第2話 妹、10人に増殖する
部屋に集った、6人の
その光景が夢ではないという現実に絶望する寸前、俺は堂々と目を背けることで、パニックまでには陥らなかった。
現実からも、妹を名乗る不審者達からも逃避し。紺色の
そうして階段を下り始めると――見下ろす先、階段の終着点に、『異様なモノ』を目にした。
階段の一番下、ちょうど下りきった段の一階廊下にて。『七人目』が仰向けに倒れている。
そして俺と目が遭った瞬間、七人目の陽菜はニッコリと――どこか狂気的なものを含みつつ――微笑んだ。
「……おはよう、
ゴスロリファッションというやつだろうか。黒や白を基調とした、ともすれば
しかしそんな可愛らしい
精神的に不安定そうな――いややっぱストレートな表現にするわ。めちゃめちゃオカシイ言動をしている彼女は、頬を紅潮させ、ハァハァと吐息を漏らし、
「陽菜ね、陽菜ねっ、ずっと
ヤンデレとかってレベルじゃねぇぞ……。
朝から胃もたれするよ、このキャラ付けの濃さは……。
だが『ゴスロリ陽菜』はその場から動こうとせず、仰向けのままゴスロリ服をたくし上げた。
「んなっ!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げて顔を赤らめ、視線を逸らそうとする。
そりゃ、初対面の美少女が突然お腹を見せてきて、その白い肌や小さな
だが七人目の陽菜は動揺することも照れもせず、服をたくし上げたまま「ココを踏んで」とばかりに、興奮した表情を向けてくる。
「さぁ……! にーに!! 血と臓物の海に溺れて、混ざり合おうよ! それが私とにーにの
「……1、2、3、4、5、……6」
メンタルリセット完了。
赤らんでいた俺の顔は平常時の色を取り戻し、すっと無表情を形作る。
「んはぁあああっ……♡ 覚悟、決めてくれたんだね……!」
彼女の興奮へは特段の反応を見せず、階段を下りていく。
『
階段を僅かにギシギシ鳴らし、もうじき一階へと辿り着く。
「来て、来てっ、来てぇっ……! 思いっっきり、陽菜のお腹を踏み抜いてっ!!」
そして俺は、靴下も何も履いていない素足を、大きく振り上げて――。
「にーにぃぃぃいいいいいっ♡♡♡」
――少女の身体を大股で跨ぎ、足裏の着地点を遠くに設定し、一階廊下へペタリと足を付けた。
もう片方の足も、少女を踏まないよう気を付けつつ前方へ引き、一階へと無事に着地する。
俺の背後、廊下で寝転ぶゴスロリヤンデレ少女を、置き去りにしたまま。
「………………」
「………………」
背中に視線をビンビン感じる。だが無視だ無視。
七人目を対処しても、まだ他に『妹』がいるみたいだから。
そして俺は洗面所を目指し、見慣れた家の中を進んでいった。
***
ヤバイことを口走っていた、ゴスロリ少女ゾーンを無事に回避し。
顔を洗って歯を磨くため、風呂場と隣接する脱衣所兼洗面所に向かおうとしていると――キッチンの方から、何やら良い匂いが漂ってきた。
「お……? この香りは……。……う~ん、実に美味そうでスパイシーで……ん?」
異変に気付く。
最初は「食欲を刺激される匂いだ」と思ったが――その香りが徐々に強まると、眼球や鼻の粘膜に突き刺さるような、猛烈な刺激を肉体が感知した。
「スパイシーどころか激辛……ゥお゛っへ! げぇっへ、ゴホッ、ガハッ!! ぁ゛っへぁ゛ああ!」
毒ガスか何かと勘違いするレベル。涙と鼻水と咳が止まらなくなる。
何だ!? この刺激臭。空気が赤く見える。『激辛』とかって次元じゃない。痛い。呼吸すると肺が焼ける。香りだけで身体が拒否反応を示すほどの、最大級の危険を感じる。
そんな赤い香りを発生させている
お団子ヘアーのカバー……シニョンキャップというやつか? 確か。長い黒髪を頭部で二つにまとめ、それを桃色の袋状の布で包んでいる。
真っ赤なチャイナドレスは、香りに負けず劣らず刺激的で。突き出した胸部や大きめのお尻、それでいて細い腰回りといった、魅惑的なボディラインが浮かび上がっていた。
ドレスには深いスリットがザックリ入っており、ムッチリした太ももの白い美脚を、惜しげもなく晒している。
だがキッチンを覗いている
「んっ、匂い釣られた来たアルか
「おはよう……ございます?」
何がどうなってるんだ、本当。アメリカン陽菜に続いて、今度はチャイニーズ陽菜か。
しかしこれ以上キッチンに留まっていると、上海と北京と四川省と広東省に取り囲まれて
そんな予感がするほどの辛味と酸味が、眼球や鼻腔や肺を継続的に襲ってきていた。
俺は急いで避難して、キッチンから距離のある洗面所へと向かった。
***
「……ドーブライェ・ウートラ、
「……おはよう」
たぶん『おはよう』って意味だろう。
洗面所に入ると、そこでは白髪というか銀髪の北欧系美少女な陽菜が、シャカシャカと歯を磨いていた。隣に並んだ俺を、洗面所の鏡越しに、瑠璃色の瞳でジッと見つめてくる。
雪のように白く、
シャツの胸元に書かれた文字は、高い標高の雪山を思わせる盛り上がりのせいで歪んでいるが、達筆な字体で『僕はね、一生サウナします』と日本語でプリントされていた。どこで売ってるんだよソレ。
「………………」
「………………」
黙々と、歯をシャカシャカ磨いていく俺達。
こうして家の洗面所で歯を磨くのも久々だ。
俺の歯ブラシは入院前に使っていたやつから新しくなっているが、青色で毛先の細い、1年半前に使ってたのと同じ
そして寝起きでボーッとしている陽菜と並んで、無言で歯を磨くという状況も、かつての日々と同じ。
――だが違うのは、隣で歯を磨く『陽菜』が、『銀髪美少女』であるという点。
そして洗面所には、俺の青いコップと歯ブラシ以外に、文字通り十人十色の歯ブラシ&コップが並べられている。
ピンクやら赤やら緑やら黒やら、電動歯ブラシやら甘い味の歯磨き粉やら、見知らぬ無数のアイテムが自宅の洗面所に並べられていた。実に異様で不気味だ。
(……異世界にでも転生しちまったのか?)
歯を磨きながら、パラレルワールドやら異世界転移やらの可能性を想像する。
だが鏡に映る俺――柏木新也の顔だけは、間違いなく俺自身のもの。
約1年半に渡る入院生活で、多少は身長が伸びた。だが相変わらずの中肉中背。長期間寝たきりだったのだから、痩せたり筋肉の衰えがあって当然だと思うが、何故か一週間くらいのリハビリで済んだ。
入院中に伸びた髪も切って、今は長くも短くもない黒髪姿。
女子に対して生理的嫌悪感を抱かせるほどの顔面ではないが、義理チョコをギリギリ貰える程度で、イケメンの領域には達していない、中途半端な顔面偏差値。
『普通の男子高校生』として紹介される時、俺以上に適任な男はいないんじゃないかと思えるほど、平凡な容姿。
なのに。今置かれている状況は、『平凡』とは程遠い異常事態。
それでも絶賛現実逃避中の俺は、無心で歯を磨き続ける。
先に歯を磨き終えた『九人目の陽菜』こと銀髪美少女は、コップの水で口を濯ぐと、特に俺へと声をかけることもなく、洗面所から出て行った。
「………………」
だが出て行く直前、チラリと視線を向けてきたのを、俺は見逃さなかった。鏡の反射を利用して、銀髪の陽菜と目線を合わせた。
宝石のような瑠璃色の瞳に含まれる感情までは読み取れなかったが、『何か』の意図がある視線なのは間違いない。
しかしその意図を想像できないし、口内が歯磨き粉の泡まみれなので問い質すこともできず――込み上げてきた疑問や不安ごと、溢れた泡を吐き出した。
***
洗面所を出て、朝食のためリビングに向かおうとする。
いや、それよりも先に父さんと母さんの部屋に行くべきか? これが夢なら意味のない行動だと思っていたが、本当に現実だとするなら、大人の判断を仰ぐべきだろう。
まさか……。「新也が昏睡している間、また養子を連れてきたぞ! しかも10人だ!」とか「陽菜と同じ、血の繋がらない妹達よ!」なんて言い出さないだろうな、あのお気楽夫婦。
あり得ないとは思うが、『100%ない』とも言い切れないのが、俺の両親だ。
メチャクチャ頭の良い学者夫婦であるはずなのに、家庭ではそれを一切感じさせない頭お花畑な人達だった。
それでも、二人なら何か知っているはずだ。
俺は廊下を歩きつつ、リビングではなく両親の寝室へと足を向けた。
すると――。
「おっ、と」
両親の寝室へ向かう途中で、トイレの扉がガチャリと開いた。
その扉にぶつかりそうになって、一瞬立ち止まる。
トイレから出てきたのは、緑色のパーカーのフードを被っている、『十人目』の少女だった。
その少女は黒髪のミディアムヘアーで、背は小さめで、胸も慎ましい。ハーフパンツから伸びる足はすらりとしていて、目深に被ったフードの奥、長めの前髪の隙間からチラリと見えた顔は――。
「ひ、陽菜っ!」
間違いなく、俺の知る妹の『陽菜』そのものだった。
中学三年生だった陽菜が高校生になれば、間違いなく「こう成長するだろう」と思わせてくれる容姿。
「よ、良かったぁ~! いるじゃねぇか、ちゃんと『本物の陽菜』が! あぁ、いや、聞いてくれよ陽菜! なんか朝起きたらさ、お前の名前を使って俺の妹だって名乗る、変な女子達が……!」
安心と興奮で、俺は柄にもなくハイテンション気味に言葉を並べる。6秒数えて落ち着こうなんて、そんな発想すら湧かない。
「………………」
だが陽菜は俺に背を向け、無言でリビングへと歩き始めてしまった。
「お、おい。待てよ陽菜。無視すんなよ。お前は何か知ってるのか? もしかしてコレ、お前の友達を集めて開催したドッキリだったりする? 退院直後のお兄ちゃんに、寝起きドッキリ仕掛けるなんて――」
説明を求めて腕を伸ばす。そして陽菜の小さな肩を、左手でガッチリ掴むと――。
「――は? キモイんだけど。触んないでくれる?」
振り向いた陽菜の顔には、フードの奥の黒い瞳には、強い嫌悪感が満ちていた。
そして左肩を素早くバッ! と動かし、俺の手を振り払うと、そのまま背を向けて再び歩き出してしまった。
その背中には『拒絶の色』というか、不機嫌なオーラが、ありありと現れている。
一人取り残された俺は、振り払われて行き場を失った左手を見つめ、茫然とするだけ。
「えぇ……?」
廊下の真ん中でポツンと立ち、混乱する頭はフリーズ直前。
本当に、何がどうなっているんだ。
コレは夢か? 現実か? 誰かが描いたラブコメ物語の中? それとも異世界か? パラレルワールドか? もしかして俺、まだ病院のベッドの上で昏睡していたりする?
てか――。
「……妹ハーレムラブコメだとしたら普通、全員が『お兄ちゃん好き好き♡』って感じじゃないの!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます