第27話 誘惑
彼は、私の顔を一心不乱に見つめた。
それは、いつになく真剣な眼差しで、心の奥底を覗くように集中していた。
しかし、私には、それが気持ち悪くてならなかった。
浮気には、自分にも責任があるはずなのに、なぜか彼だけが憎くて仕方がなかった。
そこまで、風間を毛嫌いできる自分が不思議だった。
元夫の、呪いとさえ思えた。
「なあ、優佳里。 何で、気が変わったんだ? 俺じゃダメなのか?」
風間は、不安そうな顔で、ストレートに聞いてきた。
言動に幼稚なところがあるが、彼は、裏表のない分かりやすい性格だった。
「私が変わったと言うけど、何でだと思う?」
「井田さんに、何か弱みでも握られているのか? だとしたら許せない。 俺が解決してやるから、正直に話してくれ! 俺を頼れば良いんだ」
風間は、私を諭すように、ゆっくりと話した。
「脅されてる? そんな訳ないでしょ! 自分が振られると思わないの?」
「えっ、井田さんではなく俺が悪いのか?」
風間は、驚いたような顔をした。
「前にも言ったけど、元夫に対して不誠実な事をしたと思っていて、凄く自分を恥じてるの。 今後の人生においては誠実に生きたいと思ってる。 それだけなの。 あなたは、人妻を誘った事にやましい気持ちは無かったの? 凄く不誠実な事なのよ」
私が諭すように言うと、彼は下を向いてしまった。まるで、叱られた子どものようだ。
「辛辣だな、そんな言い方をしなくても …。 俺は、優佳里の初恋の人なんだろ?」
自信なく、ボソッと呟くように言った。
「そうよ。 でも、それが何よ? 過去の思い出のひとつでしかないわ」
私が涼しい顔で言うと、風間は困ったような顔をした。
「優佳里の気持ちが戻るのを待つさ。 俺は、君が好きだ。 その気持ちは、誰にも止められないぜ!」
風間は、冗談ぽく叫ぶように言った。
気持ちの切り替えが早いのは、特技のようだ。
彼の、少年のような爽やかな笑顔を見ていると、少しだけ心が揺らいだが、直ぐにそれを打ち消した。
「あなたの気持ちは分かった。 嬉しいけど、直ぐに男女の関係に戻れない。 まずは、ビジネスパートナーになりましょう。 どうかな?」
「そうだな。 立田で扱かう食材をどの程度頼めるか、精査して見るよ。 そうすれば、優佳里と会えるからな」
私が提案してくれたのが嬉しいようで、風間は、調子に乗って来た。
「強制はしないけど、何か入り用の物があれば、もちろん承るわ」
「任せてくれよ。 他にも何かあれば …。 何でも聞くぞ」
自信があるのか、鼻の穴が広がった。
「そうね。 例えば、資本提携できれば、お互いのメリットになるんじゃない?」
「えっ。 さすがに、それは …」
自分の範疇を超えた話なのだろう。露骨に不安な感じになった。
「そうね。 常務と言っても実権は、お兄様の専務が持ってるものね。 あなたと話しても仕方ないか」
私は、わざと冷たくあしらった。
「そんな事はない。 俺だって権限があるんだ」
私は、風間が兄にコンプレックスを抱いている事を利用した。彼は、案の定食いついてきた。
「じゃあ、資本提携について、非公式ではあるけど、定期的に打合せしない。 どうかしら?」
「願ったり叶ったりだ。 了解したぜ」
「秘密裏だから、お互い会社内で知られないように気をつけてね。 それから、財務状況を共有する必要があるけど、大丈夫?」
「ああ、任せとけ。 これがうまく行った暁には、俺との事を考えてくれるんだろ!」
「成功すれば、お互い尊敬し合えると思うわ。 可能性はあると思う。 次に会う時までに、財務状況を頼むわね」
直接的な表現を避け、その気にさせるように言った。
風間は、ご褒美をもらった子犬が尻尾を振っているようだ。
「分かった。 そう言えば、優佳里は、俺の兄貴と同じ、東慶大学出身なんだろ? 何か、兄貴と話してるようで、驚いちまったぜ」
「大学の事を、誰から聞いたの?」
東慶大学は、日本最高峰の大学だから、話すと驚かれる。
それが嫌で、自分から言わないようにしていた。
だから、風間が知ってる事を、少し不思議に思ったのだ。
「君が、専務に就任した時の、パンフレットに書いてあるのを見たんだ。 優佳里は、エリートなんだと思ってビックリしたよ」
風間は、大袈裟に両手を広げ、驚きを表現した。
そんな彼の姿が、私には、バカッぽく見えてしまう。
「大学なんて関係ないわ。 あなたこそ大学はどこなのよ?」
「遅稲田大学だけど …。 東慶大学を落ちて、ここの2次募集で何とか入れたんだ。 遅稲田大学も難関だから、世間的には問題ないだろ」
「そうね、難関私立だものね」
「でも、実は …。 親父がかなり寄付をしたんだ。 その影響かも知れない。 誰にも言うなよ。 なあ、それより …。 絶対に手を出さないから、ホテルに行かないか? 運転手には帰ってもらえよ。 なあ、良いだろ!」
自分に不利になる事や、思いついた事をペラペラ喋る姿を見て、御し易いと思えた。
私の心の奥底にある、ドス黒い気持ちが湧いてくるのを感じていた。
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