第3話

 それから更に三年が経過した。

 おれが十五歳、妹のシェリーは十歳である。


「兄さん」


 いつしか、妹がおれを呼ぶときの呼称が、「にいたん」から「兄さん」になっていた。


「師匠が開発したシステムが、兄さん向きかなと思って」


 シェリーの師匠は、リアリアリアという名の、王国でも有名な魔術師だった。

 シェリーの天才性を見抜き、二百年ぶりに弟子をとったという人物だ。


 五百年前の魔王との戦いの後に生まれていて、現在、四百五十歳くらいらしい。

 それはまだ魔王との戦いの余韻が残っている時代である。


 彼女は、ふたたび魔王軍が大陸を蹂躙する可能性をたびたび各国に示唆しては、各国の指導者たちに嫌な顔をされてきた。

 現在はこのヴェルン王国に住居を構え、国同士の揉め事には関わらないことを宣言している大魔術師である。


 彼女は長年に渡り、とある装置の研究をしていた。

 きたるべき魔王軍との戦いが始まったときに備えた装置である。


 それが、後に螺旋詠唱スパイラルチャントと呼ばれることになるシステムであった。


 ちなみにこのシステム、ゲームにも出てくる。

 魔王軍が利用する装置として。


 具体的には、敗北した女性たちが凌辱される様子がこのシステムで大陸中に中継されたり、そうした奴隷たちの魔力を前線の魔王軍の幹部に送り込んだり、完全に敵側が利用するシステムとして登場するのだ。


 ちなみにリアリアリアという魔術師は、ゲーム開始前に魔王軍にとっつかまっていた。


 奴隷としてあれこれされて、まあそういうシーンがあった。

 エロというよりグロというか、リョナというか、そういう感じで。


 それらはすべて、この国が滅びた結果である。

 でも今は、まだ魔王軍が侵攻を開始する前だ。

 具体的にはゲーム開始の十年前である。


 間もなく魔王軍の侵攻が始まる。

 各国はまったく準備ができていない状態で、互いにいがみあっている。


 かのゲームにおいて、螺旋詠唱スパイラルチャントを開発したリアリアリアは、装置を生かす機会を与えられなかった。


 だけど、それは王家がその有用性を認識できなかったからだ。

 ひいては、リアリアリアが上手く装置の有用性をプレゼンできなかったからでもある。


 シェリーの話を聞いていくうち、これならいけるかもしれない、とおれは考える。


「そうだよな。どのみちこの国を巻き込まないと、おれたちの力だけでこの国を守ることなんてできないんだ」


 おれは決心した。

 とことんまでやるという強い決意をした。


 でも。

 そのときは、女の子に変身して戦うことになるなんて思ってもいなかったのだ。


        ※※※


 十五歳の夏、おれは妹の師匠であるリアリアリアと二度目の顔合わせをした。


 そもそも彼女は、四百年以上を生きる大魔術師。

 一介の騎士の息子がそう簡単に顔を合わせることができるような相手ではない。


 妹のシェリーがリアリアリアを師とすることができたのも、たまたまおれたちがこの大魔術師と同じ町に住んでいて、町中で妹の魔法をこの人物が目撃し、その才能にほれ込んだという偶然があったからである。


 ちなみにおれとリアリアリアの初めての顔合わせはこのときである。

 しかしリアリアリアは、二度目に会ったこのとき、そのことをすっかり忘れていた。


 無理もない、おれの魔法なんて、大魔術師の彼女にとってはカスみたいなものだから。

 当時のおれは、有望な弟子の冴えない兄、程度の存在にすぎなかった。


 ただ、今回は少し事情が違う。

 リアリアリアが長年にわたって研究していた螺旋詠唱スパイラルチャントシステムについて、おれは新しい提案を持参したのである。


 王国の貴族や王族を巻き込んだ、大規模な魔力供給システムの提案である。


 改めて顔を合わせたリアリアリアは、外見年齢二十歳くらいにみえる美人の女性だった。

 青髪で、緑の瞳。

 耳の端が尖っている。


 妖精の血を引いていて、それもあって長命なのだと噂されていた。

 実際のところ、シェリーによれば延命は高位の魔法によるものらしい。

 ただし妖精の血を引いているのは本当だ、とのこと。


 前世のおれが知るリアリアリアは、ゲームのストーリー開始前に魔王軍に捕まり、己の生涯をかけた研究を魔王軍に奪われ、魔力タンクとしてあれこれされた挙句、ひどい目にあって亡くなった人物だ。


 異形の姿に改造された状態の一枚絵があった程度で、まともな立ち絵はひとつもなかった。

 なので、あくまでもゲーム上は、螺旋詠唱スパイラルチャントの開発者、というだけの情報しかなかった。


 で、この螺旋詠唱スパイラルチャントは魔王軍に利用される。

 本来は人類が魔王軍に対抗するための技術が、逆に魔王軍によって人類を狩り立てるために使われるというわけだ。

 リアリアリアも、さぞ無念であっただろう。


 ただ魔王軍は、螺旋詠唱スパイラルチャントをあまり有効には活用しなかった。

 せいぜい、魔力タンクから魔力を吸い出し、一部の幹部を強化する程度。


 あとはエロCGとして、魔王軍にとっつかまったヒロインが晒し者にされる様子を全大陸に中継したりとかいう、とても商品的には有意義だが実際の戦略においては無意味なことに利用されていた。


 というか、ゲーム開発者としてはこういうシーンつくりたいから螺旋詠唱スパイラルチャントなんていうシステムをゲーム中にぶちこんだんだろう。


 エロゲにおいてエロの需要はなによりも優先されるのだから。

 リアリアリアはその哀れな犠牲者というわけである。


 ちなみにリアリアリアのアレなシーンはあまりにもアレすぎて抜けなかった。

 上級者向けすぎる。


 そんなことを、彼女と対面した瞬間、思い出していた。

 彼女の屋敷に初めて招かれ、彼女の書斎でふたりきりになったときのことである。


 すると、リアリアリアの端正な顔が少しだけ曇る。

 彼女は、ふう、とおおきく息を吐きだした。


 あれ?

 虫の知らせがして、おれは少し身構えた。


 もう遅かった。


「それは別の世界の記憶、ですか」


 ぞくり。

 おれの背筋を冷たいものが走る。


 思考を読まれた。

 魔法によるものなのだろう。


 そういうものがあると、今、この瞬間まで知らなかった。

 ゲームにはなかったものだから。


 迂闊だ。

 でも、よく考えれば、彼女は大魔術師、そういうこともあると当然、考えてしかるべきだった。


「ご安心を。このことは内密にいたします」


 そう前置きしたうえで、彼女はいう。


「まずは相互理解も兼ねて、あなたの知る限りのこの世界に関する……その、えろげ、ですか? それについて、考えて・・・くださいませ」


 否も応もなかった。


        ※※※


「汚されちゃった……」


 三十分ほど後。

 おれは顔を両手で押さえてうずくまり、しくしく泣いていた。


「非常に興味深いですね。とはいえ、あなたの記憶が本当に前世のものなのか、それともなにものかによって造られたものなのか、という問題はあります。本当にあなたの知る知識がこの世界の未来である保証など、どこにもありません」


 この世界にとって未来の出来事を知っても、自分の哀れな末路を知っても、彼女はあくまでも冷静だった。

 さすがに四百五十歳。


 そう考えたところ、リアリアリアは薄っすらと微笑んだ。

 あのさあ、ずっと思考を覗き見られると困るんですけど……。


「そうですね。――はい、もう大丈夫ですよ。以降、自由に思考のなかでわたしを嬲ってくださって結構です」

「そんなこといわれても。でも、リアリアリア様のおっしゃる通りかと。おれの記憶とこの世界の未来が一致する保証なんて、ひとつもありません」


 それについては、おれも前世の記憶が蘇って以降、なんどか考えた。


 結局のところ、「おれの知る未来が間違っているなら、それでいい。もし正しかったら、とても困ったことになる。なら万一に備えておくべきだ」と割り切ることにした。

 ドン・キホーテとして笑われるなら、それでいい。


「そこは割り切っているのですね。正しい態度だと思います」

「本当にもう心を読んでないんですか?」

「あなた、意外と顔に出るタイプですよ」


 ちくしょう、くすくす笑われてしまった。

 そりゃあ、こっちは十五歳の若造で、向こうは百戦錬磨のおばあちゃんだけどさ。


「あなたの持参した提案については、受け入れたいと思います」

「実際に説明する前にそういわれると、どう説得しようか悩んだ数日が無駄になった気がしますね」

「その数日があったからこそ、あなたの思考が理路整然としていて読み取りやすかったのです」


 そういわれれば、そうかもしれない。

 言葉にするより、頭のなかで様子を思い描く方がずっと楽だもんな。


 特に、今回おれがもってきた提案は、なにせ……。


「あなたの前世におけるユーチューバーという概念、実に面白いですね。螺旋詠唱スパイラルチャントシステムにおける、魔力供給者の問題を解決する鍵となるかもしれません」


 そう、おれが持ち込んだ提案とは、目の前の人物が遠からずつくりあげる螺旋詠唱スパイラルチャントを用いたこの国の防衛システム、ひいては後々、組織されるであろう対魔王軍用特殊部隊に魔力を供給するシステムについてであった。


 その際に参考にしたのが、前世のユーチューバー、ひいてはかのサイトの投げ銭システム、つまりスパチャだ。

 貴族や王族から支持を集め、これらの人々に魔力供給者となってもらう。


 貴族や王族は戦場に出ることなく対魔王軍戦の支援ができる。

 おれのように魔力が足りないが魔王軍に対する準備をしてきた者たちが、後方の彼らから魔力を受けとる。


 まさにウィン・ウィンの関係だ。

 ここまでなら。


 ところが、ここから予想外の事態になる。

 おれの記憶を覗いた彼女が、思考の隅にあった前世の娯楽に存外の興味を抱いてしまったのである。


「せっかくですから、あなたの記憶にあったアイドルという概念も利用しましょうか」

「え? は? あの?」

「王族や貴族も、せっかくなら武骨な戦士よりかわいいアイドルを応援したいでしょうから」


 いってることの意味がわからなくて、おれの思考がフリーズした。


 リアリアリアは、にこにこしている。

 え、なんでそんな嬉しそうなの。


「あなたの持ち込んできた話なのです。もちろん、あなたが進んで実験に参加してくれますよね」

「じ、実験って、なんです?」

「実は、魔法って一時的に性転換するだけなら簡単なのですよ」

「待って」


 いや本当に待って。

 どういうこと?


 理解できない。


 いや、嘘。

 理解したくないんだけど。


        ※※※


 そういうわけで。

 螺旋詠唱スパイラルチャントシステムの実験者第一号、アイドル戦士アリスが誕生した。


 ほかならぬ、おれのことである。

 リアリアリアは親切にも、おれに自己変化の魔法セルフポリモーフの応用で性転換する小技を教えてくれた。


 昔、とある部族の秘儀であったという。

 知りたくなかったよそんな秘儀。


 たしかにスパチャを集めるなら、むさ苦しい男よりかわいい女の子の方がいいだろうさ。

 でも、わざわざ女の子に変身して戦場に行くのってどうよ?


 そう反論したのだが……。


「それくらいしなければ、王侯貴族から資金を引き出せないのですよ」


 ぐうの音も出ない正論が返ってきた。

 みんな貧乏が悪いんだ。


        ※※※


 システムが完成したのは、それから二年後のこと。

 螺旋詠唱スパイラルチャントによる王国放送ヴィジョンシステムは、リアリアリアに協力的なとある公爵家に置かれてなんどか実験が行われた。


 ほぼ時を同じくして、魔王軍が死の谷からあふれ出た。


 魔族と魔物の軍勢が、各地へ侵攻を開始する。

 またたく間に、一番西側の大国が呑まれた。


 ほどなくして、魔王軍の一部が浸透し、おれたちの住むヴェルン王国にも大型の魔物の姿がみられるようになる。

 おれは、そういった報告を受けるたびに出撃して、螺旋詠唱スパイラルチャントの援護を受け、これをことごとく退治してみせた。


「検証は充分です。王家にも、報告は上がっております。王はシステムを本格的に導入すると決断いたしました」


 リアリアリアがおれに対してそう告げたとき、おれは十八歳、シェリーは十三歳になっていた。


「あなたがたふたりは、王国の特殊遊撃隊として、各地に派遣されることになります」

「王国の外ということですか?」

「はい。現在、魔王軍はふたつの大国を飲み込み、なおも東方へ侵攻中です。ですが各国の間の調整に時間がかかり、未だわが国は援軍を送り出す準備が整っておりません」


 各国、お互いにいがみ合いすぎていて、軍を出すことができない。

 だからおれたちの出番、ということか。


 リアリアリアとしても忸怩たるものがあるのか、苦虫を噛み潰したような表情をしている。


「現在、王国放送ヴィジョンシステムは順調に端末を増やしています。年内には各町や村に配置される端末の数が百を越えるでしょう」


 すでに王都をはじめとした主要な都市には端末が設置済みで、王国放送ヴィジョンは日々、断続的に王の言葉やら各地の様子やらを流している。

 民は、この新しい装置をあっという間に受け入れた。


 近々、舞台劇を配信する予定もあるのだとかいう話だけれど、現在のところ王国放送ヴィジョンで流れる番組に娯楽はほとんどない。


 それもあってか、アリスの魔物退治は人気番組である。

 たいへんに不本意だが、おれもアリスとして活動し人々に媚びを売ることに慣れてしまった。


 メスガキ煽りにも慣れてしまった。

 あれ、めっちゃスパチャ来るんだよ……。


 とはいえ、ここまでは予備段階。

 本番はこのあとにある。


「将来的には、王国放送ヴィジョンシステムによって複数の部隊を支援することになるでしょう。そのためにも、まずはあなた方が目にみえる戦果をあげる必要があります。シェリー、しっかりとサポートしてくださいね」

「はい、お師匠さま! 任せてください!」


 おれの妹、シェリーは元気よくうなずく。

 ここ数年で、彼女はよく笑うようになった気がする。


「兄さん、いえ、アリスお姉ちゃんを、ばっちりサポートしちゃいますから!」


 ぐっと拳を握る。

 なんかうちの妹、最近はおれが魔法で女の子になってるときの方が嬉しそうなんだよなあ。


 兄としては妹の将来が心配である。

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