第30話

 初夏の王都、曇天。

 時刻は、正午少し前。


 その日、朝からおれの愛しの妹シェリーは、ひどく不機嫌だった。


「兄さんなんか、知らないんだから」


 リアリアリアの屋敷の廊下で顔をつき合わせても、そう吐き捨てて、そっぽを向き、立ち去ってしまう。

 うう、悲しい……しくしく。


 さっきまで共に剣の稽古をしていたエリカ師匠が、なにをやらかした、といいたげにおれを睨んだ。


「妹は大事にしろよ」

「大事にしてますって。不機嫌な理由は、わかってるんですよ。おれ、これからちょっと出かけないといけないんです」

「ひとりで、か?」

「馬車です。例の殿下たちが使う、郊外のお屋敷に」


 例の王子たち、といったところで師匠が露骨に顔をしかめた。

 未だに、王都に到着した日の出来事を根にもっているらしい。


 いきなり現れて好き勝手いって去っていくのは、たしかにあれ王子たちの方が悪いと思うよ。

 でも師匠も、もう少し貴族慣れした方がいいんじゃないかなあ。


「殿下たちのところにいくだけでシェリーが不機嫌になるか?」

「お見合いですからねえ」

「見合い? は? おまえが?」

「いや、おれ二十歳ですよ。適齢期ですって。まあ、まだ騎士見習いですけど」


 この大陸、女性はだいたい十三、四歳から十七、八歳で婚約する。

 男性はもう少し上で、おおむね見習いがとれたら、くらいが目安だ。


 おれの場合、騎士見習いといっても便宜上のものだから、立場を考えればさっさと身を固めろとせっつかれてもおかしくはない頃合い。


 そりゃ見合いのひとつくらいするよ?

 そんな顔をすると、師匠は軽く肩をすくめてみせた。


「そりゃまた、たいへんだな」

「わかってくれますか」

「だっておまえ、地位にも名誉にも興味ないじゃん」


 そうだよ。

 十年前からおれを知ってる師匠なら、それくらい、とうに承知してるよな。


「あの王子たちが関係してるお見合いなんて、絶対に地位と名誉がついてるやつだろ」

「いちおう、形だけでもやってくれって、って。断ってもいい、とはいわれてるんで」

「それ本当に断れるやつか?」


 わからないけど、たぶん大丈夫なんじゃないかなあ。

 あの王子、基本的に味方には誠実だし。


 変態だけど。

 今回だって王家からの福利厚生の一環としての、お見合いのはずである。


 二十歳の男の部下のお見合いも斡旋できないなんて雇用者の恥。

 そういう文化なんだよね、この大陸。


 で、まあ当然ながら、おれの妻となる人物は、おれがアリスであることを知っている必要がある。

 王家の秘密を知ることができ、口が堅い人物でなければ、そもそもおれに近づけることがリスクになってしまう。


 これにさらに、妹であるシェリーが大魔術師リアリアリアの一番弟子であり、実質的にはすでに貴族の一員であって、諸侯がシェリーとの繋がりを求めていること、等を考え合わせると、更に厄介極まりなかったりする。


「見合いの相手はどんな女なんだよ」

「伯爵令嬢と聞いてます」


 ちなみにヴェルン王国の場合、一般的な爵位は下から順番に男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵となる。

 公爵家は王家の成立時に強い貢献があった三家だけで、帝国の東方、西方、北方における守りの要として要衝を支配している。


 侯爵家は十六侯爵家、と呼ばれる十六の家で、それぞれがひとつの地方を支配している。


 伯爵家は基本的に町ひとつとその周囲の村々を支配している。

 子爵家、男爵家は村ひとつが一般的な支配域だ。


 まあこれはうちの国における一般的なものであって、例外も多数あるのだけど……。


 加えて、一般的ではない爵位がある。

 代表的なのが魔術爵、大魔術爵だ。


 字面からだいたいわかると思うけど、魔術師に与えられる爵位で、基本的には名誉職に近いものだ。

 ちなみに現在の我が国において、大魔術爵を与えられているのはリアリアリアひとりである。


 閑話休題。


「事情を知っているなら、それくらいじゃないと釣り合わんか」

「おれとしちゃ、恐れ多いですよ。お相手の年齢は十六とか」

「妥当なところだな」


 基本的に地位が高い者ほど早期に結婚する。

 ディアスアレス王子の場合、たしか生まれる前からの婚約者と十歳のときに結婚、お相手はそのとき十四歳とかだったはず。


 マエリエル王女が婚約していないのは外交の切り札とかなんとか、だったような。

 他にも王家と貴族の派閥争いとかいろいろな事情があるらしいんだけど、おれはよくわからないし、わかりたくない。


 そんなわけで、おれの相手をわざわざディアスアレス王子が斡旋することになったというわけだ。

 いろいろと、気が重い。


        ※※※


 雨がしとしとと降り出した午後。

 おれはディアスアレス王子が用意してくれた馬車に乗って、王都のはずれにあるディアスアレス王子愛用の屋敷を訪れた。


 屋敷を囲む高い塀の内側には、広い庭がある。

 その一角の花壇で、マエリエル王女と赤い服を着た小太りの女性が、並んで傘を差し、なごやかに語らっているのがみえた。


 知っている人だ。

 第五王女エスアルテテルである。


 腹は違えどもマエリエル王女とは特に仲がよく、なんどもアリスに螺旋詠唱スパイラルチャントを送ってくれていた。

 エスアルテテル王女は馬車から下りたおれに気づいて、おおきく手を振る。


「おーい、アレンくーん! 元気してたかなーっ?」

「エスアルテテル様もお変わりなく……って、危ないっ」

「わあっ」


 エスアルテテル王女は、どすどすとおれの方に駆けてこようとして……。

 派手にすっ転んだ。


 その少し腹まわりのおおきな身体が、反転しかけたところでふわりと宙に浮く。


 そばで、マエリエル王女がおおきくため息をついた。

 その手には小杖ワンドが握られている。


 彼女がとっさに魔法でエスアルテテル王女の身体を浮かして、地面に尻もちをつかないようにしたのだ。

 さすが、幼少期にほんの少しとはいえ、リアリアリアの手ほどきを受けていただけのことはある。


「あはは、ありがと、マリー」

「ほんと、エステルはこれだから……。もう少し運動しなさい」

「えー、めんどくさーい」


 おれも安堵の息を吐く。

 やれやれ、相変わらずだこと。


 いつまでも雨に濡れるのもなんなので、共に屋敷に入る。

 エスアルテテル王女は、おれに積極的に話しかけてきた。


「ねえねえ、ディラーチャとムリムラーチャに贈り物をしたいのだけど、なにがいいかな。パーティ用のドレスとか、受けとってくれるかなあ」

「王都に辿り着くまでそうとう苦労したみたいですから、なんでも貰えるなら喜んでくれると思いますよ。でもいちばん嬉しいのは金貨や宝石でしょうね」

「アレンくん、夢がなーいっ」


 ほっといてくれ。

 だいたいあのふたり、パーティとか絶対、出たがらないだろ。


「エスアルテテル殿下は、今日はなんでこちらに?」

「アレンくん、ぼくのことはエステルって呼んでよ」

「いや、エスアルテテル殿下、さすがにそれは……」

「エ・ス・テ・ル!」

「エステル殿下」

「うーん、殿下もいらないと思うんだけどなあ」


 あなたのなかではそうなんだろうけど、ここでだって使用人の目があるし、マエリエル王女が隣で笑ってるんだぞ。


「それで、エステル殿下は今日、どのようなご用事ですか」

「もっちろん、ぼくはアレンくんに会いに来たんだよ」

「ひょっとして、今日のお見合いってエステル殿下のセッティングだったりしますか?」

「うーん、それはちょっと違うかな。お願いはされたけど」


 お願い? なんだろう。

 このひと、わりとガチで天然なので、王家もあまり重要な仕事は任せてないって話なんだよな。


 ただし、有能か無能かといえば、めちゃくちゃ有能。

 自分の得意分野においてはこの国でも随一の才能を持っている。


 ただ、その才能というのが、王族が持っていてもいまひとつ役に立たない類いのものであって……。


「ねえねえ、アランくん。これ、新作なんだ。食べてみてくれないかな」


 エステル殿下が、年配のメイドのひとりに指示する。

 そのメイドが差し出してきたのは、焼き菓子の入った籠であった。


 ふむ。

 いっけん、ただのクッキーにみえるけど……?


 おれは焼き菓子を一枚つまんで、ひょいと口に入れる。

 口のなかに、じわりと甘酸っぱい果汁が広がった。


 うん? なんだこれ!?


 唾液でクッキーの表面が溶けて、生地に包まれていたどろりとした液体があふれ出たのか。

 甘い液体と酸っぱい液体が入り混じって、舌を複雑に刺激する。


 おれは、さぞ目を白黒させていたのだろう。

 エステル殿下は、後ろ手に組んで少し前かがみになると、ふっふっふーっ、とにやにやしながらおれをみあげる。


「どーだ、アレンくん。参ったかーっ」


 参るとか参らないとか、お菓子と関係あるのかな?

 まあ、いいか。


「参りました。どうやってつくったんですか、これ。ちょっと見当もつかないですね」

「このお菓子の外側を焼いたあと、ちいさな穴を前後から開けて、二種類のシロップを同時に流し込むんだよ。でね、シロップを魔法で圧縮しておいて、なかで膨らむようにしておくの。このために開発した魔法なんだよ。とってもたいへんだったんだあ」


 このお菓子をつくるための魔法、ねえ。

 いやはや、その情熱だけはたいしたものである。


 そう、この方、料理魔法専門の魔術師なのだ。

 市井の料理店の娘に生まれれば、さぞ財貨を築いたことだろう。


 でも彼女が生まれたのは、この国の王家であった。

 王族である以上、王族としての責任が生まれる。


 そして王族は普通、料理なんてしない。

 そのための魔法なんて開発しない。


 まあ、いまのところ、その有り余る魔力を螺旋詠唱スパイラルチャントでアリスに流すという意味では、充分に王族の義務を果たしているわけだけども……。

 ちなみに、コメントでたまにアリスを煽ってる面々のひとりが彼女である。


 大概にしとけよ?


「ちなみにネタバレすると、今日、アレンくんがお見合いするのは、ぼくのところに行儀見習いに来ていた子だよ。ぼくの大切な友人なんだから、泣かせないでね」

「形式だけのお見合いって聞いたんですけど?」

「えー? ディー兄さん、話が違うんじゃないのー?」


 いつも密談する部屋につく。

 ノックをしてなかに入ると、なかにいたのはディアスアレス王子の使者としていつもリアリアリアの屋敷を訪れる、初老の男であった。


「お待ちしておりました。殿下はお忙しく、替わりにわたくしが……」


 うん? ディアスアレス王子、今日は来てないのか。

 向こうから呼び出しておいて。


 いや王族を相手にそんなこと、口が裂けてもいえないけど。


「あーっ、ディー兄さん、これ絶対逃げたでしょーっ!」

「ええ、逃げましたわね……」


 エステル王女が、だん、だん、とはしたなく足を踏み鳴らして怒る。

 マエリエル王女も、腕組みして苦笑いしている。


「ちょっとーっ! ディー兄さんったら、メリルに恥をかかせる気なのかな!? ディー兄さんのところの調味料、全部お砂糖に変換しちゃおうか!?」

「エステルあなた、また無駄にへんな魔法を開発しましたわね」


 この世界、砂糖をはじめとした調味料はわりと魔法でつくれる。

 ある程度の材料があれば、そんなに魔力が多くない者でも生産できる程度にはポピュラーな魔法だ。


 もっとも術式は難しかったり秘匿されていたりと寡占されている調味料も多い。

 砂糖魔法は、そんななかでも各国でさまざまな術式が広まっている魔法のひとつ、ではあるのだが……。


 調味料を砂糖に変換する魔法なんて聞いたことがないぞ。

 この子、ほんとにこの方面の才能だけはあるんだよな……。


「もうっ、もうっ、もーっ!! 段取りとか全部、無駄になっちゃった気がするよ! ――ま、いいや。メリル、呼んでくるね!」


 さんざん叫んだあと、ぱたぱたと走って部屋を出ていくエステル王女。

 年配のメイドが、慌てて追いかける。


 なんで王女が自ら、使用人を迎えにいくんだよ。

 彼女のそばに仕える者は、ほかの王族の従者たちとは別の意味でたいへんだ。


「それで」


 エステル王女を見送ったあと、おれは改めてマエリエル王女に向き直る。


「こんな茶番を仕立て上げたのは、なぜですか?」

「あらあら、茶番とはひどいですわー。せっかくわたくしも忙しい合間をぬって参りましたのに」

「その忙しい王族が何人も、わざわざおれごときのお見合いにつきあうんです。相手の子、どんな事情を抱えているのか、あらかじめ聞かせてくれませんか」


 マエリエル王女は、はたして……。

 にやりとしてみせた。


「そういうアランのまっすぐなところ、とても好ましく思いますわ」

「操りやすいってことですよね」

「最近、判明したのですが……メリルアリルという子は、ちょっと特殊な体質なのですわ。ですので、きちんとわたくしが見届けませんと」

「特殊?」

「過同調体質。ご存じですか?」


 聞いたことがない単語に、おれは首をかしげた。

 マエリエル王女は、知らないでしょうね、とばかりにうなずく。


「簡単に申せば、ですね。彼女は、想いが通じ合った相手となら、誰とでも魔力リンクが可能なのです」


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