第37.5話

 わたし、メリルアリルは、ヴェルン王国のいち伯爵家の娘として生まれた。

 難産だったという話である。


 お産のために魔術師が頑張ってくれて、それでも母は産後の衰弱により亡くなってしまった。

 母を深く愛していた父は、後妻も妾もとらなかった。


 貴族としては失格だろう。

 でも兄弟もわたしも、そんな父が嫌いではなかった。


 末っ子となったわたしを、父は、兄たちは、姉たちは適度に愛してくれた。

 ただ、わたしは身体が弱くて、だから魔力はけっこう高かったけれど、兄や姉のように戦うことは無理だといわれた。


 屋敷の広い広い庭で皆が訓練するなか、わたしはひとり、隅っこで暇つぶしに魔法の訓練をしていた。

 繊細な魔力の操作が培われたのは、そんな子ども時代のおかげかもしれない。


 あまり自己主張が強い方だとは思わないし、自分から親になにかをねだったことはなかったと思う。

 同年代の子ども同士で集まったパーティなどでは、壁の花になるのがいつものパターンだった。


 そんなわたしを心配してか、親はコネを盛大に使って、わたしをエスアルテテル王女の側仕えにねじ込んだ。

 王都で王城に住み込みで働き、王女の従者としてだけでなく友人としての役割も持つ、重要なお役目である。


 なぜかはわからないけれど、エスアルテテル王女はわたしを気に入ってくれた。

 王女は気さくな方で、人がいないときなどは同世代の友人として気安く振る舞って欲しい、とわたしに頼んでくるほどだった。


「ぼくのことは、エステルって呼んでね。あと、気に入らなかったらぶっ叩いてくれてもいいからね!」


 そう言って、ちょっとふくよかなお腹をぷにぷに揺らして笑うのだった。

 うん、当時から彼女はぽっちゃりな人で、でもそれをぜんぜん気にしていなかった。


 王女にお仕えするのは、ちょっとだけたいへんだった。

 なにせ、料理という己の欲望がいちばんな人である。


 勝手に料理魔法を使って台所をめちゃくちゃにするのは日常茶飯事、塩が砂糖に変わっていることも再三再四、へんな新作料理の試食をさせられて寝込んだことも数えきれないほどある。


 それでも、楽しかった。

 家族の間では共有できない体験の数々だったのだ。


「ぼくは、ほら、王族でも駄目な子だからさ。クジのハズレはハズレなりに、好き勝手やらせてもらうさ。その結果、どんなことになっても、まあ自業自得だよね」


 それが王女の口癖で、たぶん自分自身にいい聞かせて、そう信じ込もうとしていたみたいだ。

 ほどなく適当な貴族に降嫁させられるんだろうな、と彼女はそういっていたし、周囲もそう噂をしていた。


 螺旋詠唱スパイラルチャントによる王国放送ヴィジョンシステムの構想をリアリアリア様が王家に持ち込むまでは。


 前線で戦う者のために、王城に座っていながら魔力を送り戦いを支援することができる。

 およそ戦うための才能が皆無だった王女にとって、それは天から降りてきた救いの声だったのかもしれない。


「リアお婆ちゃんのおかげで、ぼくは初めて、王族としての自信が持てるかもしれない」


 打ち合わせの帰りに、そんなことをいって、彼女は笑うのだった。

 ちなみにそのとき出会ったアランという人については、「真面目すぎるよねー」といっていた。


「ああいう人のお嫁さんになったら、苦労しそう」

「そうでしょうか。好青年だと思います。嘘がつけないまっすぐな性格、好ましいです」

「あれー? メリルったら、ああいうのがいいの? ほっほー?」


 そのときのわたしは、恥ずかしがって、全力で否定した。

 アランさんへの想いを自覚するのは、もう少し後のことである。


 その後。

 実用化された王国放送ヴィジョンシステムによって、アランさんがアリスちゃんとなって活躍するなんて思ってもみなかった。



        ※※※


 アリスちゃんが戦うときは、王族たちは、王都の城にあるそれぞれの自室に籠りきりとなる。

 そこに王国放送ヴィジョン端末が設置されているからだ。


 掌の上に乗るサイズの、虹色の水晶、それが王国放送ヴィジョン端末だった。

 これはアリスちゃんの何度目かの戦いでのこと。


 虹色の水晶たんまつから光が走り、壁にかけられた白い布にアリスちゃんの姿が浮かび上がる。

 エステル王女が触媒の宝石を手にしたまま端末に触れると、宝石が虹色に輝いて溶け出す。


 王女の魔力が端末に吸い込まれているのだ。

 この球体を通じて、はるか遠くで戦っているアリスちゃんに魔力が送られる。


「いけーっ、がんばれーっ!」

「がんばってください、アリスちゃん!」

「そこ、やっちゃって!」


 エステル王女のみならず、側仕えのわたしたちも声を張り上げてアリスちゃんを応援する。

 同時にエステル王女が、虹色の水晶たんまつに手を触れたまま思念を送っている。


 思念は文字となって、スクリーンの脇のコメント欄に送られる。

 ほかの王族たちも、いまごろ彼女と同じようにアリスちゃんを応援しているはずだった。



:そこだ、スカートをひるがえせ、パンツをみせろ

:アリスちゃん、こっち向いてポーズして

:そのまま服を脱いで



「お兄ちゃんたち、ほんと人として恥ずかしくないの? 王都のみんながみてるんでしょ? 馬鹿なの!? 馬鹿なんだよね!?」



:もっと罵って

:その罵倒を聞きたかった

:はぁはぁはぁ、もっと馬鹿っていって

:今日のパンツの色も教えて



 さっきからパンツ、パンツとコメントしているのが、わたしの敬愛する主人エステルさまだ。

 わたし以外の側仕えたちが、一様にドン引きしていた。


「本当にこれでストレスの解消ができるのですか?」

「もっちろん!」


 おそるおそる質問したところ、とてもいい笑顔で返事がきた。

 わたしもドン引きした。


「でもね、それだけじゃないよ。アリスちゃんを貶めることが本当の目的なの」

「もっとひどいのでは?」

「言葉が悪かったかも。アリスちゃんを、ただの英雄にしちゃ駄目なんだってさ。民衆が親しみを覚える偶像アイドルにするんだって」


 英雄ではなく、親しみを覚える相手。

 つまり、コメントを通じて気軽に接することができ、螺旋詠唱スパイラルチャントを投入して応援したくなるような人物、ということか。


 魔族との戦いは激化するだろう。

 むしろこれからが本番である。


 その戦いのなかで、アリスが英雄であってはならない。

 アリスは魔族との戦いで先頭に立つ偶像アイドルで、皆と共に戦う存在、ということだろうか。


 王族全体として、その目的意識を共有しているから、このひどいコメント欄がある?

 わたしが混乱していると、エステル王女は、にひひっ、と笑った。


「それはそれとして、困っているアリスちゃん可愛いよねえ。もっと困らせたい。辱めたい」

「最低です、殿下」


 でも、とわたしはスクリーンを覗き込む。

 そこで悪態をつきながら活躍しているアリスちゃんに、あの日みた青年の姿を重ねる。


 がんばれ、と心のなかで応援した。



        ※※※



 わたしの特異な体質、過同調体質が判明したのは、そろそろ側仕えのお役目が終わるかというころだった。

 エステル王女は、最初、この体質のことを隠そう、と提案してくれた。


「メリル、このことがお父さまに知られたら、きみはひとときも自由じゃいられなくなる。否応なく、国の財産として扱われる」

「そう、かもしれません。でも、この体質を使えば、少しは殿下のお役に立てるかもしれないんです」


 わたしはエステル王女にそういって、体質のことを上に報告してもらった。

 具体的には、ディアスアレス王子とマエリエル王女に。


 ふたりの王族から、王に報告がいくはずだった。

 そこから先、どうなるかはわからない。


「ねえねえ、ところでメリルってさ。ぼくらとアランくんが会談するとき、ずっとアランくんのことみてたよね。アランくんと結婚するの、メリル的にアリ? ナシ?」

「アリアリです、殿下」


 わたしは間髪いれず、そう返事をした。

 エステル王女は、にへらと笑って「そう来ると思った!」と返してくる。


「それじゃ、婚約ね! 明日、顔合わせするから!」


 わたしは目を白黒させた。


 それからは急展開だった。

 夢のような日々だった。


 わたしはアランの婚約者となり、臨時にシェルの役目を務めることとなった。

 南の国セウィチアで、彼とデートして、彼と共に戦って……。


 そのあげく、不覚をとった。

 シェルとしてのお役目を務めている最中に幻影を破られてしまった。


 後悔はない。

 あのときエステル王女を守れなかったら、わたしは一生、自分を許すことができなかっただろう。


 怪我は魔法で簡単に治療された。

 でも、シェルの正体はわたし、伯爵令嬢のメリルアリルということになった。


「ごめんね、メリル。きみはしばらく、アランと会えない。婚約もなし。そういうことになった」


 エステル王女に、頭を下げられた。


「やめてください、殿下がわたしに謝る必要なんてありません」

「でもさ! ぼくなんかを守って、こうなったんだよ!」

「まず、なんか、というのをやめてください。殿下を守ることができて、わたしは誇らしいのです」

「……うん、そうだね。いまのはよくなかった。ぼくを守ってくれて、ありがとう。メリル、きみの献身を無駄にはしない」


 わたしは微笑んで、泣きそうな顔をするエステル王女を抱きしめた。


 誇らしい、というのは本当だ。

 わたしのすべてに代えてもこの人を守ることができるなら、それはとても嬉しいことだった。


 そのせいで、アランとの婚約が破棄されてしまったのは悲しいことだけれど……。


「ほかの婚約の話が来るかもしれないけど、そういうのはちゃんと、全部却下するからね」

「はい、どのみち、受けるわけにはいきませんよね」

「そうだね。シェルが結婚するわけにはいかないんだから」


 今後も、魔王軍との戦いが終わるまで、わたしはシェルとして生きることとなるだろう。


 本来のアリスとシェルを守るための、生贄のようなものだ。

 そんなかたちでアランたちを援護できるなら、それでいっこうに構わない。


「だから、殿下。エステル様。泣かないでください」

「泣いてないもん」


 ぐすり、とわたしの胸のなかで、エステル王女が鼻をすすった。

 わたしはもう一度、やさしく彼女を抱きしめた。

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