さすらいのおっさん

みそささぎ

商談1 鯨の町

 俺はみなもと冬樹ふゆき。雑貨店の営業で津々浦々つつうらうらを旅している。今回やって来たのは、千葉県南部に位置する誕生町たんじょうまち。ここはかつて捕鯨ほげいが主要産業であったが、近年はくじら博物館を主にした観光産業へと舵を切った。くじらはいつの時代も人の心を魅了するらしく、町は活気に満ちている。

 今日は店の商品を売り込むために誕生町へ来たが、先方との待ち合わせまで時間を持て余している。しばらくこの町を観光しようか。

 せっかくなので、この町の観光地であるくじら博物館へとやってきた。建物は平屋なのだが、異様なほどに横長なのが目につく。真相が気になる。

 館内へ入ると、木造の伝統的な内装が郷愁きょうしゅうを誘う。入り口には、案内係の女性が立っている。入館料を支払うのかと思いきや、なんと入館無料なのだという。これは驚きだ。さらに驚きなのは、鯨の骨格らしきものが天井から吊り下げられていたことだ。そのおごそかなたたずまいは、自然の雄大さを想起そうきさせる。ただ、ワイヤーで吊り下げられているとはいえ、何かの拍子に落下しないのだろうか? それが気がかりだ。

 その他、捕鯨にまつわる道具や町民の暮らしなど、歴史的な資料が多数展示されている。しかし、それらの紹介は時間の関係上割愛かつあいする。

 館内には、土産物みやげもの店や飲食店も併設されている。せっかくだから、秋子あきこの土産を探そうか。土産物店には、数多くの民芸品や食品が販売されている。

「......おや?」

 俺はある物に注目した。それは指揮棒のようにしなやかな棒状のもの。これは一体何だろうか?

「それは鯨のひげですね。正直、売れ行きはかんばしくありませんが......」

店員は物珍しそうな顔で見ている。どうやら、これに食いつく俺も変わり者のようだ。このしなやかさ、何かに使えるかもしれない。秋子には怒られるかもしれないが、一括購入しよう。きっとマニアに売れるはずだ。

「......ええぇ!?」

 店員は唖然としている。これを買う俺がそんなに珍しいか? それと、くじらのたれも買うことにしよう。これは後で俺が食べる。

 土産物の次は飲食店だ。正直、あまり腹は減っていないのでスイーツでも食べようか。なるほど、地元産のびわを活かしたソフトクリームとは洒落しゃれている。俺は迷わず購入した。

「......おおぉ!?」

 びわ特有の濃厚な甘味が口いっぱいに広がる。俺の心は南国気分だ。するとその時、俺のスマートフォンに着信が入る。

「......え、ええ。急用でリスケ。分かりました」

 先方に急用が入り、営業は明日へ延期。仕方ないが、こういうときもある。しかし、そんなことで落ち込む俺ではない。

「よっしゃ! 釣りだ釣りだ!」

 忘れてはいけない。誕生町はシーバス釣りのメッカでもあることを。俺はさっそく、港へ向かった。

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