第76話

 全長二十メートルの五つ首竜、死の暴君デスタイラントが咆哮する。

 大気がびりびりと震え、地面が激しく揺れる。


 巨大な翼が左右に広がり、羽ばたく。

 ただそれだけで竜巻が生まれ、周囲の土や小石を吸い込みながら広がっていく。


 すさまじい突風で、少し離れたところにいたアリスおれの小柄な身体が吹き飛ばされそうになり、重力大槌グラビティ・ハンマーを握ったまま、慌てて身をかがめる。

 ムルフィに空から叩き落とされた巨竜は、怒りに打ち震えて身をよじり、でたらめに暴れていた。


 おそらく、ムルフィの誘爆の魔法インドゥークションはさして効いていないのだろうが……。

 きっと初めてなのだ、これほどの屈辱は。


 脆弱なヒトによって、ぶざまに地面に転がったのは。

 それ故の、我を忘れるほどの怒りであった。


 つまりこれは。

 千載一遇の好機である。



        ※※※



 おれはゲームの設定を知っている。

 六魔衆のうち、五百年前の戦いを生き残った個体は紅の邪眼ブラッドアイともう一体のみ。


 王家狩りクラウンハンターをはじめとした残りの四体は、この五百年の間に生まれた存在である。

 なかでも死の暴君デスタイラントは、その随一の巨体にもかかわらず、つい最近……。


 そう、たった十年前に誕生した個体であった。

 それは、西の果ての地に閉じ込められた魔族たちが、長い時間をかけて竜種の遺伝子をいじり、無数の魔物たちを犠牲にして生み出したモノ。


 いわば究極の魔族なのであり……。

 西の果てに張られた結界を、その圧倒的な力で強引にこじ開け、魔王軍の侵攻を可能とした存在でもあった。


 そう。

 五百年前、どの魔族も成し遂げられなかったことをやってみせたのが、この死の暴君デスタイラントなのだ。


 死の暴君デスタイラントこそ、魔族の希望の象徴であった。

 しかし、どれほど強大であろうと、まだわずか十歳にすぎない。


 その精神はまだ幼く、本能のまま動こうとする。

 魔王軍は死の暴君デスタイラントを持て余し、この幼い暴君を好き勝手に行動させていた。


 その結果、人類側は小国がいくつも潰れて、聖教の主力も壊滅的な打撃を受けたわけだが……。

 それはたまたま、なのである。


 魔王軍側としては偶然、上手くいったにすぎなかった。

 死の暴君デスタイラントが癇癪を起こして魔王軍の本隊に乱入でもしていれば、多くの魔族や魔物がなすすべもなく狩られていたことだろう。


 ゲームでは、魔王軍の幹部が死の暴君デスタイラントの対応に苦慮する様子が描かれていた。

 なにせほかの六魔衆ですら、一対一では死の暴君デスタイラントを止められないのだ。


 傍若無人に、衝動のままに暴虐の限りを尽くす、魔王軍が数多の品種改良の末に生み出された破壊の権化。

 それこそが死の暴君デスタイラントであった。


 おれがこいつと戦いたくなかったいちばんの理由は、単純である。

 こいつが六魔衆でも最強だからだ。


 攻撃力もそうだが、特にいかなる攻撃も弾くその防御力がヤバい。

 生半可な攻撃ではダメージ1である。


 いつか倒さなければならない相手だとしても、いま、この状態で当たりたくない。

 そう思うのは、当然だろう。


 いやまあ、だからといって聖僧騎士たちに押しつけたところで、彼らがなんとかできるとは思えないが……。

 あいつらのうち五人は、いちどこいつと戦って、ある程度はデータを把握してるし、聖教本部の方でなにか手立てもあるかな、と……ブルームの反応をみるに、なかったっぽいけど。


 とはいえ悪いことばかりではない。

 ほかの六魔衆であれば、おそらく魔王の首を所持するリアリアリアが集中的に狙われたはずだ。


 こいつには、そこまでの考えがない。

 魔王の首が放射する魔力を感知してこの場までたどり着いたのだろうが、その具体的な場所を探るより前に攻撃され、しかも手ひどい侮辱まで受けて、完全にわれを失っていた。


 好都合なことだ。

 この戦い、おれたちの勝利条件は相手の討伐ではない。


 魔王の首を封印の櫃に隠した状態でこの場から離脱できれば、それだけで充分なのである。

 もっとも、こいつから逃げるということ自体、現状では困難を極めるのだが……。


 だからこそ、その隙をつくるべく。

 おれは新兵器の重力大槌グラビティ・ハンマーを握って死の暴君デスタイラントに近づいた。


 足踏みするたびに地面が激しく揺れ、暴風が吹き荒れ、まともに立っているのも難しいという状況で宙を舞い、迂回しながら接近を試みる。

 ブルームが魔力弾を連続して放ち、ムルフィが雷撃の魔法を無数に飛ばして相手の注意を引きつけてくれていた。


 リアリアリアが地面から破竜鉱の大岩を生み出す。

 そのビルディングを遮蔽として、おれは左まわりで視界を切りながら移動する。


「兄さん、タイミングを指示するね」


 大岩の向こう側がみえないおれのかわりに、シェルが風の魔法を操って囁き声を伝えてくる。


「さん、に――」


 おれは無言でうなずき、大岩の陰で立ち止まった。


「――いち、いま!」


 合図と共に、飛び出す。

 目の前に、黒い巨大な柱があった。


 それが死の暴君デスタイラントの右前脚であると認識する間もなく、両手で握った重力大槌グラビティ・ハンマーをそこに向けて振り下ろす。

 同時に、シェルから受けとった魔力をあらん限り大槌に流した。


 重力大槌グラビティ・ハンマーの先端が、黄金色に輝く。

 インパクトの瞬間、大槌は爆発的に重量を増した。



        ※※※



 頑丈な相手に刃が通らず、打撃すらろくに通じないというなら、どうするか。

 ヴェルン王国の技術部は、ならば通じるだけの打撃力を用意すればいい、と考えた。


 十倍で駄目なら、百倍。

 百倍で駄目なら、千倍に。


 アホの発想である。

 普通、そうはならんやろ。


 なったのだ。

 打撃力とは、速度の二乗と質量の掛け算である。


 ならば槌を振るう速度を増加させたうえで、インパクトの瞬間だけ質量を増せばいいではないか。

 魔法ならば、それができるのではないか。


 魔力を質量に変換する魔法そのものは存在したが、その効率は非常に劣悪であった。

 ならば螺旋詠唱スパイラルチャントで魔力を供給すればいいではないか。


 無理である。

 無茶である。


 だが、その無理と無茶を通した結果として生まれたのが、重力大槌グラビティ・ハンマーなのであった。

 アリスを通じて螺旋詠唱スパチャを大槌に注ぎ込み、圧倒的な打撃力を生み出すこの武器は、はたして――。


 耳を聾する轟音が響く。

 全身の骨に、衝撃が広がった。


 反動で、おれは大槌から手を離し吹き飛ばされる。

 あっ、これ両手首がぽっきりといったな。


 手首が折れなければ、身体中の骨が折れていたかもしれない。

 だからまあ、これは結果オーライ、なのだけど……。


 そっかー、はんどうかー。

 そこまで考えて設計しなかったな、設計部め。


 呑気に、現実逃避的に、そんなことを考えながら、おれは宙を舞った。

 視線を、重力大槌グラビティ・ハンマーを叩きつけた右前脚に向ける。


 大木のように太い鱗だらけの漆黒の脚が、重力大槌グラビティ・ハンマーを叩きつけた場所を起点として、あらぬ方向に曲がっていた。

 巨竜が、ゆっくりと前のめりに倒れていく。



:やりやがった

:脚を! 折った!

:まじか!

:え、ハンマーなんかで折れるものなの、あれ

:じつは骨が脆かったとか……ないよね

:ないない、というか死の暴君デスタイラントが負傷した記録がそもそもない



 そう、ろくに負傷を与えたことすらなかった人類軍である。

 さきほどの誘爆の魔法インドゥークションも、せいぜい相手を驚かせた程度であろう。


 これが、初めてまともに死の暴君デスタイラントに与えたダメージなのだ。


「アリスお姉ちゃん!」


 吹き飛ばされたおれは、巨竜の下敷きになる前に、空中でシェルに抱きかかえられる。

 彼女はおれを捕まえたまま、その場を離脱した。


 巨竜が五つの頭から地面に突っ伏し、地響きと共に大気がおおきく揺れる。

 おれのいる空中にも、その振動は届いた。


 空気の激しい擾乱のなか、おれとシェルは抱き合ったままくるくる宙を舞う。

 折れた手首が熱い。


「ちょっ、うわっ、お姉ちゃん! 折れてる、折れてる!」



:あちゃー、肉体増強フィジカルエンチャントしてても手首が耐えきれなかったか

:下手したら身体中が粉々になってもおかしくなかった

:次への課題かな、柄の部分に振動を吸収する魔法を……いや、いっそ綺麗に折れた方が安全か?

:技術屋が、ヒトの心がない話をしてる

:いまさらでしょ……



 コメント欄で次の設計を始めるのはやめろ。

 つーか人体破壊前提で武器をつくるな。


「い、いますぐ治療するからっ! あと、お姉ちゃんの身体を壊す武器は次から絶対に駄目!」



:はい……

:シェルちゃんが全面的に正しい

:もうちょっと使用者を労わって

:でも良心を犠牲に六魔衆を倒せるなら、アリよりのアリでは?

:国が滅ぶよりマシではある



 シェルに治療されながら、離れた場所から倒れた死の暴君デスタイラントの様子を窺う。

 四本ある脚の一本を折られただけだというのに、六魔衆の最強は、五本の首をぐったりとさせていた。


 五組の目が、落ち着かない様子であちこち動いている。

 どうやら、これは……ひどく戸惑っているのか。



:そうか、この竜、ろくに痛みも感じたことがないのか?

:え、そんなことある?

:わからない、アリスちゃん、慎重に



「う、うん、もちろんだけど……でも」


 おれはシェルと共に地面に降りて、リアリアリアのもとへ駆け寄る。

 大魔術師は、いささか疲れた様子でおれを出迎えた。



「リアさま、大丈夫?」

「ええ、わたしの方は問題ありません。ですが、あの竜の様子は……」

「いまなら逃げられると思うよ、リアさま! こっちは後詰めになるから!」


 おれたちの勝利条件は、こいつを倒すことではない。

 聖教本部の部隊が持ってきているはずの封印櫃に魔王の首を収め、これを魔族の手が届かない場所まで移してしまうことが第一である。


 リアリアリアは、おれの唐突な言葉に一瞬だけ唇を噛んだあと……。


「わかりました。では、聖教本部の部隊と合流いたします」


 そう、すぐにうなずいてみせた。

 決断が早い!


 リアリアリアが、短く呪文を唱える。

 次の瞬間、彼女の姿は、ふっとかき消えた。


 透明化なのか短距離テレポートなのかはわからないが、とにかくこの場から彼女が動いたならば……。

 あとは、おれたちがどうやって時間を稼ぐか、である。


「ブルーム! ムルフィ! 死の暴君デスタイラントの方はどう?」

「未だ、戸惑っている様子であるな!」

「ん、でも、もうすぐ起き上がりそう」


 これで戦意を喪失してくれるならありがたかったのだが……。

 どうやら、そこまで都合よくはいかないらしい。


 ほどなくして、いっそう猛り狂った咆哮があがる。

 全身が怖気立つ。


 おれたちは改めて、気を引き締めた。


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