第2話 ぎこちない日々

 空から落ちてきた天使のフェリエルとの同居を決めた俺は、取り敢えず空いている部屋を使ってもらう事にする。今は両親がいないから説得が必要ない事も幸運だった。


「あの、ご両親に挨拶を……」

「いや、今はいないんだ。後1年くらい海外にいるから。だから何も気にする必要はないよ」


 今は彼女に何かをしてもらうつもりはない。取り敢えずはお客さん扱いで行こうと、食事などの準備をする事にした。好き嫌いやアレルギーとかもあるかもだし、それとなく探りを入れてみる。


「天使って好き嫌いとかあるの?」

「食事ですか? 天界では精神エネルギーを頂いていたので……」

「そっか。難しいな」

「あ、でもこうして肉体を得たのです。何か食べられるかも知れません!」


 フェリエルは何故か食事に関しては興味津々のようで、目をキラキラと輝かせている。ならばと、俺は軽いものから試食してもらう事にした。

 まずは飲み物。水から始まってお茶やコーヒー、コーラやサイダーなども飲んでみてもらう。


「どう? 飲める?」

「はい。どれも美味しいですね!」


 初めて飲む割にはどの飲み物も行けたようで、俺はほっと胸をなでおろした。そこからいきなり固形物はハードルが高い気がしたので、まずはスープ、お湯で溶かすコーンポタージュを飲んでもらった。そこからわかめスープとか卵スープとか味噌汁とか――。

 ゆっくりと段取りを経ているからか、どのスープにも彼女が拒否反応を起こす事はなかった。


「スープも美味しいです! 食事っていいものですね!」

「気に入ってもらえて良かったよ」

「でも、もう満腹です。ごちそうさまでした!」


 色々と試しすぎてしまい、フェリエルも満足してしまったようだ。次はおかゆから固形物チャレンジをしたかったけど、それは明日からにしよう。


 食事のチェックの後はトイレやお風呂の説明、テレビなどの娯楽の説明なんかもした。平日の俺は学生なので訪問販売とかの対応も説明だけはしておく。基本居留守でいいと念を押しておいたけれど。


 翌日、朝食の準備をして俺は家を出た。昨夜、ある程度の説明をしておいたので多分大丈夫だろう。フェリエルは早起き体質ではなかったようで、俺が家を出るまで起きた気配はなかった。


「じゃあ、行ってきます……」


 学校では彼女の事が気になって授業もほとんど頭に入ってこなかった。まだ人間界の事に不慣れなのに置いてきて良かったのだろうか……。給食の時も、昼休みも、掃除の時も早く終わって家に帰らせてくれと思うばかり。

 やっと放課後になったところで、俺は全力で家に向かって走った。誰の言葉も耳に入らなかった。今日に限ってはどんな約束もキャンセルした。


「た、ただいまっ!」

「お帰りなさい。後、食事の用意有難うございました」


 朝用意していたのは日本の標準的な和食メニュー。ご飯に味噌汁に焼き鮭に漬物。パンとコーヒーの方が良かったかなと後で思い返して少し後悔したものの、何の問題もなかったようで一安心する。

 彼女の報告を聞いた後、俺は用意していたのが朝食だけだったのを思い出した。


「ひ、昼ごはんは……?」

「食べてません。お腹、そんな空かなかったので」


 フェリエルがそう言って笑顔を浮かべた途端、彼女のお腹がぐう~と鳴る。天使でもお腹が鳴るんだなと思って少し笑いをこらえていると、当の本人は少し困惑しているようだった。


「あの、どうして腹部から音がしてしまうのでしょう? 私、ここに来るまでこんな症状になった事は……」

「それがお腹が空いたって合図だよ。昼を抜いたらお腹空いちゃうよね。じゃあ、今から御飯作ろっか」

「ちょ、待ってください!」


 俺が食事を作ろうとすると、フェルエルが待ったをかける。俺はまさか止められるとは思っていなかったので、目を丸くした。


「あ、そうだ。まだどういうのが食べられるか分からないよね。ごめん」

「そうじゃないんです。あの……私にも手伝わせてください!」

「あ、うん。ありがとう」


 どうやら彼女はお客さん状態なのがプレッシャーに感じていたようだ。この申し出、断ると言う選択は俺にはなかった。俺はカバンを部屋に置いて、改めて台所へと向かう。料理の手伝いをしてもらうと言っても、いきなり包丁を使うというのは無理だろう。何もかも勝手の違う世界にいきなり来てしまって、戸惑う事も多いだろうし……。

 そう思って台所に着くと、彼女は手に包丁を握っていた。


「えっと。包丁使えるの? 大丈夫?」

「本で読みましたし、料理の仕方はテレビで学びました!」


 フェリエルは包丁を握ったままガッツポーズ。その堂々とした仕草とは裏腹に、彼女の様子を目にした俺の頭の中は不安しか渦巻いていなかった。何故なら、彼女の言葉からは、実際に料理をした経験が今までに一度もないと言う事実が伝わってきただけだったからだ。


「いきなり刃物は危ないよ。まずは……」

「任せてください! 何でもスパスパと三枚下ろしにしてみせます!」


 どう説得しても包丁を手放なさそうだったので、俺は野菜を切ってもらう事にした。やはり包丁を使うのも初めてだったのだろう。手付きが危なっかしい。テレビで見た千切りをしようとして、危うく指を切断しそうになってしまう。


「キャア!」

「危ないよ!」


 俺はそのタイミングで包丁を取り上げた。うまく行かなかったので、フェリエルも俺の行為に抗議が出来ない。ただ、少し悔しそうな表情を浮かべてじいって見つめてきた。


「ごめんなさい。でも何か手伝わせてください」

「じゃあ、えーと……」


 俺は刃物を使わない作業を考えて、仕込みをお願いする。けど、そこでも塩と砂糖を違えたり、分量を間違えたりとドジっ子特性が発動しまくった。


「ご、ごめんなさい!」

「いや、いいよ。じゃあ、この鍋を見ていて。見ているだけでいいから」

「わ、分かりました!」


 これならミスのしようもないだろうと、俺は他の作業に専念。出来た料理をテーブルに運んでいく。スープ以外のものが揃ったので彼女に声をかけた。


「煮立ったら完成だから、こっちに持ってきて」

「は、はい!」


 2人分のスープだから、分量もそんなに多くない。少し待っていると、フェリエルが鍋を持ってくる。ただ、完成したはずのスープから美味しそうな匂いが漂ってこなかったところに俺はもっと関心を持つべきだった。


「お、お待たせしました。あの、味見してみてちょっと薄い気がしたので……」

「えっ?」


 ただ見ているだけでいいと言ったのに、出来上がった鍋は紫色でドロドロとした魔女のスープ。テーブルに置かれたそれから漂ってくるのは、美味しさとは程遠い形容のし難いものだった。

 家にある調味料をどうブレンドしても、こうはならないだろう。


「これ、何をどうやったの?」

「えっと、色々と適当に……その場にあるもので……」


 彼女の説明は感覚的で全く理解は出来なかった。もしかしたら美味しいのかも知れないと試食してみると、見た目通りの出来ですぐに戻す結果に――。


「グロロロロロロ……」

「ご、ごめんなさい! あのままで良かったんですね!」

「りょ、料理はやらない方がいいかな……あはは」


 結局スープは失敗と言う事で廃棄処分。夕食はそれ以外で食べる事になる。俺の作ったものはフェリエルも楽しそうに食べてくれたので、食事は人間と同じもので良さそうだ。変に気を使わなくていいと言う事が分かっただけでも収穫だった。

 食べ終わった後に俺が食器を運んでいると、彼女は申し訳なさそうな顔で俺を見つめてきた。


「あの、料理はアレでしたけど、片付けは任せてください! 食器、全部洗っておきますから!」

「大丈夫? 出来る?」

「朝食でもちゃんと出来ましたので!」


 フェリエルはそう言うと自信満々に胸を張る。まぁ洗い物ならそうそうミスも起きないだろうと、俺は彼女に任せて部屋に戻る。早速今日の授業の復習をしようと教科書を開いたところで、皿の割れる音が聞こえてきた。


「……お約束かよ」


 俺は頭を抑えつつ、台所に直行。自分のミスで硬直しているフェリエルをなだめながら、割れた食器の欠片を集めて処分した。


「ごめんなさい。こんなはずじゃなかったんです」

「分かってるよ。でもこれから料理関係は手伝わなくていいからね」

「は、はい……」


 返事を返した彼女の顔は淋しそうに見える。でも、任せていると今後どれだけの料理や食器が犠牲になるか分からない。こればっかりは仕方がなかった。


 それからもフェリエルは何かあるとすぐ手伝うと訴える。その真剣な表情を目にすると断りきれない。なので、出来そうなものを考えてそれをお願いしてみる。


「そ、掃除をさせてください!」

「じゃあ、風呂掃除をお願い出来るかな」

「喜んで!」


 一通りのやり方をレクチャーして、俺は彼女の掃除っぷりを見守った。特に問題なさそうだったので目を離すと、その隙に石鹸で足を滑らせて頭を打ってしまう。


「あああーっ!」

「だ、大丈夫?」

「あ、頭打ちました……痛いです」


 フェリエルは打った場所を手で抑えている。人間だったらお医者さんに診てもらった方がいいかもだけど、彼女は天使。一応今は様子を見る事にした。


「ちょっと休むといいよ。掃除は俺がやっとく」

「お役に立てなくて……ごめんなさい」

「いいっていいって」


 結局頭の打撲はすぐに回復したようで、後遺症的なものもなく翌日には完全復活。すぐにまた目を輝かせて手伝いを訴えてきた。


「次こそはミスをしないので!」

「え~と」


 俺は顎に手を乗せて怪我をしない作業を考える。彼女のドジっ子特性が発動しても安全な家事の手伝い……。しばらく考えていると、俺の頭の豆電球が光った。


「じゃあ、部屋の片付けをお願いしようかな」

「はい!」


 彼女は満面の笑みでこの要件を了承する。片付けをしてもらうのは父の部屋だ。父は全く片付けの出来ない人間で、室内は様々な本や資料が散乱している。海外に出張になった時も部屋を片付けないままだった。下手にいじるといじけるので普段は何ひとつ触らなかったのだけれど、今なら問題ないだろう。

 翌日、片付けのセンスはフェリエルに全て任せて俺は学校へと向かう。


 ゆっくりと目覚めた彼女は、気合を入れると俺が課したミッションを実行に移した。父の部屋に入ったフェリエルは、散らかりまくった室内を見て肩を回す。


「さ~て、やりますわよ!」


 まず、彼女は散らかった紙の資料をまとめて重ねていく。少しずつ床の色が見え始めたところで、書籍の片付けに移った。この時、フェリエルはその本のタイトルに目が留まる。


「あら? この本は……実に興味深いですわ!」


 そこからは、片付けそっちのけで彼女は本を読みふけってしまう。俺が学校から帰って様子を見に行った時も熱心な読書は続いていた。


「どう? 部屋は片付い……」

「お、お帰りなさい! ごめんなさい、本があまりに面白くて!」

「い、いいよ。良かったら好きなだけ読んで」

「あの……有難うございます」


 俺の許可を得た事で、彼女はずうっと父の部屋にある本を読破していった。俺には難しくてさっぱりだったけど、やっぱり天使だけあって頭がいいんだろうな。

 その日の夕食後、フェリエルはまた改めて俺に手伝いを申し出る。料理も掃除も片付けもうまくいかないと言う事で、俺は腕を組んで天井を見上げる。


「今まではうまく行きませんでしたけど、次こそは必ず!」

「分かったよ、それじゃあ……」


 今までの彼女の失敗パターンを何度もイメージして導き出した答えはごみの分別。これならきっと出来るだろう。燃えるものと燃えないもの、再生可能なもの、プラスチック、資源ごみ、有害ごみ、危険ゴミ、粗大ごみ、その他――。分別の資料と見比べれば誰にでも出来るはず。


「これが分別早見表。分からないやつは後で俺がやるよ」

「はい。頑張ります!」


 で、結局はっきり分かるもの以外でフェリエルは分別に戸惑ってしまった。製品に色んなものがくっついていると、正確に分別しようとする彼女を困らせてしまうのだ。


「何もかもうまく出来なくてごめんなさい~」

「いや、いいよ。色々と勝手が違うから当然だよな」


 俺は泣いているフェリエルの頭を優しくなでる。


「出来そうな事から少しずつやってこうか」

「は、はい~」


 その後、取り敢えず俺の留守中に宅配便の受け取りは出来るようになった。これで思いついた時にいつでもネットで買物が出来る。それだけでも実に有り難い。訪問する人とのやり取りが出来るようになって、訪問販売も追い払えるようにもなった。

 やれるところからコツコツと。次第に彼女は俺の家にいなくてはならない存在になっていくのだった。

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