前線棄地

不可逆性FIG

ステラレタ・チ


 鳥の群れが空の高みで、ガラガラしているが奇妙に美しい声でそれぞれに鳴き合っていた。この位置からだと傾きかけた太陽が眩しすぎて、見上げてもどっちへ飛んでいったかまではおそらくわからない。

 彼方に響く鳥たちの声を聞きながら私は、ヒザより下ぐらいの背しか生えない荒れた草原を一人、散歩していた。一歩踏み出すごとに心地よい風が揺らす青く茂った草が、剥き出しの素足に絡みついてきて少しこそばゆい。それに最近、一段と暖かくなってきたせいか、ここら辺の緑の成長が早い気がする。そろそろ夏の気配が近づいてきたのだろうか。さらさらと揺れて擦れる緑の波が大地の奥までうねっていく。


 そよと吹き抜ける風を連れて、私は荒涼とした草原を歩き続ける。別に目的があるわけではない。むしろ集落に何もないからこそ、こうやって何かありそうな草原まで散策しにきているのだ。

 ここには何かがたくさんある。たくさん転がっている。集落から離れて丘を少し越えると、辺りには自然の物とも人工的な物ともつかないような崩れた鉄クズが、たくさん放置されている。というのも、長老たちの昔話によると今から数百年前に世界全土が一斉に戦争を始めたらしい。学校では、まだそのことについて私は詳しくは習っていない。……というか、私自身が歴史そのものにあまり興味が無いので聞いたかもしれないし、聞いてないかもしれないというのが本音のところだ。

 むしろ今、何か問題があるとすれば、肩にかかるぐらいまで頑張って伸ばした髪をどうしたら近所のお姉さんみたいにつやつやにできるかの方が専らの最重要課題だったりする。


 それはさておき、私の住む集落の周辺にはそんな負の歴史の渦中で使われたのであろうぼろぼろに錆びて朽ちた赤茶色の鉄クズがそこかしこに点在している。

 その昔、戦争で使われたともいわれる人間が人間を殺すための道具がこの地へ大量に捨てられてきているのだ。どこかの大地で時折まだ発見されるモノが定期的に送られてくるのだ。こんな鉄クズが怖いものだなんて、にわかには信じがたい。前時代の人の考えることは理解できないかも。

 この大きくて長い筒なんかは叩くと、こんなにマヌケな音が出るのにね。ほら「ボォーン」と空洞に響く低音がなんとも可愛らしい。

 先生や大人たちは『あの場所には、暗い歴史の中で生まれた危険な遺物が戦争廃棄物がらくたとしてたくさんあるので近づいてはいけません。過去に中立国を名乗ってしまった先人たちの贖罪と咎の地なのですから……』と何度も云う。

 世界は、歴史は、私たちの集落は、何かを公にしたくないらしい。


*****


「──あ、いいの見っけ」


 いつもより遠くまで歩いてみると、草むらの影に何かを見つけた私。それは、小ぶりな所持品のようだった。

 茂る草を軽く掻き分けて、それを拾い上げる。泥土や錆で汚くなってはいるが、かろうじて何かはわかる程度の比較的新しい物だった。


「これは……拳銃? はんどがんってヤツかな」


 ハンドガン。

 図書館の書物で見たことのあるカタチだった。へぇ、なるほど。初めて本物を見た。うーん、弾倉には──やっぱ入ってないかあ。

 右手に握った廃棄ハンドガンはいくら錆びていても、やはり鉄クズなので少し重かった。しげしげと眺めていたハンドガンを降ろし、眼前に荒漠と広がる緑の大地を見渡す。もう見慣れた光景だけど長い間、風雨に晒され続けたままの大小おびただしい数の赤茶けた鉄クズが、夕陽に照らされて淡いオレンジ色に燃えているように見えた。

 ふわりと、私の髪の隙間をそよと這う優しい風。こうして見渡してみると、ここには戦争に使われたのだろう廃棄物だらけだということを改めて思い知る。どれもこれもが誰かの命を奪うためのカタチをしているのだ。どうやって動かすものなのか、さっぱりわからないけれど、きっともう動かさないほうがいいのだろう。

 世界は平和を目指し、争いを捨てた。──争いを捨てられた地で生きる私たちが何も見ず、訊かず、言わなければ平和はこれからも続くのだそうだ。これもいつだったか大人たちが言っていた気がする。

 まあ、私にとってもこれが普通の景色で日常だし、何か特別な感情を抱くわけでもないので後ろ暗い気持ちになったりもしない。変なデザインの鉄クズがたくさん転がってる面白い草原というだけなのだから。


「ん、なんだろ」


 だらんと下ろした右手のハンドガンに、ふと違和感を感じた。妙にざりざりしているのだ。何がざらついているのか気になり、グリップの部分を確認した。すすけた土にまぎれて黒い模様のようなものがこびりついて付着していた。何かのその模様がどうやらざりざりしている原因みたいだった。

 よく見ると私の握った箇所とほぼ同じ箇所が黒く変色している。

 これは。

 これは……人の手のカタチだろうか。

 ちょうど、人差し指がトリガーをなぞってここにもざりっとした感触を見つけたところだった。私はグリップに染み込んだ黒い歪なシミを、人の血だとしっかりと認識してしまう。ゾッとするような嫌な気付き。なのに、自分でもよくわからないが血痕だとわかった瞬間、右手がハンドガンをぎゅっと握っていた。強く──強く握っていた。

 切ないような、溢れるような、締め付けられるような気持ちがそうさせたのかはわからない。私はこのハンドガンを通して、遥か過去の何処かで戦っていた人たちの熱を無意識に感じたかったのかもしれなかった。


『戦争を繰り返してはなりません』


 長老たちや大人たちが事あるごとに零す言葉。

 荒れた草原に点在するたくさんの大きな鉄クズの群れが、何も言わずに静かにたたずんでいた。鳥がガラガラと鳴き、青く茂る緑さえもがさらさらと音を立てるのに、戦争廃棄物だけが、ただじっと沈黙している。叩けば必ず間延びしたマヌケな音が反響するのに。大切なことは何もここには残っていないのだ。


*****


 太陽が真っ赤に燃えていた。

 水平線のおよそ遠いところから空が赤く、オレンジ色にゆっくり染まっていく。鳥の群れが最後の羽ばたきを見せ、細くちぎれた雲が光を浴びて空に散らばっていた。

 ここから見る景色が一番、綺麗だと私は思う。眼下に村の灯りがぽつりぽつりと増え始める僅かな時間。

 斜陽に照らされる右手にはハンドガンが握られている。このざらついた感触は、いつかの時代どこかの場所を生きた人間きみの血だ。私は黒い手のカタチのシミと同じになるようにグリップを握り直した。手の平に余すとこなく、時を越えて君の感触が広がっていく──そんな気がした。


「ねぇ、このハンドガンを使っていた人も今日のような陽を見てたりしたのかな」


 赤く燃えて、灼けつくような太陽が今日も沈んでいく。そして、また明日には何も変わらずに昇ってくる太陽。星は巡り、草木が芽吹き枯れて、人間は歴史は繰り返す。

 それでも、こうして何とか生きて呼吸をしている。このハンドガンはその繰り返しの中で何を見てきたのだろう。前の持ち主と、私とのあいだで。

 戦争なんてものは知らない。だから、ハンドガンも何が危ないのかわからない。──でも、たくさん血が出るほどの大怪我は痛いと思う。


 風が鉄クズだらけの草原を波立たせながら吹き抜けていった。そして、太陽がゆっくりと水平線の果てへと沈んでいく。それと呼応するように空は彼方、いつものように夜の帳が降りてくるだろう。

 私は燃えるように真っ赤な空の最期を二人で見送った。

 いつかの君と一緒にじっと、太陽を見送った。


〈了〉

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