第6話 大層モテ王サーガ【1】

 逃げていた。

 俺は一人、走って、走って、制服姿で朝の通学路を駆けていた。


 突如現れた、見知らぬ10人の妹達。

 不機嫌そうな寿珠ジュジュを除く、ほぼ全員から求婚され。『冷静沈着』を人生にテーマにしている俺ですら、精神的な限界を迎えた。


 リビングで朝食を済ませ、寝間着パジャマから学生服に着替える際、四姫シキが「お手伝い致します、兄様あにさま……!」とか言ってきたり、イレヴタニアは「兄さんブラットと一緒に行くから、準備が整うまで玄関で待ってるね」と、まるで忠犬のようなことを言っていた。


 だが俺は、それら全てを振り払って逃げてきた。


 私室に戻る際、コッソリと玄関から外靴を回収し。久々の学生服に袖を通すと――部屋の窓を開け、雨樋あまどいつたって車庫ガレージの屋根へと飛び映った。

 そのまま塀を越え、音もなく道路に降り立ち、ひた走った結果が今現在。


 こんな脱走劇は久々だ。

 高校最初のテストで赤点を取り、バレないよう隠していたのに、陽菜の密告裏切りによって母さんに知られてしまった。怒られる気配を感じたから、母さんが階段を上がりきる直前、咄嗟に逃げたあの日以来だな。

 結局その後は父さんに車で連れ戻され、両親から珍しく強めに怒られ、陽菜には呆れられた。


 しかし今回は、状況が違う。走っているんだ。


「ハァ、ハアッ、ハッ……! 陽菜……っ!」


 サラリーマンや小学生やゴミ出し中の主婦がいる道を、息を切らして必死に走り。

 通学路から少し外れ、町の大通りに面している交番へと、駆け込んだ。


 しかし――。




「――……それ、何か事件性ある?」


「えっ……!?」


 汗だくで交番に到着してから。

 数分かけて丁寧に、分かりやすく、臨場感たっぷりに今朝の出来事を説明しきった――直後。


 夜勤を終えてそろそろ交代の時間なのか、あからさまに眠そうにしている中年警官は、太った顔面に浮かぶ二つの黒目で、ジロリと見つめてきた。と表現しても良い。


「だ、だって、不法侵入……!」


「でも、10人のうち誰が本当の妹さんか分からないんでしょ? 本物の妹さんまで犯罪者にしちゃって良いの?」


「いや、捕まえろとかって話じゃなく……!」


「それに、別に良いじゃないのぉ~。可愛い妹がたくさん増えるなんてさ。オジサン、ずっと一人っ子だったから、そういうの憧れちゃうなぁ~」


「な……」


 ……何だ? このオッサン。話が通じない。


 俺がどれだけ懸命に伝えても、一般常識と照らし合わせて『異常な事態だ』と説明しても、一向に取り合ってくれない。


 その時――ふと、俺は入院前のことを思い出した。


「……そういや。ここの交番で勤務していたのって……。……若い人じゃ、ありませんでした……?」


 抱いた違和感。


 俺が事故に遭う1年半前は、この交番には確か、二十代後半くらいの若い警察官お兄さんが駐在していたはずだ。

 この町に引っ越してきたばかりで、まだ地理が分からない時。交番の前に立っていた地元出身の彼が、道案内や町の歴史の説明をしてくれたから、よく覚えている。

 俺も陽菜もスマホを持っているはずなのに、慣れない土地で迷子になりかけたんだ。


 だが、あの時の若い警官は見当たらない。奥にいるのか?


 そんな疑問を口に出すと――太った中年警官は、目つきを更に厳しくした。


「……さぁ。僕はこの春からココに来たからね。前任者のことは知らないよ。仮に知っていても、無関係な人間には伝えられないし。そういう規則だから」


 俺の訴えを書き記すためのペンを置き、文章作成の途中だというのに、面倒臭そうに調書メモノートを閉じる。

 俺の話を聞くのは、ここまでってことか?


「ちゃんと聞いてくださいって……! 嘘や冗談じゃないんです! 本当に、家の中に知らない女の子達が……!」


 それでも尚、食い下がろうとしたが――。


「財布の落とし物です~」


「あぁ、これはどうも。池谷のお婆ちゃん」


 杖を突いた老婆が交番に入り、落とし物を届けに来た。

 中年警官はそのお婆さんへの対応を始め、俺を無視して世間話に花を咲かせている。


「ちょっと……!」


 困惑とイラつきを覚えるが、6秒を数えるのすら時間の無駄だと判断した。


 これ以上交番ココに留まって遅刻するわけにもいかず、諦めて学校へと向かった。




***




「……あのオッサン、後でクレームでも入れてやろうか、マジで……。県警? 警察本部? とかに連絡すれば良いのか……?」


 警察官に取り合ってもらえなかったことを、愚痴りつつ。トボトボと、肩を落として通学路に戻ってきた。


 憂鬱そうな俺をヨソに、友人らと談笑しながら道を歩き、たまに追い抜いていく学生達は、みんな俺と同じ制服を着ている。だが知り合いは皆無。

 この町は、俺の生まれ故郷から遠く離れている。

 両親の仕事の都合に合わせて引っ越してきて、受験先も変えたんだ。進学した高校には、昔からの知り合いや友人なんて、ほとんどいない。


 でも、俺はまだ良い。中学の卒業式で、地元の連中にちゃんとお別れを言えたんだから。


 陽菜だけは中二という、中途半端な時期に転校することになってしまった。兄としては心配していたが――妹は転校先でも、すぐに友達を作っていた。

 しかし、もしかしたら、慣れない土地や環境に放り込まれ、不安やストレスを抱えていたかもしれない。

 その矢先に、交通事故で兄が意識不明になって。陽菜は一体、どれほど心配したのだろう。


 そしてそんな『陽菜』は今、一体どこに――。


「……あ! オーイ! にいやーん!」


にいやん!!?」


 考え事をしながら歩いていた背中に、呼ぶ声が届く。


 俺は心底驚きながら、身構えつつバッ! と振り向いた。

 俺を「兄やん」と呼ぶだなんて――ま、まさか、『十一人目の陽菜』か!? もう良いって! お腹いっぱいだって!!


「……何ビックリしてんの? もしかして、事故で頭を打ってオレのこと忘れちまったか? 新也にいやん」


 だが振り返った先にいたのは、俺の妹を名乗る不審者でも、女子でもなかった。


 キョトンとした表情を浮かべる、茶髪のツンツンヘアーな男子高校生。

 耳にピアスを付け、チャラチャラと着飾っている、いかにもスクールカースト上位者といった容姿の、この男は――。


「『キング』……!? お前、『王子おうじ金次郎きんじろう』か!」


「え、何々。怖いんだけど。なんで急にフルネーム?」


 困惑しているキングこと、王子金次郎。

 コイツは俺の唯一の、昔から知る友人だ。

 中学どころではない。小学校に入る以前の、幼稚園時代も一緒な幼馴染。


 俺と同じ高校を受験し、地元からこの町へと引っ越してきた――ただ一人の、気心知れた相棒だった。

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