第29話 元夫の手がかり

 私は、不覚にも部下の前で涙を見せてしまった。女だからとバカにされると思い、必死に堪えたが、剛のことを思い出すたびに、涙が溢れ落ちてしまう。

 自分で感情をコントロールしてるつもりなのに、思うようにならず、凄くもどかしかった。


 陣内は、そんな私をバツが悪そうに見ていたが、私が落ち着くのを待って重い口を開いた。



「どうか、聞いてください! 自分がこの会社に入社したのは、桜井専務が、まだ小学校の高学年位の時だと思います。 あなたと同じ、東慶大学を卒業し、新卒で三笠に入りました。 他に、国家公務員のキャリア採用枠や、大手商社である丸菱にも合格していましたが、あえて、この会社を選びました。 理由は、社長が、あなたの父上である 桜井 頼之だったからです。 ご存知の通り、一代で桜井グループを築き上げた方で、天才経営者の1人だと思っております。 この社長の下で学びたいと強く思いました。 だから入社後、あなたの父上の目に留まるよう、戦略的にアピールし、懐刀の1人になれたのです。 桜井専務のお考えは、父上に良く似ています。 後継者足るのは、兄上でなく、間違いなく桜井専務であると確信しております。 でなければ、この会社に未来はありません。 しかし、その涙はいただけない。 見なかったことにしますので、金輪際、部下の前で涙を見せないでください」


 普段ポーカーフェイスで、必要なこと以外喋らない彼が、感情的になり多くを語った。

 それを見て、私は、やっと落ち着くことができた。



「そうね、陣内の言う通りだわ。 涙は女の武器なんて言うけど、経営においてはマイナスでしかないわ。 肝に銘じるわ。 あなたには感謝しかない。 ずいぶんと優秀なのに、上役が頼りなくて申し訳ないわ。 でも、これからは厳しく行くからね!」


 私は、陣内に対し、しっかりと話すことができた。



「お任せください。 その代わり自分を引き上げてください。 桜井専務にかけているのです!」


 陣内は、悪びれもせず堂々と話した。

 私には、それが男らしく素敵に見えたが、自分の気持ちを悟られないよう、わざと厳しい顔をした。



「言うわね。 でも、分かったわ。 それはそうと、あなたは私と同じ東慶大学出身の先輩なんでしょ。 なぜ、経済学部にしなかったの?」


 陣内は、私より10歳年上の35歳だ。私は、自分に関係する部下の経歴を全て把握していた。

 


「調べたんですね。 深い意味はありませんよ。 法学部の方が全体的にレベルが高かったからかな」



「それって自慢? 経済学部出身の私に、そんなことを言って大丈夫なの? フフッ」



「あっ、そんなつもりじゃ …。 これでも励まそうと思って」


 陣内は、しまったという顔をした。 

 私は、彼の気の利かないジョークに、心の底から笑ってしまった。



「もうひとつ聞くわ。 陣内は、何で結婚しないの?」


 彼はイケメンなのに独身というのも、少し不思議な気がしていた。



「それって、パワハラですよ …。 正直に言うと、出逢いがなかったし、それから好きな人もいなかったし、だから …。 あっ、でも、結婚は人生の墓場なんでしょ?」



「離婚した私に聞く? それってセクハラよ!」


 私は、大声で笑った。


 そして、陣内との距離が一気に縮まった気がした。



「それじゃ、本題に入ります」


 陣内は、元夫の話をしても大丈夫だと判断したようだ。



「剛さんは、アメリカにいます。 丸菱は、アメリカの半導体製造大手 キーテクノロジーとの事業提携を模索しており、このために現地法人を立ち上げました。 剛さんは、ここに在籍していると思われます。 キーテクノロジーの関係者から、剛さんによく似た日本人の役員登用があったと聞きました」



「それが、本当なら、剛は私に敵対する業務に携わっていることになるわ。 あの人がそんな …」


 優しかった剛が、私の敵になるなんて信じられなかった。

 本当だとしたら、田中専務に騙されているとしか思えなかった。



「自分は、男女のことは良く分かりませんが …。 桜井専務は、ご自身が相手を裏切ったことが原因で、剛さんが突然いなくなったと仰いました。 失礼ですが、その状況なら、相手は恨みを抱いていると考えるべきです。 丸菱の田中専務と旧知の仲であれば、なおさらです。 だけど、そんなのはどうでも良いこと。 丸菱がキーテクノロジーと事業提携を模索し始めたのは、桜井専務が離婚する前のことですし、そこに剛さんが加わったとしても、以前と状況が変わった訳でありません。 我々が、丸菱に勝てば良いだけのことです」


 陣内の言うことは筋が通っており、反論の余地はなかった。



「そうね、陣内の言う通りだわ。 丸菱は、我が社に取ってドル箱の欧州市場を奪おうとしているけど、相手が油断してる隙に、北米市場を奪えば流れは変わる …」



「その通りです。 足元の北米市場を荒らされるとなれば、キーテクノロジーは欧州市場進出どころじゃなくなり事業提携の計画は消滅する。 そうなれば、丸菱の面目が潰れ信用を失います。 そのためにも、北米市場に強みがある西國商会の企業買収が重要になります。 桜井専務の父上も、これを狙っており、三笠を大手にする足がかりであると考えております」


 陣内は、鼻息荒く主張した。


 私は、そんな彼を頼もしく思うと共に、丸菱の田中専務にだけは絶対に負けられないと強く誓った。

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