第0章〜白草四葉センセイの超恋愛工学チュートリアル〜
あの娘にバレずに 彼にもバレずにkissしようよ
明日の一限までには何度もkissしようよ
愛の才能ないの 今も勉強中よ「Soul」
川本真琴 『愛の才能』より
4月9日(土)
ピンポ〜ン! と2LDKの自室のチャイムが鳴った。
時刻は、午前十時過ぎ。
LANEでのメッセージ交換を終えたばかりの親友の来訪を予測し、リビングの壁に備え付けられたインターホンの親機の通話ボタンを押すと、カメラ越しに玄関ドアの前に立つ人物が目に入る。
「えっ!? 白草……?」
自分の予測が外れたことに、思わず声が漏れる。
そこには、我が親友の
「おはよう! 黒田クン」
と呼びかけてくる姿からは、さほど解像度の高くないカメラを通してでも、彼女の並外れた容姿の美しさが伝わってくる。
予想よりも早い来訪に困惑しつつ、玄関のドアを開けると
「えへへ……来ちゃった……」
と、カビが生えたような古典的シチュエーションのセリフを口にしながら、白草は、手土産と思われる有名洋菓子店の紙袋をかざし、可愛らしく小首をかしげた。
その洋菓子店のフィナンシェは、オレの好物の一つでもある。
前日、親友である壮馬以外の誰にも話したことがなかったはずのオレが片想いをしていた女子の名を見事に当てて見せたように、この転入生は、なぜ、オレの好みを把握しているのか……。
そんな疑問をなるべく表情に出さないように彼女に語りかける。
「ずいぶんと早い到着だな……」
部屋に招き入れながら、そう声をかけると、彼女は意味深な笑みを浮かべて、
「フフ……ドキドキした?」
などと、口にする。
「あぁ……壮馬が先に来るとばかり思っていたから、驚いたよ」
思ったことを正直に伝えると、
「そういう意味じゃないんですケド!?」
今度は、やや憤慨気味のようだ。
ただでさえ、自分は異性の気持ちが変化する理由に敏感な方ではないのに加えて、まして、相手は、昨日、知り合ったばかりの転入生だ。
コロコロと変わる彼女のテンションに面食らいつつ、平静を装って、
「ま、まあ、とりあえず、冷たいモノでも飲んで、ゆっくりしてくれないか? もうすぐ、壮馬も来るはずだから……」
と、冷蔵庫から取り出したペットボトルから、グラスに緑茶を注ぐ。
しかし、彼女は、そんなこちらの内心を知ってか知らずか、
「へぇ……黄瀬クンは、まだ来てないんだ……じゃあ、黒田クンとは、しばらく二人きりだね……なんだか、ドキドキするな……」
などと、妖艶と言っていいような瞳で見つめてくる。
ちょっと、待ってくれ……なぜ、出会ったばかりであるはずのオレに、そんな視線を向けてくるんだ……?
そもそも、この転入生が、転校翌日にも関わらず、我が家に訪ねてきた来た理由は……。
あらためて、そのことを確認するため、なるべく冷静に彼女と目線を合わせながら、慎重に発言する。
「な、なあ、白草……オレの恋愛相談にのってくれる……アドバイスをしてもらえるというのは、とても感謝してるんだが……もう少し距離を考えてくれないか? 白草に、あまり近づかれると……」
「なになに? もしかして、女子に慣れていない黒田クンは、わたしみたいな超絶美少女に近寄られると、緊張するとか?」
ニヤニヤと笑いながら、さらに、にじり寄ろうとする白草四葉。
(自分自身で、超絶美少女とか、ナニを言ってるんだ!?)
と、普段の自分ならツッコミを入れているところだが、残念ながら、冷静さを失っていたオレは、頭も舌も上手く回らない。
「……………………」
無言のままのオレに、相変わらず熱い瞳を向けてくる、その
「まあ、わたしの魅力に動揺するのもわかるけど……こんなに簡単に落ち着きを失ってるようじゃ、レッスンの方も気合いを入れないとね……」
と、なぜか嬉しそうな表情で語る。
彼女は続けて、
「それじゃ、まず、黒田クンが、相手の女子のどんなところを気に入っているのか、ジックリと聞かせてもらいましょうか?」
などと、勝手に話しを進めようとする。――――――が、今度は一転して感情を失くしたかのような表情になっていて、そのようすは、まるで犯罪者に尋問を行う検察官のようだ。
「ちょ……ちょっと待ってくれ! いきなり、そんなことを言われても、頭の中の整理が追いつかない……」
オレ自身よりも、十五センチ近く身長の低い彼女が、ジリジリとすり寄ってくる姿に気圧され、後ずさりしながら、そう言うと、自称・恋愛アドバイザーは、さらに圧を掛けてきた。
「ナニを言ってるの? 昨日も話したとおり、まずは相手と自分の気持ちや立ち位置を知ってからでないと、適切なアプローチ方法もアドバイスできないでしょう?」
彼女の言うことは、正論なのかも知れないが、ただでさえ、予想外に早い来訪にたじろいでしまっている自分には、自らの恋愛話を語るだけの心の準備が出来ていない。
にも関わらず、彼女は、目だけ笑っていない笑顔で、なお一層のプレッシャーを感じさせる気配のまま、身体を寄せてくる。
「恋愛心理学から恋愛工学、ティーン誌のモテ技にいたるまで、あらゆる恋愛理論を研究してきたわたしに、すべてを任せればイイの!」
彼女がそう言って、グイと身体を寄せた瞬間、あまりの重圧に、大きく足を後ろに踏み出したのがまずかったのか、フローリングの床に置いていたクッションを踏みつけてしまったオレは、そのまま後方に倒れ込んでしまった。
ドスン――――――
という大きな音とともに、なんとか受け身を取りながらも、自室の床に打ち付けられたオレが、両肘をさすりながら顔を上げると、腰の上には、白草四葉の姿があった。
それは、総合格闘技で言うところの完全なるマウントポジションという格好だ。
これがリング上なら、グローブ付きの拳で頭部をタコ殴りにされるところだろう。
だが、残念ながらオレは、女子に殴られて喜ぶような性癖を持ち合わせてはいない。
この体勢から、なんとか抜け出そうと、以前にネットで調べたことのある「相手にマウントを取られた場合」の対処法を必死に思い出しながら身体を動かす。
しかし、先ほどまでの流れで、テンションの上がりきった新たなクラスメートは、こちらの動作を意に介することなく語り続けている。
「大丈夫! 心配しないで……わたしは、男の子にイロイロと教えてあげることには昔から慣れてるから! さぁ、黒田クン、覚悟を決めなさい!」
上半身と下半身の両方に鈍い痛みを感じながら、恋愛アドバイザーを自称する新しいクラスメートの尋常でない熱の入り具合に、「いったい、どうして、こんなことになってしまったのか……?」と、オレは状況を整理するために、彼女と出会った前日のことを思い返した。
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