第32話

 二十日ほど後。

 おれたちはセウィチア共和国の首都、セウィチア港都の商区の一角、ヴェルン王国大使館にいた。


 おれたち、とはおれとシェリー、メリルアリル、そして第五王女エスアルテテルとその配下二十人ばかりのことだ。


 もっともおれとシェリーは、今日の夕方、空を飛んでこのセウィチアで合流したばかりである。

 ギリギリまでヴェルン王国の王都で療養していたのだ。


 合流早々、シェリーとメリルアリルが顔を合わせる。


 シェリーには、あらかじめ先日のお見合い・・・・の顛末を説明してあった。

 だから、メリルアリルへの態度に戦々恐々であったのだが……。


「あなたが、兄さんの婚約者ですね。初めまして、妹のシェリーです。これからよろしくお願いします」


 シェリーは笑顔でそういって、ぺこりと頭を下げた。

 メリルアリルは、こちらの方がぎこちなく「わたしの方こそ」とぺこぺこ頭を下げている。


 ちなみにメリルアリル、彼女はヴェルン王国の東方の町を治める伯爵家のご令嬢だ。

 魔王軍の最前線に立つわけではないとはいえ、西の前線が崩壊すれば、なし崩し的に魔王軍がなだれ込んでくるだろう、という危機感は共有されている。


 伯爵当主には、内々にアリスおれの正体を打ち明け済みだ。

 そりゃ、伯爵家としてはこの縁談に乗り気になる。


 メリルアリルを使って王家とおれの縁を繋ぐことができれば、それは強力な伝手になるだろう。


 そういった周囲の思惑とは別に、メリルアリルはおれに対して好意を抱いているみたいだ。

 ついでに、血のつながりもなにもない相手との魔力リンクができる、ちょっと特別な人材でもある。


 王都で一度、おれと彼女で魔力リンクを試してみた。

 思った以上に上手く、彼女はおれに魔力を流してきた。


 おれが走りまわっても、器用に追従できている。

 さすがにシェリーと比べれば、だいぶ拙いものではあるけれど……。


 シェリーとディラーチャは長年、パートナーと魔力リンクの訓練をしてきた別格の存在だからね。

 多少、乱暴に動いても魔力リンクを切らさないでくれる、というだけでも得難い人材である。


「幼いころから、あまり身体を動かすのが得意ではなくて……。魔力を操ってあれこれするひとり遊びをしているうちに、こんなことばかり器用になってしまいました」


 とのことである。

 世の中、なにが幸いするかわからないものだ。


 これだけ使える人材なら、縁談云々はともかく、戦力として確保しておきたい。

 で――。


 そんなメリルアリルとシェリーは、思いのほかちゃんとした挨拶ができている。

 人見知りで兄に対する独占欲も強いシェリーが相手だから、どうなることかとひやひやものだったが……いやはや、無事に済んでよかった、よかった。


「わたしのことはメリルと呼び捨ててくれて結構ですよ、シェリーさん」

「はい、わかりました、メリル。わたしのことも、呼び捨てで結構ですよ。ふたりで末永く、兄さんを支えていきましょうね」

「え? あ、はい、シェリー。……あれ、ふたりで?」


 小首をかしげるメリルアリル。

 うん?


「兄さん」

「なんだ、シェリー」

「わたしたちは、いつまでもずっといっしょだよね」

「もちろんだ」


 なにを当たり前のことを。

 おれたちは兄と妹なんだぞ。


「あっ、察した。策士よな、シェリーちゃん」


 エステル王女がぽんと手を打つ。

 どうしたんだ、いったい?


        ※※※


 さて、季節は夏まっさかり。

 この港都も日中は日差しが強く、人々は主に朝と夕方に活動して昼は木陰で休んでいることが多いという。


 もっとも、おれたちがいる大使館はクーラーが利いていて快適だ。


 そう、クーラーだ。

 このセウィチア共和国が開発した冷房の魔導具である。


 正確にはセウィチア共和国の評議会に議席を持つ豪商と魔術師協会が手を組んで、二十年ほど前、ようやく完成した魔道具が、最近になってようやく量産されはじめたのだとか。

 まだまだ魔道具の値段も高く、冷房を維持するのに必要な魔力量もあまり抑えられていないため、豪商の邸宅に用意するくらいが精一杯であるらしい。


 でも、そういった豪商は我が国の貴族と違って魔力量が高くない。

 冷房の魔道具を維持するためだけに魔術師を雇うのも、効率が悪い。


 そのため、クーラーというおれにとっては文明の必需品も、あまり普及が進んでいないのだという。

 ヴェルン王国の大使館なんかは、その例外だ。


 なんせここに常駐しているのって我が国の貴族、すなわち魔力量には自信がある人々なのだからね。

 うーん、でもそのへんを考えると……。


「クーラーもろくに稼働させられない程度の魔力量の人たちに王国放送ヴィジョン端末を渡しても、ろくに螺旋詠唱スパチャを貰えないのでは?」


 おれは、先の曲がったスプーンを握って甘い水菓子をがつがつ貪っているエステル王女に訊ねた。

 大使館の一室で、エステル王女の隣にはメリルアリルが座っている。


 シェリーはいま、大使館の魔法的な防護設備を確認するとのことで席を外していた。

 それをいいことに、エステル王女が颯爽とおやつタイムを始めたのである。


 お菓子の国から来たとおぼしきふとっちょ王女は、えへらと笑って「それは向こうが考えることだよー」と返事をする。


「彼らは欲しいといった。協力は惜しまないって。破格の条件だった。だったらヴェルン王国うちとしては、優先しない理由がないよ」

「魔王軍との戦争準備なんでしょう? そんな余裕あるんですか」

「戦争でも先立つものは必要だよ、アランくん」


 その理屈はわかるんだけどね。

 隣国があと一年保たず陥落すると考えると、どうなんだろう。


「それに、魔王軍の主力が南下してこっちを襲う可能性もあるよ。そうでなくても、こっちの守りを固めることで魔王軍を牽制できる。ディー兄さん、そんな感じのこといってた」

「相手に複数の戦線を強要するわけですか。でもアリスとムルフィしかまともな機動戦力がない現状だと、厳しくないですか?」

「厳しいよねえ。そのあたりの課題は棚上げな感じー」


 本来、血縁関係以外で魔力リンクが可能な条件というのが、なかなか厳しい。


 原作においては、そのひとつが性行為なんだけど……そんなの戦闘中にできるわけがない。

 薬を使った方法も、廃人になる前提だったりする。


 メリルアリルが思ったより上手に魔力リンクできるから、彼女のパートナーとなる人材が出てきてくれればまた別なんだけど。

 でも過同調体質である彼女が魔力リンクする条件は、「互いの想いが通じ合っていること」らしい。


 別にそれは恋愛関係に限らないとのことで、たとえばエステル王女なんかは、エステル王女が耐えられればメリルアリルとの魔力リンクが可能であるとのこと。

 でも、エステル王女はちょっと練習した結果、諦めたらしい。


 最初はあれ、めちゃくちゃ痛いし不快感もすごいんだよなあ。

 普通、魔力リンクというのは、何年もかけて身体を慣らすものなのだ。


「そういうわけで、明日の予定表、アランくんに渡して」


 エステル王女が合図すると、お付きのメイドがおれに冊子を差し出す。

 それを受けとって、ぱらぱら眺めた。


「なるほど、おれはアリスになって……うん? 握手会?」

「ファンサービスだよー」


 なんだって?


「トークショーもするよー。アリスがぼくのお菓子を食べながら、この国のお偉いさんたちとの話し合いをするのさ。その模様を王国放送ヴィジョンで中継するんだよー」

「正気ですか」


 思わず、そう口を突いて出た。

 エステル王女は呑気にえへらと笑っている。


「正気、正気。ちなみに明後日は、観劇の予定だよー。アリスちゃんが西の戦線で難民を救援するお話だよー」


 それアリスの姿でみなきゃいけないの?


 ははっ。

 羞恥心で軽く死ねそう。


 意図は、わかる。

 この国にプロパガンダを仕掛けるのね。


 トップ会談でいろいろ決まる他国と違って、豪商たちが支配する議会を味方につけるためには、有効な手段か。


 それにしたってここまで露骨でいいのか?

 いや、善悪の話ではなく、このセウィチアが露骨なプロパガンダを許すのか、という話で。


「いまの議長とは話がついてるんだよー。でもこの国は、議長の一存だけじゃ動かないんだってさー」

「あ、国内を納得させたいって話なんですね」

「そりゃそうさー。うちの国としても、スジを通したうえでやらないと、今後の他国での作戦に響くからねー」


 さっきまでの話を総合すると、このセウィチア共和国における王国放送ヴィジョン端末の設置は、あくまで他国のさきがけ、試験石なのだろう。

 この国に無理矢理いうことをきかせたところで、他国が余計に警戒するだけである。


 ただでさえ、アリスとムルフィは他国にとって戦略兵器みたいなもの、めちゃくちゃに警戒されてもおかしくはないのだから。

 アリスを使ってこの国の人々の好感度をあげ、抱き込むことにはおおきな意味がある。


「段取りはもう終わってて、あとはディー兄さんたちの計画の通りに進めるだけ。だから王族でもわりと役立たずなぼくが派遣されたってわけ。交渉のための格だけは持っているからね」


 エステル王女はそう自虐してみせるが、この場の誰も、彼女が無能とは思っていないだろう。

 単純にディアスアレス王子が有能すぎるだけである。


 ちらりとメリルアリルの方をみれば、おれの視線に気づいたのか、軽く肩をすくめてみせていた。

 こういうときは放っておけ、ということらしい。


「なにさなにさ、アランくんとメリルったら、視線で通じ合っちゃって。いやらしーっ」

「わたしの地方には、泣く子駄々っ子放っておけ、という諺があるのですよ、エステル様」

「なーにーそれーっ! ぼくが駄々をこねてるってわけーっ?」


 エステル王女は、ソファーに寝っ転がって足をばたばたさせる。

 本当に駄々っ子だ……とメイドたちが苦笑いしている。


 シェリーが設備の点検から戻ってきて、騒々しい様子に目を白黒させた。


「シェリー、おつかれさま。問題なかったか?」

「うん、兄さん。師匠から貰った最新の術式を刻んできたよ」


 ちょっと問題があったらしい。

 いや、単純にリアリアリアの魔法が高度すぎるってことかな。


 我が愛しの妹は、これでもリアリアリアの一番弟子で、しかも天才魔術師なのだ。

 えっへん。


 そんな彼女は、ソファのおれの横にちょこんと座ると、頭をおれの肩に預けるように寄りかかってきた。

 甘えたいらしい。


 おれはシェリーの頭をゆっくりと撫でる。

 シェリーは、えへへ、と少し恥ずかしそうに笑う。


「うーん、この子、手ごわいねえ」


 エステル王女が、なにかいいたそうな顔でメリルアリルをみる。

 メリルアリルはぐっと拳を握る。


「がんばりますね、わたし」


 うん、よくわからないけど頑張れ?

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