第48話 去る者と来る者

 父からの連絡により、今日は定時に帰宅した。

 リビングに入ると、ソファーに座っていた母が立ち上がり、私の側に寄って来た。

 


「あら、今日は早いのね。 体調でも悪いの?」


 手を握られて、ソファーに座った。

 私が精神的に弱っている姿を見せてから、母は過剰に心配をする。

 ありがたいと思ってはいるものの、反面、居心地の悪さのようなものを感じてしまう。



「具合が悪い訳じゃないわ。 たまには早く帰りたいと思っただけ」


 母に気を遣わせない為に、父に言われた事を伏せた。



 その後、家政婦が用意してくれた紅茶を飲みながら母と談笑していると、父が帰って来た。



「あら、あなたも早いのね。 今日は、どういう風の吹き回しなのかしら?」



「優佳里と仕事の話があってさ。 家で落ち着いて話したかったのさ」


 母は、怪訝そうな顔をして、私を見た。

 


「ママ。 実はパパと話があったの …」


 父が話した事により、母への気遣いが台無しになってしまった。



「あら、そうなの? 仕事の話を家庭に持ち込まない人が珍しいわね」


 母は、父の方を向いた後、心配そうな顔をして私を見た。




 その後、父の書斎に入り、2人は、膝を突き合わせて座った。


 この書斎に入るのは、かなり久しぶりである。

 いや、久しぶりどころか、子どもの頃に忍び込んで以来の事だった。

 昔から、私に甘かった父であったが、この時ばかりは叱られた記憶がある。

 この部屋に鍵が付けられてからは、入る事はなくなった。



「今日、陣内と話した件だが、優佳里は、どうあっても、菱友香澄と話を進めるのに反対なのか?」



「あの、冷静な陣内の態度が気になるの。 洗脳されたような不自然さを感じるわ。 空手で心が通ったとか、バカな事を言ってたけど、言い訳の為の方便にしか思えない。 住菱は、丸菱より、さらに強大な敵よ。 新たな信頼関係なんて言うけど、そんなのは、絵空事よ。 だから、私は反対する!」


 陣内が敵に寝返った事への怒りも影響し、私は大きな声を出してしまった。



「そうだ、それで良い。 優佳里は、風間涼介を通じて、田川正蔵を動かせ。 明日以降は、社長と専務で意見が分かれている様に見せかけるんだぞ。 関ヶ原の戦いで、敵味方に分かれた真田のように、生き残りのために、両天秤で進める。 もちろん、この事は秘密裏に進めるが、ある程度のところに行くと誤魔化しきれなくなる。 その時は、より深い信用を勝ち取るために、盛大に対立してる姿を見せるんだ。 企画調査部 課長の飯野均を知ってるだろう。 陣内が退職したら、代わりに、彼を優佳里につける。 良いな!」



「もし、私の方が勝ったら、パパはどうするの?」



「その時は、俺は引退する。 その逆の場合は、会社が安定したら、優佳里を俺の代わりに据える。 明日から、会社では、優佳里と対立する様に見せかけるが、本音の会議は、この書斎で行う。 良いな!」

 

 父は、会社に居る時と違い、人懐っこい顔で話す。あまりの表情の違いに、同一人物かと疑うほどだ。

 それは、子どもの頃から、私に見せた顔だった。

 


「どうした? 俺の顔に何かついているか?」



「ううん、何もついてないよ」


 私は、笑って誤魔化した。



◇◇◇



 翌日の朝、会社で執務をしていると、陣内が訪ねて来た。

 部屋に入ると、気のせいか、いつもより緊張した面持ちに見える。



「桜井専務、本日付けで退職する事になりました。 お世話になりました」



「そう。 残念だけど仕方ないわね。 私こそ、お世話になったわ。 最後に意見が合わなかったけど、気にしないで …。 他社へ移っても、変わらずに信頼しているわ」


 本心であった。

 最後に嫌味の一つでも言えば良かったのだろうが、思いつかなかった。



「同じ方向を見て進んで行けるように、自分なりに最大限の努力をします。 桜井専務も、ご自身の信念に従って、最善のご判断をされてください」


 陣内は、深く頭を下げて出て行った。


 この会社に来て、右も左も分からなかった私を、陣内は、裏方として支えてくれた。

 また、彼が掴んだ情報により、助けられもした。

 裏切られたような怒りの気持ちはあるが、それを上回る寂しさが募り、目頭が熱くなってしまった。




 午後になり、秘書室から、飯野がこちらに来るとの連絡があった。


 陣内がいなくなると、待っていたかのように人を差し向ける、父の切り替えの早さに驚いてしまう。

 


「桜井専務、失礼します。 飯野です。 社長から全て伺っております。 今は、企画調査部に在籍していますが、来週からは、陣内の後任として、秘書室に異動します。 特命事項を司る課長として、陣内に代わり、お支えしますので、何なりとお申し付けください」


 

「こちらこそ、よろしく頼むわ。 以前、西國商会の株式と財務に関わる基礎データを頼んだ時は、世話になったわね」



「そんな! 専務のお役に立てて嬉しかったですよ!」


 声が大きいせいか、話し方に勢いがある。

 見るからに熱血漢で、周りから頼りにされる感じの印象だ。

 ある意味、陣内とは対照的な男だと思った。



「ところで、飯野も、社長の懐刀なのよね」



「はい。 企画調査部におりますが、社長に情報を上げております。 但し、この関係は誰も知らないので、どうか内密にお願いします」



「分かっているわ。 それで、菱友香澄の事で、何か、新しい情報はあるの? 例えば、陣内は共通の趣味の空手をキッカケに引抜かれたと言うけど、武道を好む女性なんてあまり聞かない。 彼女の人となりが知りたいわ」


 私の質問に対し、飯野は深く頷いた。

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