第8話

 グリード・クロウラーの相手を師匠に任せることにする。


 おれは二階建ての建物の屋根から、倒れた少女のそばの地面に着地した。

 少女がさきほどの吸引バキュームから逃げようとして、転んだ姿をみていたのである。


「大丈夫か」


 抱え起こせば、その子は昔の知り合いだった。

 まあ、あまりおおきくないこの町で、同年代から少し下くらいはだいたい知り合いなのだけれど。


「アラン……お兄ちゃん?」

「久しぶり。走れるか」


 靴屋の娘で、今は十六歳のはずだ。

 器用な子だった、という記憶がある。


 おれは剣の訓練や肉体増強フィジカルエンチャントの訓練で靴底がすぐすり減ってしまっていたから、当時見習いとして親を手伝っていた彼女に、よく靴を修理してもらったものである。


 口癖のように「アランお兄ちゃんはがんばり屋さんなんだね」といってくれていた。

 おれが自分とシェリーの魔法を比べて落ち込んでいたとき、「でもアランお兄ちゃんには、シェリーちゃんにはできないことができるでしょう?」と励ましてくれた。


 そんな彼女が、立ち上がろうとして、肩を押さえて顔をしかめる。

 よくみれば、瓦礫の欠片が彼女の左腕に突き刺さっていた。

 血が服に赤黒い染みをつくり、それがじわりと広がっていく。


「待っていろ、すぐ止血を……」

「これくらい、たいしたことないから」


 彼女はおれの言葉を遮り、首を横に振った。


 後ろを振り返る。

 かつて彼女の家があったところは、今やグリード・クロウラーの巨体に潰されて、ただ瓦礫が残るだけになってしまっていた。


「父さん、母さん」

「ふたりは、あそこに?」


 少女はうなずく。


 彼女の両親が生き残っている可能性は、万が一にもなかった。

 それくらい、無残な破壊の爪痕だけが残っていた。


「お客さんから預かった靴を持っていかないと、って……」

「そうか」

「アランお兄ちゃん、町を守って」


 おれは「わかった」といって、彼女から離れた。


「ひとりで逃げられるな。領主様のお屋敷に行くんだ」

「うん。戦えない人は、邪魔にならないようにしろ、だよね」

「そうだ。避難の心得、よく覚えていたな」

「アランお兄ちゃんに教わったことは、忘れないよ」


 親を失った少女は丘の上に駆けていく。

 それを背に、おれはグリード・クロウラーをみあげる。


 己を傷つけられたことに激怒しているのか、魔物はいっそう暴れまわっていた。


 師匠がその注意を引きながら逃げ続けている間に、騎士たちが矢を射かけている。

 しかし、やはりほとんど効いていない。


 無理もない、彼らの装備は、人が人と戦うためのものだからだ。

 師匠の大剣でも、かすり傷をつけられる程度だ。


 ほかの国々も同じである。

 人類はこの五百年、人が人と戦うための技術を磨いてきた。

 だが、魔王軍にはこの技術が通じない。


 人が魔族や魔物と戦うための技術が必要だった。

 その技術を四百年以上渡って研究していたのが、リアリアリアだ。


 人の脆弱な肉体ではその強靱さに対抗できない。

 だから、肉体増強フィジカルエンチャントで極限まで肉体を強化する。


 その際、一般的な魔術師では不足する魔力を、螺旋詠唱スパイラルチャントで補う。

 そのために、王国放送ヴィジョンシステムのネットワークを構築する。


 ただし、今のおれではこのシステムを利用することができない。

 螺旋詠唱スパイラルチャントを展開するための魔法はシェリーしか使えないし、王国放送ヴィジョンシステムの使用は事前に予約し、王都側で相応の準備をする必要がある。


「穴からなにか出てくるぞ!」


 誰かが叫ぶ。

 みればグリード・クロウラーの開け穴から、何体もの人型の生き物がよじ登ってきていた。


 燃え上がる家々の炎に照らされて、緑の鱗がテカテカと輝いている。

 顔まで鱗に覆われた、二足歩行する蜥蜴のような化け物。


 リザードマンと呼ばれる魔族だ。

 その全員が、粗末な槍を握っている。


 みる限り、ざっと二十体ほどか。

 リザードマンたちは奇声をあげて、騎士たちに襲いかかる。


 騎士たちは弓を捨て、抜刀して対抗する。

 だが彼らが振り降ろす剣は、リザードマンの分厚い鱗に弾かれてしまう。


 リザードマンたちの槍が騎士を襲う。

 騎士たちはかろうじてその攻撃を凌いでいるが、いつまで保つかわかったものではなかった。


「てめぇらにまで、好きにさせるかよっ」


 おれは小杖ワンドを剣に変化させ、握り直す。

 騎士たちに襲いかかるリザードマン部隊の横あいから突撃した。


 すれ違いざま、二体を始末する。

 相手がこちらを振り返る隙に、もう一体。


 おれの小杖ワンドはリアリアリアから貰った特別製で、変化先の武器は魔族や魔物を屠るためのものだ。

 その切れ味も、頑丈さも、騎士たちが使うものとは一線を画す。


「アラン、帰ってきたのか! 助かる!」

肉体増強フィジカルエンチャントして鈍器で殴ってください! こいつらの鱗を貫こうとは考えないで!」


 おれのアドバイスに、騎士たちはすぐ頭を切り替えた。


 まずは隊長格の男が、手にした剣を魔法で槌鉾に変化させ、力の限りに振りかぶって、リザードマンの脳天に叩きつける。

 これにはたまらず、リザードマンは地面に倒れ伏し、動かなくなる。


 それをみていた騎士たちも、奮起した。


 小杖ワンドを剣にしていた者たちはそれを槌鉾にしてリザードマンを殴る。

 普通の剣を使っていた者たちは、それを援護したり剣の柄で殴りかかったり。


 普通なら、それでも数で勝り膂力でも勝る相手だ、苦戦は免れないだろう。

 だがいまは、おれがリザードマンたちの横から切り込み、敵はまともに陣形を組むこともできなくなっている。


 これほどの反撃を受けるとは思ってもいなかったのだろう、騎士たちの反撃に対してリザードマンたちは踏みとどまることができず、じりじりと後退した。


 ついにはリザードマン部隊の後方の一部が、臆病風に吹かれて背中を向け、逃げ出してしまう。


 そうなると、あとは脆かった。

 雪崩のように、逃走が連鎖する。


 リザードマンたちは丘の下の方へ、我先へと逃げていく。


「追え! 逃がすな! 奴らを放置しては民が危険だ!」


 騎士たちは、そのリザードマンを追いかけていく。

 そんな彼らが、ちらりとグリード・クロウラーの方をみる。


 師匠は、未だたったひとりでグリード・クロウラーと戦っていた。

 おれは騎士たちにうなずく。


「ここはおれと師匠で」

「わかった、アラン! エリカ殿を頼むぞ!」


 騎士たちが去っていく。

 さて、と。


 おれは小杖ワンドの剣を槍に変化させる。

 おれの身の丈の三倍以上ある長い槍だ。


「師匠、そろそろ息切れですか?」

「ばっきゃろー、もうとっくにいっぱいいっぱいだってぇの!」


 師匠は縦横無尽に建物の屋根から屋根に跳び移りながら、グリード・クロウラーの攻撃を避け続けていた。

 たまに反撃するも、その表皮を浅く切り裂ける程度だ。


 師匠は、あのリザードマン程度なら、二十体まとめてだって瞬殺できる実力がある。

 それは弟子のおれが保証できる。


 しかしグリード・クロウラーは、別格だった。

 まず、生半可な武器では傷つけることすら難しい。


 だから、弱点を突くしかない。


「師匠!」

「応!」


 互いに声かけ、ひとつ。

 それだけで充分だった。


 師匠が地面に降りて、グリード・クロウラーを引きずりまわす。

 わざわざ地上を走っているのは、グリード・クロウラーに頭を下げさせるためだ。


 つまり、おれが狙いやすいように。

 おれは、側面を向いたグリード・クロウラーに向かって駆け出す。


 時間をかけていては、おれの魔力が尽きる。

 一撃で勝負をつけるしかない。


 速度は数歩で最大となる。

 おれは、天高く跳躍する。


 グリード・クロウラーの口の端が緑色に輝く。

 師匠に向かって吸引バキュームを発動しようとしていた。


 俺は槍を構え、グリード・クロウラーに対して、横合いから身体ごとぶつかっていく。

 吸引バキュームが発動する直前に、緑の光がひときわ強い、口の上の突起部に槍の穂先を突き刺す。


 すさまじい爆発が起こった。

 おれの身体は吹き飛ばされ、木の葉のように宙を舞う。


 爆風のなか、目を細めて、魔物の姿をみる。

 突起部どころか口全体がおおきく砕け、その身が地面に倒れ伏すところだった。


「よくやった、弟子っ!」


 師匠が叫ぶ。


 とはいえ、おれもしたたかにやられた。

 今の一撃で、魔力はからっけつだ。


 長槍が消え、小杖ワンドに戻る。

 もう魔法は使えない。


 このまま地面に叩きつけられたら、ただでは済まないな。

 消えかける意識で、そんなことを思う。


 でも、あの子の両親の仇はとれた。


「兄さんっ!」


 シェリーの声が響く。

 落下速度が急激に落ちて、身体がふわりとする。


 おれは足から地面に着地した。

 片膝をつく。


「無茶をしないで!」


 シェリーが空を飛んで、おれのもとへやってきていた。

 逆光で顔がみえないけれど、声だけで、彼女が泣いているのはわかった。


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