏樹静子さんの『Wの悲劇』ですか」
「はい」
「いやぁしかし、『ウィチャリー家』が書かれたのは『Wの悲劇』より前ですよ」
「ええ、『ウィチャリー家』は一九六一年、『W』は八二年ですから。なので、『ウィチャリー家』が『Wの悲劇』へのオマージュだということではありません。
私が言いたいのは、『ウィチャリー家』は『Wの悲劇』として書かれたのではないか、つまり、ロス・マクドナルドは、エラリー・クイーンの『Xの悲劇』、『Yの悲劇』、『Zの悲劇』、『レーン最後の事件』の悲劇四部作への秘かなオマージュとして、『ウィチャリー家の女』を書いたのではないか、ということです」
続けて話を聞いてもらえるだろうか。
「なるほど…。しかしもしそうだとすると 、なぜ『Wの悲劇』という題名で発表しなかったんでしょう」
「ええ、 そこなんですが、まず夏樹さんの『 Wの悲劇』は、悲劇四部作へのオマージュとして、同じ本格ミステリー作家として尊敬するエラリー・クイーンの許可を得て書かれた、ということはご存じですね」 「はい」
「さらに、『W の悲劇』がアメリカで翻訳出版されたこともご存じだと思います」「ええ」
「では、そのアメリカ版の題名はいかがですか」
「ええと、確かMurder At Mt. Fujiですね (一九八四年セント・マーチンズ社)。『富士山の殺人』とでも訳すんでしょうか。アメリカでテレビドラマの『ショーグン』が大ヒットしたのが一九八0年ですから、ジャパン・ブームがあった数年後で、いかにもな題名を付けた感じですが」
「はい(確認のため、日米文化相互誤解を嗤うW・C・フラナガン著 小林信彦訳『素晴らしい日本文化』を読んだが面白い)。ではなぜ、The Tragedy of W という題名じゃないんでしょうか」
「ウーン、言われると確かに」
「想像ですが、『Wの悲劇』という題名はクイーンしか使ってはいけない、という暗黙の了解というか不文律が、アメリカの出版界にあったんじゃないでしょうか。
今喋ってて、思い付いたんですが、事によると不文律ではなく、The Tragedy of Wという題名は商標登録されていたのかもしれません。昔は日本ではそんな考えはほとんどありませんでしたが、最近は盛んになって、既にある名前だけでなく将来使いそうな名前や類似した名前まで商標登録しますよね。その当時既にアメリカではそういうことがあったのかもしれません。だからアメリカではThe Tragedy of Wという題名は使えなかった、ロス・マクドナルドも夏樹静子さんも。たとえ登録していなくても、使えるのは本格ミステリーの巨匠クイーンだけ、彼以外が使うなんて許されない、という雰囲気があったのかもしれない」
「なるほど、だから秘かに、ということですか」
「はい。このオマージュ説を思い付いたのはかなり前で、最近ネットで〈ウィチャリー家の女 Wの悲劇〉で検索すると、福島読書会という定期的なイベントをしている人達が、二0一七年の七月に開催した『ウィチャリー家の女』の回で気が付いたようです」
「ほぉー、そうですか」
「ところで、半年程前にこれを補強する発見がありまして」
「ほぉ」
「といっても、その発見は最初から目の前にあったんですが。で、鬼灯さんの評論を読み返してまた発見がありまして、思い切って今、お電話してるということなんです」
「わかりました。で、その発見というのは」
「それは…、ロス・マクドナルドは、なぜロス・マクドナルドなのか、ということなんです」
「んっ、どういうことでしょうか」
「ロス・マクドナルド、本名ケネス・ミラーは、なぜロス・マクドナルドという筆名を選んだのか、ということです。その理由というか答えに気付いた時、あっ、と叫びました。ただ、私が知らないだけで、もしかしたら、ご存知でしょうか」
「それはお父さんの名前からだと鬼灯さんの評論にありますよね」
「ええ、マクドナルドは。でもなぜロスなのかは」
「いや、それは私も知らないですね」
「良かった。鬼灯さんの評論が、その疑問をより強めてくれたので引用しながら説明します。
ロス・マクドナルドは最初ケネス・ミラーという本名でデビューしました。しかし奥さんのマーガレット・ミラーがミステリー作家として既に有名だったので、ジョン・マクドナルドと改名した。これは父親のジョン・マクドナルド・ミラーという名前から採った、というのは今回鬼灯さんの評論を読み返して初めて気が付きました。
ところがミステリー作家のジョン・D・マクドナルドから抗議を受けてジョン・ロス・マクドナルドと改名し、最後にロス・マクドナルドとなる。こういう経緯ですよね」
「そうです」
「そしてこれはウィキペディア情報ですが、彼が生み出した探偵リュウ・アーチャーという名前は、映画『ベン・ハー』の原作者ルー・ウォーレスと、ハードボイルド作家の巨匠ダシール・ハメットが書いた『マルタの鷹』、その探偵サム・スペードの相棒マイルズ・アーチャー、このルーとアーチャーから来ているそうです。リュウとルーは同じLewというスペルです。
しかも彼の『動く標的』が映画化される時、探偵の名前がリュウ・アーチャーからルー・ハーパーに変わっているんですが、それはマクドナルドが名前の版権を保持したかったからだそうです。
つまり、彼はこれだけ名前に強い思い入れがある。ケネス・ミラーは本名だし、ジョン・マクドナルドはお父さんの名前、探偵リュウ・アーチャーにも由来がある。
ところが、ロスという名前だけ判らない。どこから来ているのか、どういう理由なのか」
「フーン…」
「どうでしょう、誰かの名前を思い出しませんか」 「うーん、いやぁ、思い付きませんねぇ」
「そうですか。では後にしましょう。
名前についてまだ不思議なことがあります。ケネス・ミラーからジョン・マクドナルドと改名しての第1作『動く標的』、初登場の私立探偵に、アーチャーと名付けたことです」
「ほう」
「『マルタの鷹』はお読みになりましたか」
「ええ、映画も観ています」
「思い出して欲しいんですが、ハンフリー・ボガートが演じる探偵サム・スペード、その相棒のマイケル・アーチャーは、依頼を受けてすぐ、殺されてしまいます」 「ええ、そうです」
「しかも、彼の妻は実は相棒のスペードと浮気をしている」「あぁ、そうだ。思い出しました」
「ロス・マクドナルドが三大ハードボイルド作家のハメットとチャンドラーを尊敬しているのは確かです。『現代私立探偵論』というエッセイで、「初期の作品は、他の作家たち、ことにハメットとチャンドラーに対する私の”借り”を明らかに示しており、事実、衝撃的なオリジナリティなどを目指したものではなかった。商売のコツを学び、私自身の技法を身につけはじめるあいだ、私を経済的に援助し、指導してくれた作品だったのである」と書いています。
しかし秘かに恩義を感じている作家の産み出した探偵とはいえ、かなり駄目な設定です。そんな探偵の名をなぜ自分の小説の主人公に付けたのか」
「そうですね。確かに変です」
「アーチャーという音の響きや、狩人という意味が探偵にぴったりだからかもしれませんが、それにしてもという気がします。
そこで気になるのは、父親のことです。翻訳家の柿沼瑛子さんのブログによると、父親はかなりの自由人で、ケネスが四歳の時、家族を捨て出ていったために恨んだが、死亡保険金で大学に行けたそうです。もしかしたらアーチャーに、愛憎半ばする父の姿を重ねていたのかもしれません」
「ふむ」
「更に自分の姿も」
「んっ、どうしてですか」
「妻のマーガレットに、作家としての成功だけでなくミラーという名前さえも奪われてしまったからです」「なるほど」
「だからケネス・ミラーから改名する際、父の名前からジョン・マクドナルドとし、探偵の名前を好きな作家リュウと、父と自分を想わせる探偵アーチャーを組み合わせた」
「ウーン」
「再び改名を迫られた時にジョン・ロス・マクドナルドとし、最後にはジョンを消してロス・マクドナルドになった。
なぜジョンを消したのでしょう」
「それはジョン・D・マクドナルドとの区別をより計るためじゃないですか」
「勿論それもあるでしょうが別の想いもある気がします、ここからはかなり妄想的なんですが。
柿沼さんのブログによると、ケネス・ミラーの母親はアン・モイヤー、妻の旧姓はマーガレット・エリス・シュトゥルムです。
ということは家族の名前は、父ジョン・マクドナルド・ミラー、母アン・モイヤー・ミラー、息子ケネス・マクドナルド・ミラー、妻マーガレット・シュトゥルム・ミラー、の可能性がある。イニシャルに全員M.Mが入るんです。そして筆名では、ジョン・ロス・マクドナルドからジョンを消すことで、心理的にロス・マクドナルド・ミラーになる。父親の影から脱し自分で名を付けながらイニシャルM.Mに、家族の一員に戻れるんです」
「なるほど」
「実は当時、娘のリンダが轢き逃げを起こしてます。その後も失踪したり、かなり問題を抱えている。ミラー家の絆を取り戻したかったんじゃないでしょうか。
しかしロスだけは由来が判らない。思い付きませんか」
「いや、駄目ですね」
「このことはまた出てくるので覚えておいてください」
少しは興味を持ってくれるだろうか。しかし、ここからこの説の弱点を話さなきゃいけないんだけど…
「ただ、数日前、残念な発見がありまして」
「なんでしょう」
「『ウィチャリー家』=『Wの悲劇』説の根拠の一つ、W=一人二役というのは成り立たないそうです」
「えっ、どうしてですか」
「一人二役=ダブル=W、と思い込んでいたんですが、ネットで調べたところ、W=ダブル、ではないそうです」
「そうなんですか」
「はい、アルファベットのWというのは元々、小文字のuが二つ、つまりuu、 またはvが二つ、vvから来ているそうで、そこからdouble u、つまりダブル・ユーからダブリューという発音になったそうです。だから英語圏の人にとってWにdouble の意味はない。ところが日本人はダブリューとダブルの聞き分けや発音が出来ないので、W=ダブル、つまりWを二重とか二倍の意味で誤用するようになったそうです、私もその一人ですが。
そうすると、ロス・マクドナルドが、Wからdouble 、つまり一人二役を発想するはずはないので、第三の根拠はなくなってしまいました」
「そうですか。いや、私も知りませんでした」
「ただそれに関して、脱線しますが面白い発見もあります。夏樹さんの『Wの悲劇』のメイン・トリックは、Wが第四の未知数を表すということから来ている、とあとがきで夏樹さんは書いていますが、元はこの誤解から発想したのかもしれないということです」
「どういうことでしょう」
「『Wの悲劇』では、警察を騙すための細かいトリックは、読者に端から明かしていますが、メイン・トリックは二重と見せて…という構造になっていますよね。これはW=ダブル、という発想から来ているんじゃないでしょうか」
「そうですね、確かにそうだ」
「夏樹さんは英語が堪能なので読者を騙す為に知っててやった可能性があります。
さらにいえば、映画の『Wの悲劇』もW=ダブルという誤解から発想してると思います。小説『Wの悲劇』の舞台の全国公演の最中に、小説に似たような事件が起きる、という二重構造です。もっとも、小説→舞台→映画、という三重構造とも言えますが。ただし冷静に考えるとあのお話は成立しないと思います」
「そうですか」
「原作の『Wの悲劇』は、母の殺人を娘が被ります。しかし映画は、その芝居を巡業中の看板女優のスキャンダルを無名の新人女優が被るという話です。百歩譲って二人の女優が冷静さを欠いていたからこんなことを思い付いて決行したとしても、原作や舞台を知っているはずの関係者やマスコミ、世間の人が、彼女は誰かをかばってるんじゃないか、と疑わないはずがないんです」
「うーん、そうですね。言われればそうです」
「ただし、原作を読んでない人は映画を最後まで観ないと判らないし、読んでいる人は、新人女優がスキャンダルを被るという、云わば早めのネタバラシから彼女がどうなるのかに気をとられて、無理筋であることに気が付かない。脚本の構成の巧さでしょうね。
こう言ってもいい。a=bという原作の舞台化の最中にA=Bが起きた。しかし映画ではA=Bをだけを見せて原作兼舞台のa=bを隠した。しかもA、つまりヒロインを糾弾する役に実際のテレビの芸能リポーター達をそのまま起用し、想像力のない有象無象、ハゲタカとして十把一からげに描き、その後ろにいる一部の大衆の象徴としている。だから原作を知っている映画の観客にもおかしいと思わせなかった。こちらは演出の勝利です。
映画や舞台というのは、観てる間だけ騙せればいいというところがあって、そこが、時々立ち止まって冷静になったり妄想を膨らませたりする小説や連続ドラマと違う、時間芸術と言われるところでしょう」
「脱線しましたが、W=ダブルではない、ということでガッカリしたんですが、しかしもう一度見直して、ンッ、と思ったんですよ」
「なんですか」
「W=ダブル、ではないですが、W= double uではあるわけです」
「ええ、お話だとそういうことになりますね」
「で、uというのはあなた、youの略語としても英語圏でも使われますよね」
「ええ、使います」
「ということは、W=double you 、二重のあなた、という解釈も出来ると思うんですが」
「ええ」
「そうなるとまた可能性が出てきます。鬼灯さんの詳しい分析にありますが、『ウィチャリー家の女』第十一章で、探偵リュウ・アーチャーは失踪したフィービを探し、ウィチャリー家を出ていった母キャサリンに会う。その際、彼女に若い女性が時々重なって見えます。それは実は亡くなっていた母の振りをしている娘だからですよね」
「そこが評論での分析の中心ですね」
「つまり母と娘が重なって見える。ダブル・ユーです。さらにその時、娘は妊娠中です。だから彼女とお腹の中の赤ちゃんが正に重なっているんです」 「そうです、そうですね」
「ということは、彼女は母を演じている娘であると同時に、母になりつつある娘だ、ということです」 「母と娘が重なっていると同時に、娘と胎児が重なっている」
「そう言えますね。正に二重構造であると同時に三重構造のWです。ですからWという文字から母と娘と孫の設定や、一人二役トリックを思い付くことはあると思んですが」
「そうですね、…うん、あり得ます」
「ありがとうございます。これで『ウィチャリー家』=『Wの悲劇』に一歩近づきました」
「ここで、ケネス・ミラーの年表を見てみます。ハヤカワミステリ文庫のロス・マクドナルドの『トラブルは我が影法師』巻末の著作リスト、鬼灯さんの評論、ネット情報等を引用補足して作ったものです。
一九一五年 ケネス・ミラー誕生
*二九年 エラリー・クイーン『ローマ帽子の謎』でデビュー
*三0年 ダシール・ハメット『マルタの鷹』
三一年 学園誌にホームズのパロディ『南洋スープ会社事件』を発表
三二年 学園誌にファイロ・ヴァンスのパロディ『Philo France, in the Zuider Zee』を友人と共作発表
*同年 バーナビー・ロス『Xの悲劇』『Y の悲劇』翌年『Zの悲劇』『レーン最後の事件』
三八年 大学の同級生マーガレット・シュトゥルムと結婚
四0年 娘リンダ誕生
*同年 映画『マルタの鷹』
四一年 妻マーガレット・ミラー『見えない蛆虫』でデビュー
四四年 『暗いトンネル』でデビュー
四五年 マーガレット『鉄の門』で成功
四九年 第五作『動く標的』ジョン・マクドナルドに改名(探偵リュウ・アーチャー初登場)
五0年 第六作『魔のプール』ジョン・ロス・ マクドナルドに改名
五六年 娘リンダ、轢き逃げ事件(一人死亡一人重体)
同年 第十一作『凶悪の浜』ロス・マクドナルドに改名
五八年 第十二作『運命』
五九年 リンダ、失踪事件(マクドナルドが雇った探偵によって発見)
六一年 第十五作『ウィチャリー家の女』
六八年 第二十作『一瞬の敵』
七0年 リンダ死去
八三年 死去、六七才
八九年 孫ジミー死去
九四年 マーガレット死去
となります。ちなみにですが、
三一年 『南洋スープ会社事件』の南洋スープはSouth Sea Soup でしょう。また
三二年『Philo France, in the Zuider Zee』は『ゾイデル海のファイロ・フランス』とでも訳すんでしょうか。ゾイデル海はオランダにかつて存在した湾です。それに、
五二年 第八作『象牙色の嘲笑』The Ivory Grin の改題名 Marked For Murder
五三年 第九作『死体置場で会おう』Meet At the Morgue の改題名Experience with Evil
があります。
このような題名の中の頭韻が、アマチュア時代やThe Wichary Woman を入れて六度あります。こういう言葉遊びはクイーンの得意とするところです。クイーンを読んでいたかは判りませんが、高校時代にホームズやヴァンスの名探偵物のパロディを書いている事から、かなりのミステリーマニアだと思います」
「でしょうね」
「そして気になるのは娘さんの轢き逃げです」
「ええ」
「この年に発表した『凶悪の浜』は非常に評価が低いんですが、事件で執筆に身が入らなかったか、以前書いて駄目だった物を出したかもしれません」 「あり得ますね」
「ところがここでまた勘違い、早とちりをしました」
「何ですか」
「最初、その後の娘の失踪や翻訳家の柿沼暎子さんのブログを知らなかったんです。だからマーガレット・ミラーが娘さんを妊娠している時に、『ウィチャリー家』を書いたのではないか、と思っていたんです。で、今回お電話するにあたって、しばらく読んでなかった『ウィチャリー家』をやはり読み返さないとと思って探してたら、マーガレット・ミラーの『心憑かれて』を偶然見つけまして」
「はい」
「で、パラパラとめくってたら巻末に一九八九年の彼女へのインタビューが載ってました」
「ほぉ」
「そこでこんなことを語ってます。
〈先月は特にわたしにとっては耐えがたいものだったわ。孫息子を亡くしたのでね。あの子はわたしたちの唯一の子供で一九七0年に亡くなった娘のたった一人の息子だったのよ。言うなればミラー一族の血統はこれで永遠に途絶えてしまったわけね。〉
ということはミラー夫妻の娘さんが一九六0年頃マーガレット・ミラーのお腹の中にいるとは思えない」
「そうですね」
「そこで柿沼さんのブログを調べると娘のリンダが生まれたのは一九四0年だと判りました。とすると孫のジミーは五十九年生まれかもしれない」 「はい」
「もしそうなら妻マーガレットの娘リンダが失踪中のお腹に、孫ジミーがいた可能性がある。これは『ウィチャリー家』の設定そっくりです」
「確かに」
「そしてもう一度注目したいのは、ロスという名前の由来です」
「ほぅ」
「もし私の仮説が正しいなら、『ウィチャリー家の女』は『Wの悲劇』ですよね。そしてそれは『Xの悲劇』、『Yの悲劇』、『Zの悲劇』、『レーン最後の事件』へのオマージュです。ではそれを書いたのは…」
「エラリー・クイーン」
「ですが、元々はクイーンではないですよね」
「あぁ、そうでしたね。えーっと、ちょっと待ってくださいよ。…えーっと、…んー、……あっ、バーナビー・ロス、…えっ、あっ、バーナビー・ロス!ロス!」
「そうです。エラリー・クイーンが正体を隠し、『X』『Y』『Z』『最後の事件』の悲劇四部作を書くためだけに、別の筆名として使ったのがバーナビー・ロスです。そのロスが、由来ではないでしょうか」
「そうかぁ」
「ケネス・ミラーという名を捨て、離婚して出ていって死んだ父親の名ジョン・マクドナルドを継ぎ、密かに敬愛する作家名ロスを入れたという推理が正しいとします。これは『ウィチャリー家の女』で、フィービという名を捨て、離婚して出ていって死んだ母親キャサリンの振りをし、密かにお腹に大切な子を宿している姿にも重なります」
「ウーン」
「まとめてみます。
本名でデビューしたケネス・ミラーは妻マーガレット・ミラーが先に売れたために、筆名を父の名前ジョン・マクドナルドに変えると共に、探偵の名前も尊敬する作家リュウと、父と自分を想わせる探偵アーチャーを組み合わせた。だが先輩作家から再び改名を迫られ、密かに敬愛する作家バーナビー・ロスの名を採りジョン・ロス・マクドナルドとした。以降、ロスつまりクイーンを継ぐ『Wの悲劇』を書きたいという意識が芽生えたか以前からあって強くなっていった。
しかし娘が轢き逃げを起こした。そこで最後の改名で不遇な父の名ジョンを捨てロス・マクドナルド・ミラー、つまりM.Mというミラー家の絆を求めた。
ところが今度は娘が失踪した。その時もしかしたら彼女は、お腹に赤ちゃんがいたかもしれないし、母親名義でホテルに泊まったりしたかもしれない。娘は見つかったものの、轢き逃げの時と同じく苦境に立ったマクドナルドは、この事態を乗り越えるために小説にしようと考えた、鏡に写す様に。Mを鏡に垂直に写すとWになることは、子供の頃から知ってる筈です。だからW.Wになる題名を考えた。さらにジョン・ロス・マクドナルドという名前やWという字から、母と孫と娘の設定や敢えて無理のある一人二役のトリックを考え、書かれたのが、ロス・マクドナルド版『Wの悲劇』The Wichary Womanだった…。
私の勝手な妄想ですが」
「……ウーン、いや、なかなか面白いです。ところで…さん、今までどうしてこの仮説を発表しなかったんですか。それに今なぜ発表しようと思ったんですか」
「これを叔父が思い付いたのは『ウィチャリー家の女』を読んだ一九八四年頃なんですが、こんなこと、専門家、つまり作家や評論家の方がとっくに発見して発表してるだろうと思ってたんです」
「あ、元は叔父さんですか」
「はい。しかしその後、夏樹さんの『Wの悲劇』が出版され、書かれた経緯も読んだんですが、そういう指摘はなかった。
『Wの悲劇』はアメリカで翻訳出版され、日本では映画化され話題にもなったし、TVドラマ化も何度もされていますが、やはりそんな話はどこにもなかった、私達が知らないだけかもしれませんが。そして鬼灯さんの評論にも。
違うのか、でも、という思いを叔父は抱えたまま、最近までいたんですね。ところが半年程前、私がロスの由来を閃きまして。その後のネット調査も私が……。このコロナ禍で暇もありましたし。叔父は、元々面倒くさがりの怠け者なんです。でもやっぱり、自分の考えが真実なのか知りたい、ということです」
「なるほど……」
「最後に、彼の小説には現実に起きた〈父の喪失〉と〈娘の失踪〉、そしてその〈探索と発見〉が、形を変え何度も出てきます。また、本名のケネス・ミラー時代は、スパイ、スリラー、サスペンス物と試行錯誤しますが、ジョン・マクドナルドに改名してからは、そこで登場したリュウ・アーチャー物だけを生涯書き続けます。そしてジョン・ロス時代を経てロス・マクドナルドとなってからは、『ウィチャリー家の女』、『縞模様の霊柩車』、『さむけ』などの代表作を書いています。とすると彼の改名と小説の変遷も、自己の〈喪失と失踪〉、その〈探索と発見〉の物語と言えるでしょう。
そしてその代表作から、鬼灯さんも書いている様にロス・マクドナルドは、ハードボイルドと本格ミステリーを融合させた作家、と言われています。しかしそれは、ジョン・マクドナルドという駆け出しのハードボイルド作家と、バーナビー・ロスという幻の本格ミステリー作家の名前を組み合わせた時から決まっていた、というより、彼が自分から引き寄せた〈運命〉、という気がします…」
という様なことを、今から電話で話すつもりなのだが、叔父さんがしてくれりゃいいのに困ったもんだ。心配なのはこれが、〈素晴らしい『ウィチャリー家の女』論〉にならないか、ということだ。
もう一つ心残りなのは、読み返そうと思った『ウィチャリー家の女』が、未だに見つからないことである。
「はい、…社編集部です…」
*追記
姪の話の後で今さらだが、ウィチャリー家のWには家を捨てた母、Motherの裏返しと、Fatherの意味も込められているかもしれない。
鬼灯林太郎氏の五冊目の評論集『フェアプレイを越えて』が2021年11月15日に出た。相変わらずの博覧強記と分析力洞察力に目が眩む想いがする評論は正直、最近の短編より彼自身楽しそうに見える。
その最後に載っている表題作は、1968年第二十作『一瞬の敵』に基づく続ロス・マクドナルド論だ。鬼灯氏は、登場人物の「ヘンリエッタ・ルース・クラッグが次々と夫を取り替え、エッタ・ブレヴィンズ→ルース・ハケット→ルース・マーバーグと名を転じていく」と書いているが、私には、ケネス・ミラーが、ジョン・マクドナルド→ジョン・ロス・ マクドナルド→ロス・マクドナルド、と名を転じた事の投影に思える。最後の名前は響きまで似ている。
そしてヘンリエッタの息子ジャスパー・ブレヴィンズが異父弟スティーヴン・ハケットを事故死に偽装して殺害し成りすますが、これも父や憧れの作家の名を継いだ自分か、それとも失踪時の娘の投影だろうか。
一人称語りのミステリでは、人物Aが偽名Bを使えば会話でも地の文でもBと書く。書いているのが真相の判った後でも、その時は騙されていたのだから許されるだろう。しかし61年の『ウィチャリー家の女』では、地の文で嘘は書かないという厳格なフェアプレイを貫いている事を、『複雑なる殺人芸術』は実証した。
会話の中では偽名を使う事で、作者は語り手兼探偵と読者を騙す。しかし地の文では〈女は〉と書いて本名を隠す事で、作者と語り手が読者を騙す。そこに「作者と語り手である探偵の乖離と同一化」(小鷹信光)という矛盾をはらんだ文体が生まれた。
しかし最新評論『フェアプレイを越えて The Far Side of Fair Play 』は、ロス・マクドナルドがその厳格さを68年『一瞬の敵』では弛めている事を示した。犯人が成りすましている被害者の名を所々でそのまま書いているのだ。
「「作者と語り手である探偵の乖離と同一化」という「矛盾をはらんだ文体が、「顔のない死体」=「犯人とその分身である被害者の乖離と同一化」の謎に直面するという合わせ鏡のような小説に」なっている、と鬼灯氏は書いている。作者と探偵の間で揺れ動く語り手が、犯人と被害者の間で揺れ動く死体という事件に遭遇したという事か。
そして小説の最終章で、犯人である「無名の「彼」が一人だけ立たされた「空白な空間(blank space )」」が現れる。その「出現をきっかけに、ロス・マクドナルドの小説世界は、徐々に内部崩壊への道を歩んでいくことになる」と評論は結んでいる。合わせ鏡の様な空白な空間に立ち、本名も偽名も無くしたのは、犯人だけなのか…。
ミラー家と、MをWに写す鏡のミラーはスペルが違うので、姪と話している時に気付きながら言わなかったのだが、また奇妙な暗合になってしまった。ロス・マクドナルドが意識していたとは思えないが。というよりこの暗合が、我々日本人に無意識の内にこういう発想や表現を選ばせてしまうのか。
ミラーという本名も、ジョンという父からの筆名も失くし、ロスという由来の判らない名前を持つ男。そのRossも、日本的に考えれば、Loss、喪失になってしまう。娘リンダが亡くなるのは、『一瞬の敵』の二年後だ。その後、ケネス、孫ジミー、妻マーガレットも亡くなったので、彼女の言った通り、ミラー家は途絶えたのだろう。
ところで、鬼灯氏は最近、作家兼名探偵鬼灯林太郎の長編を出していない。彼が出ない難解な知的遊戯や、出ても嘗ての深刻さや苦悩がない短編だ。鬼灯氏にとっても、作者と探偵の過去と現在に於ける、乖離と同一性は他人事ではない様だ。ただし理由は全く違う気がする。
彼の、ほぼ全ての中長編に隠された人間関係、日本ミステリ界に提起した後期クイーン問題(特にレッドヘリング問題)、『容疑者Xの献身』論争で取り上げたP≠NP問題、この三つの関連性も興味深いが、またにしよう。
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