第10話 酒池肉林
身体を思い切り動かしたせいでスポッチャを出た頃にはかなり空腹を感じるようになっていた。時刻は一八時手前と夕食にはやや早いが、二人ともお腹の虫に催促されて食事処を求めた。
そうして訪れたのは娯楽と美容系のテナントが中心の商業ビルにある焼肉屋であった。
「焼肉って、ただ肉焼いてるだけなのに妙にテンション上がるわよね?」
談笑しつつ肉を
「分かる。肉が焼けるのを目の前で見てるだけでワクワクするよな」
「同じ『焼き』でも焼き魚はそうでもないのに、不思議よね」
「逆に焼き魚だとテンション下がるよな。お母さんに言ったら怒られるけど」
こんなくだらない話をしつつ、ビールを飲みながら肉を適当にひっくり返し、焼けたものから思い思いに取っていく。
会社の同僚と訪れると焼き具合や取り分けを配慮し、どうしても気疲れする。だが今日はよく見知った友人とサシ飲みのためお互い遠慮が無い。
「沙彩、カルビ良い感じ。食べなよ」
「ありがと。ユキはピーマン食べなさい。バランスは食事の基本よ」
「はーい。空いたからホルモン焼いちゃうか」
焼けた食材を自分の皿や沙彩の皿に適当に取り分け、好き勝手に食べていく。最低限のテーブルマナーさえ忘れなければ十分な間柄なため、箸も進むし会話も気安く弾んだ。
幸春が盛り皿からトングでホルモンをコンロに投入する。男っぽい雑な手つきに沙彩が血相を変えた。
「ちょっと、ユキ! ホルモンはそんな焼き方しちゃダメ!」
「え、焼肉に焼き方とかあるの?」
「あるに決まってるでしょ! ホルモンは皮目から焼かないと脂が落ちて美味しさ半減じゃない! これだから男子は……」
沙彩はプンスカ小言を言いつつ、彼が網に乗せたホルモンを一枚一枚丁寧に皮目を下に直していく。なんとなくお母さんに怒られた気分になり、自分も恐縮して彼女の真似をしていった。
「ホルモンはこうやって皮の方をじっくり、裏はサッと焼く。表はカリカリ、裏はプリプリ。甘い脂が美味しいのよ」
得意げに知識を披露しつつ、説明通りにホルモンを焼いてみせる。そして頃合いを見計らい一番大きな肉を幸春の取り皿に載せた。幸春は礼を言って箸を持ち、タレにつけて口に運んだ。
「おぉ! 確かに美味い! ホルモンの脂って焼いてる間に網に落ちて炎上するから勿体無いって思ってたけど、こうすればたくさん食べられるんだな!」
「そうでしょう、そうでしょう!? 焼肉は考えなしに焼けば良いってもんじゃ無いの。食材と対話し、美味しく焼いて上げるのが極意なの」
ふふん、としたり顔で鼻を鳴らす。先日のお粥の件と言い、やはり料理に関しては自分より造詣が深い。
「それじゃあ沙彩さん! こっちの黒毛和牛はどう焼くのが正解ですか?」
「適当に焼いてレアで食え」
「極意は!?」
和牛に関しては普通なアドバイスを返され、肩透かしを食らったのだった。沙彩は悪戯小僧のように「にしし」と笑い、ジョッキを傾けて残りのビールを一気に流し込んだ。
「本当によく飲むなぁ、沙彩は」
威勢の良い飲みっぷりに思わず感心してしまう。彼女はすでに二杯の中ジョッキを空にし、追加で日本酒まで飲むつもりでいる。彼女の筋肉質な細身の体躯には頑強なアルコール耐性が備わっているのだ。
「ふふん、まだまだ序の口よん」
「酔って潰れるなよ」
「そんな学生みたいな飲み方しないっての」
「それなら良いけど。そういえば、沙彩って初めて酒飲んだの大学生の頃?」
「入学直後の新歓でね」
「ということはまだ十八歳の頃か。ワルだなぁ」
巷では大学の新入生歓迎会――通称新歓などで酒が振る舞われ、新入生が飲酒してしまうことはザラにある。自由を手にした開放感や宴のノリでハメを外しがちだが、未成年に変わりないためもちろんご法度だ。
「仕方ないでしょ。学部とか部活の先輩から勧められて断れる空気じゃなかったんだもん」
昔のことをチクリと詰られ不服を唱える。
沙彩は高校時代の部活の実績から福岡大学にスポーツ推薦で入学した。学部は体育会気質のスポーツ科学部であったためかなり上下関係が厳しかったそうだ。そんな環境なら確かに断れないだろうと同情せざるを得ない。
「あんたはどうなのよ? どうせ流されて未成年飲酒した口でしょ?」
「ちゃんと成人してから飲みました。俺の周囲はその辺り線引きする人が多かったから」
一方、幸春が進学したのは電気通信大学――通称電通大。工学系の単科大学という特色から学生は控えめな理系の男子が多く、逆にヤンチャな学生は少なかった。
「ふーん。合コンとかインカレサークルでそういうノリにならなかったの?」
「そんなキラキラした所に行くと思う?」
「つまんない青春。だから彼女いなかったんだ」
「うるせぇ!」
灰色の青春を思い出し、虚しさを忘れるためジョッキを
*
それから二人は制限時間いっぱいまで飲み食いし、満足して席を立った。飲み放題付きの食べ放題コースであったため調子に乗って次から次に口に運んでしまった。おかげでお腹いっぱいで苦しい。その上酒もぐいぐい飲んだため目が回る。
「あー……飲みすぎた」
「そうね……。さすがにピッチが早すぎたわ……」
会計を済ませて店を後にし、エレベータを待つ間うわごとのように後悔の念を吐く。二人とも酒の飲み方を知らない学生のようにハイペースで飲んだためげっそりだ。
「明日二日酔い確定だわ……」
「沙彩も二日酔いになるんだな」
常々酒に強い女だと思っていただけに意外であった。彼女ときたら飲みに行けばジョッキ二杯空けてから焼酎に酒を替えるのがお約束だ。女性にしては酒豪の部類に入るだろう。
「まぁねぇ……。日本酒三合も飲むもんじゃないわ……」
彼女の言葉からはすでに生気が失われている。このままバタンと倒れてしまわないか心配であった。しかしそのくせ口の端から小さな笑い声が漏れていた。何が楽しいのか見当が付かないが、なぜかこちらもおかしくなって一緒に笑った。
三〇歳間近になって勢いに任せて飲食するなど良い大人がすることではない。その一方で妙な充実感があった。
女友達とはしゃいで馬鹿をやるとはいかにも青春の一ページのよう。
灰色の青春に色彩を上塗りする充実感。それはかつての最愛の女性――西島凛が与えてくれたぬくもりと瓜二つであった。
「あれ、沙彩か?」
その余韻を打ち破ったのは突如響いた男性の声。明後日の方角から響いた、風の低い唸りのような音に沙彩は、そして幸春は驚いて顔を向けた。
「あ、やっぱり沙彩じゃん」
そこに立っていたのは自分と同い年くらいの男性であった。ツーブロックに刈り込んだ短髪と引き締まった精悍な顔、一八〇センチを優に超える屈強な体躯は驚くべきものがあり、幸春は思わず目をひん剥いて見上げてしまった。
「アキラ……」
不意をつかれて漏れた沙彩の声が、胸騒ぎを覚えさせた。
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