第1話 見知らぬ、妹

 ……は? 何? いや、待って待って待って。

 えっ、誰? ……ココ俺の部屋だよね? 家を間違えたりしていないよな。

 はぁ? ちょっ、え、どういう……どういうこと?


「……どうしたのお兄ちゃん? 私の顔に、何か付いてる?」


 『何か付いてる』どころの騒ぎじゃない。


 俺が知る妹――柏木かしわぎ陽菜ひなは、二重瞼で、顔は小さく、綺麗な黒髪を伸ばしている小柄な女子だった。


 だが部屋の中にいる少女は、目の前の人物は――地毛なのか染めているのか分からないが――明るい茶髪で、サイドテールにまとめた髪を、ピンク色のリボンで結わえていた。

 二重瞼なのは共通している。ぱっちり大きな瞳には、陽菜の面影があるけど……顔以外が

 成長期ということを差し引いても、胸が大きい。間違いなく巨乳と呼べる部類。中学の頃の妹は、もっと薄い身体つきペッチャンコだったのに。


 だが色々な意味で『キツさ』は感じない。

 もう既に新学期が始まっている、俺が通う高校(1年半も休んでいたけど)の女子達と同じ制服を着て、サイズはピッタリなようだった。


「……どちら様ですか」


「もうっ、だから良いってお兄ちゃん。ホラ着替えて着替えて」


「いや、ふざけてるとかじゃなく……!」


 なんだこの不気味さ。違和感で背筋がゾクゾクする。

 鳥肌が止まらない。眠気なんて、完全にふっ飛んだ。


 自分の家に美少女が押しかけてきて、とある朝に起床したら、可愛い女の子と目が逢って……そんな状況シチュ自体は嫌いじゃない。むしろラブコメ漫画とかハーレム小説好きとしては、最高の導入だ。


 そういう内容で自作小説を書いて、ネット上に公開した過去こともある。全然読まれウケなかったけど。なのに悪友にはバレて、教室クラス内で晒し者にされ、中学時代における最大の黒歴史と化したけど。

 とはいえ『謎の美少女との出会いで日常が一変する』系の物語は、大好物だ。


 だがそれは、創作物に限った話。現実で実際にやられると、すっっげぇ怖い。


 心臓がバクバク早鐘を打っている。

 額から嫌な汗がジットリ滲み出してくる。

 意識していないと、産まれた時から無意識に継続してきたはずの呼吸すら、難しく感じてしまう。


「キミ、本当に誰なん――」


 激しく動揺しながらも、少女を問い詰めようとした――直後。


 部屋の扉が半分ほど開かれ、もう一人『別の少女』が顔を覗かせた。


「……新也にいやお兄さ~ん? 朝ご飯が冷めちゃいますよ~? 出来立てを一緒に食べたいのに、もし『食べないで学校に行く』なんて言ったら、妹としてヒナ悲しいです」



 いやいやいやいや待って待って待って待って待って。



 亜麻クリーム色の長い髪を後頭部で一房にまとめ、それを左肩から垂らしている、背が高めな少女。

 その子もまた俺を『兄』と呼んで、自身を『陽菜いもうと』と名乗りながら、調理おたまレードル片手に部屋の中へと入ってきた。


 俺を叩き起こした『一人目の少女陽菜』と違い、朗らかなの空気を全身から漂わせている。学生服を着ていなかったら、子持ちの母親かと勘違いするところだった。

 陽菜……というより、俺の母さんに近い雰囲気だ。いや、機嫌の良い時や風呂上がりの陽菜も、こんな感じだったか……? 髪色は全く違うけど。

 だが待て待て待て。それにしたって背が伸びすぎだし、一人目より更に胸がデカい。


 そもそも『一人目』とか『二人目』ってなんだよ。

 柏木家の家族構成は、父さんと母さんと俺と陽菜の四人。次女や三女もいない。陽菜は陽菜だ。俺の妹は、なんだ。


「……どうしましたお兄さん? 顔色が悪いですよ? おはようのハグで、ワタシがぎゅぅう~ってシテあげましょうか~?」


 母性溢れる笑顔を浮かべつつ、「おいでおいで~」と両腕を広げる清楚系少女。

 混乱している最中に、そんな風に優しくされたら、ベッドからあの大きな胸へと飛び込んで、何も考えず「ママぁ……」と甘えたくなる。

 しかしにそんなことができるほど、俺はイカれちゃいない。


 とはいえ、事故の後遺症で頭が狂っイカレちまったのか? と不安になってしまうほど、理解が追い付かない。理解したいが落ち着かない。


 すると。「あらあらウフフ」とか言いそうな見た目の、『二人目』の後ろから――。


「――失礼いたします……」


 今度は更に、和服姿の黒髪美少女が入ってきた。

 音もなくスッ、スッと歩く姿は、まさに大和撫子。


 中学時代の妹を思わせる、すらりとした身体つき。そして短く切りそろえた黒い髪。一人目や二人目よりかは、特徴的には俺の知る陽菜に一番近い。

 だが陽菜は、若草色の着物も紺色の帯も、白い足袋も金のかんざしも持っていなかったはず。

 大正時代の名家の一人娘みたいな、結婚の選択肢が『お見合い』しか発想の中に存在しないような、そんな見た目の雛人形その子


 古き良き日本の気品さを感じさせる乙女は、俺の部屋の床で両膝をついて正座し、丁寧に三つ指ついて、未だベッドの上で呆然としている俺へと、綺麗な所作で頭を下げてきた。まるで温泉旅館の若女将のようだ。


兄様あにさま、おはようございます。今日も一日、私めヒナにご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。兄様の良き妻となれるよう、誠心誠意尽くさせて頂きます」


 あっ、コレまだ夢の中だな? なぁんだ、良かったぁ。


 そうだよな。『目覚めたら妹が増えていて、誰の顔にも見覚えがない』なんて、そんな非現実的なこと、あるわけないだろ。


 つーか、もしコレが空想話ラブコメだとしてもだ。こんだけ登場人物キャラをポンポンポンポン出しまくるのは、悪手だからな。

 人間の短期記憶はそこまで優秀じゃない。読者ってのは、一度にたくさんの登場人物を覚えられないんだ。キャラが増えすぎても、誰が誰やら混乱するだけ。

 何かの創作物なのだとしたら、複数ヒロインが登場するラノベだとしても、こんなことやっちゃう作者は下手だよ。ができていない。

 登場キャラってのは少しずつ出して、それぞれ印象付けて、読者に愛着を抱かせていかないと。


 支離滅裂で荒唐無稽でグチャグチャな、微妙な評価の作品にありがちな展開。中学時代に登録していた小説投稿サイトでも、そんな感じの作品をたくさん見た。

 過去の記憶がフラッシュバックして、あの頃に読んだ作品の要素をムリヤリ繋げ、今この状況を形作っているようにしか思えない。


 つまり、俺が今いるココが『現実』ではなく、『夢の世界』である何よりの証拠だ。


 そう思い至って安心していると――階段をドタドタ上がってくる音が聞こえ、半開きだった扉はバーン! と勢いよく開かれた。


「グッッモーーニーーーング、お兄様ブラザー!! 新也お兄様の朝を、この『西海岸の特急列車』ことヒナ・カシワギが告げにやって参りましたわよ!!! Riseライズ andアンド shineeeeeeeeシャイーーーーン!!!!」


 真っ赤なドレスを着た、金髪縦ロールアメリカンお嬢様の『陽菜』が、クソうるせぇ声量で入室エントリーしてきた。

 話にならん。妹の陽菜はアメリカ人じゃない。父さんも母さんも純日本人だ。


 その『アメリカン陽菜』の後ろからは、おずおずと、眼鏡をかけた黒髪ツインテールの『根暗そうな陽菜』も入ってくる。


兄者あにじゃ……。な、何をモタついているでござる? フヒッ、も、もしや……健全な男子にありがちな、朝のバベルの塔を妹の私ヒナに見られる、ベタなイベント発生中でありますか……!?」


 そこそこオタクなよりも、更に深淵へと足を踏み込んでいそうな、キモオタみてぇな喋り口調で。

 黒ぶち眼鏡の、なんか初音ミクさんっぽい恰好の女子はデュフデュフ笑いながら、何やら下品な妄想にふけっている。

 論外。俺の影響で陽菜も少年向け漫画やゲームやアニメを好んでいたが、人並み程度だった。ここまで煮詰まってはいなかった。


 ありもしないハプニングを想定して、可愛い顔を台無しにニヤニヤしている、そんなキモオタ少女に続き。

 陰キャオタクとは正反対な見た目や属性の、陽キャっぽい金髪ギャルが、廊下から顔を覗かせた。


「つーか兄貴さぁ~。何やってんのぉ? 早くしてくんね? アタシヒナが洗面台使うと化粧メイクで時間かかり過ぎるとか文句垂れて、『まずは俺が先に使う』って言ったのは兄貴でしょー?」


 ツインテールなのは『オタク陽菜』と共通しているが、黒髪ではなく、派手な金色の髪が朝日をキラキラと反射させている。

 それ以上化粧する必要なんかないだろ……と感じるほど、まつ毛も爪先ネイルも既にバシバシだ。

 制服を着崩して、豊満な胸の谷間を覗かせて――それ寒くないの? 下着おパンツ見えちゃうんじゃない? って心配してしまうくらい、制服のスカート丈は短かった。

 却下だ。俺の妹が、こんなパリピギャルに育つわけない。


 そして開け放たれた扉の向こう、階段下の一階のリビングやキッチンからも、まだまだ女の子達の声が聞こえてくる。父さんや母さんじゃない、身内以外の人間の気配がする。

 まだ姿は見ていないが、この部屋にいる『自称陽菜いもうと』達も含めて、どうやら柏木家には現在10人ほどの少女達が不法侵入しているようだ。


 ……マジで、夢でも見てんのか俺?


 いや、そういやココは夢の世界だったな。さっき結論付けただろ。

 夢を司る存在作者が生み出した、出来の悪い・頭も悪いC級ラブコメストーリーだ。


「ひ、陽菜殿……! オタクに優しいギャルとして、今こそ陽菜せっしゃに代わり、あああ兄者の淫塔バベルをしし鎮めるのです……!」

「は? 何言ってんの陽菜。つーかアンタもいい加減、ベースメイクくらい覚えなよ。陽菜アタシと同じ顔してて、素材は良いんだからさ」

「Wake upですわ、ブラザー! 陽菜ワタクシに『早起きは三文の得』という言葉を教えたのは、お兄様でしてよ! Halley! Halley!」

「ところで兄様。『春はあけぼの』と清少納言がのに私達もならい、目覚めの悦びを陽菜わたしと共に詠み合って頂きたいと思うのですが……!」

「陽菜ちゃ~ん。新也お兄さんと俳句? 川柳? なんてやっていたら、朝ご飯冷めちゃうわよ~? 陽菜ワタシも早く食べたいんだから~」


 そして夢の世界で妹達がワチャワチャしていると――『最初一人目の少女』が、大きな声を上げた。


「こらー! 皆! 今日は陽菜がお兄ちゃんを起こす当番だって、くじ引きで決めたでしょー! 陽菜ちゃん達は邪魔しないで!」


 ぷんすか怒りながら『他の陽菜いもうと』達に注意して、の部屋から追い払おうとする。


 ……はっはーん。この作者、一周回って天才だな?


 読者にキャラを覚えさせる気は最初ハナからない、と。

 とにかくたくさん出して、まずは作品全体の強烈な印象付けインパクトを狙っているようだ。


 ――ふざけんな。俺は負けねぇ。


 こんな出オチ丸出しの展開だけで「面白いです! 凄いですね! 他の作品とは一味違いますね!」とかコメントチヤホヤする、浅い読者になってたまるか。


「1……2……3……4……5…………6」


 ベッドの上で座ったまま、6つ数える。


 部屋の中にいる少女達の、その人数を示しているわけじゃない。

 サイドテールの元気っ娘、おっとり系ママ、大和撫子、アメリカンお嬢様、キモオタ、金髪ギャル。

 彼女達によって搔き乱された心を、むしろ鎮めるための行動だ。


「……よし」


 6秒過ぎて、メンタルリセットは完了した。

 心拍数は平常時にまで落ち着き、嫌な汗が引っ込む。キョロキョロ動いていた瞳は、少女達を真正面から見据えることができた。


 心を落ち着かせたら、次の行動だ。


 警察に通報? 父さんや母さんの部屋に駆け込む? いいや違う。ここが夢の世界だったら、そんな焦った行動は徒労に終わる。


 まずは――。


「せいッ!」


 ――自分で自分の頬を、思いっきりベチン!! と叩いた。


「お兄ちゃん!?」

「お兄さん!?」

「兄様!?」

「ブラザー!?」

「兄者!?」

「兄貴!?」


 一回のビンタで6人分のリアクションが返ってくる。だが構うことはない。

 頬がじんじんする。メッチャ痛ぇ。ちょっと強く叩きすぎた。


 しかしその分、明確な結果は得られた。


「……おっと、夢じゃないんだな。オッケオッケ。把握した」


 迅速な行動により、『現状の確認』はできた。


 お次はベッドを抜け出し、立ち上がり、首や肩や腰をゴキゴキ動かして、背筋を伸ばしつつ軽いストレッチをする。


「ふぅ……」


 目覚めの体操ストレッチを終えても、部屋の中にいる『自称陽菜いもうと』達は消えてくれない。夢から覚める気配も一切ない。それぞれの顔や瞳で、を不思議そうに見てくるだけ。


 間違いなく『ここが現実リアルである』と認識した俺は、最後に――。




「……顔を洗って歯ぁ磨くか!」




 この現実からの逃避を選択した。

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