料理が出来ない悪魔が料理上手な社畜と契約した(胃袋掴まれた)話

道又 徳助

一日目〜出会い〜

 ーーー生ぬるく不快な風、今にも心臓を射抜かれてしまいそうな冷たい視線。

 目の前の非現実的な光景に言葉が出てこない。

 部屋は薄暗く、唯一の光源は天井ではなく床であった。


(あぁ、なんでこんなことになってんだよ。俺はただ…)



ーー数時間前ー



「あーもう!なんなんだよ!「君の作った資料ね〜なんて言うか〜う〜んなんか違うんだよね〜」って、もっと具体的に言えよ!」


 今日もあのクソ上司のせいでストレスが溜まってしまった。今の会社に勤めて早数年。

 先輩には、


「お前がする仕事は何か足りない」


と言われ仕事を押し付けられ、後輩にまで仕事を押し付けられ、毎日毎日終電ギリギリで帰る生活を繰り返している。


(いい歳にもなってしっかり断れないとか、俺は一体なんなんだろうな。「使い勝手のいい奴隷、か」


 心の声がいつの間にか口に出ていたらしい。

 口に出すと尚更惨めになる。


「はぁぁぁぁ。もう天使でも悪魔でも何でもいい。俺をこの地獄から救ってくれるなら魂だって売ってやる」


 自暴自棄になりながらネットで悪魔の召喚方法を検索する。

 元々寝に帰るためだけのような家だったので、ベッド以外に物がほとんどなく、静かな部屋にはキーボードをタッチする音と自分の呼吸音以外は何も響いていない。

 数分後には部屋の床に墨で描いてある歪な魔法陣らしきものができており、その上にはまるで生贄のように、たまたま冷蔵庫にあった焼きぷりんが鎮座していた。 

 仕上げにネットで調べた胡散臭い呪文を唱える。


「ーーオルカソルカ。焼きぷりんを生贄に、我の召喚に応えたまえ!」


 やはりと言うべきか何と言うべきか何も起きず、耳が痛くなる様な静寂が辺りを包む。

 ふぅと一息つき床に腰を下ろすと少し冷静になれた。


(何やってんだろう、俺。こんなことしても今の状況が変わるわけじゃないのにな、、、)


 そう、結局はただの努力不足なのだ。

 自分には才能がない、そんなもの今まで嫌と言うほど周囲の天才達に分からせられてきた。

 だが、俺だって人並み以上の努力はしてきた筈だ。

 ただそれが足りなかったというだけ。


「俺だって、少しは報われたっていいじゃないか」


『努力は必ず報われる』

 なんて都合のいい言葉があるが俺は信じていない。

 信じたって何にもならないのだ。

 ハハッと乾いた笑いが出てくる。

 こんなことを考えていると生きる意味がだんだんとわからなくなってきてしまう。


「天使だって、妖怪だって、悪魔だってなんでもいい。誰か。誰か俺に、生きる意味をくれ」


 そんな呟きが部屋に木霊する。

 どうしようもなく哀しくて、虚しくて、消えてしまいたくて。


(気分を変える為にしたのに気分は変わらないし、なんかする前より下がってる気がするし。なんなんだろう。まぁ明日も早いから早く寝よ)


 そう思い立ち上がろうとした時だった。

 急に床が光りだした。

 否、正確に言うと床に描いてある歪な魔法陣が光りだしていた。

 そんな非現実的な光景に息をすることも忘れてしまう。

 この、科学が世の中のほとんどの謎を解き明かしてしまっている二十一世紀にこんな非科学的なことが起こるのだろうか。

 もしかしたら今のこの状況は疲れた自分が生み出した幻覚か、夢なのではないかと疑ってしまう。

 いや、そういった方がまだ現実味がある。それほど今の状況は非現実的なのだ。

 そんなことを考えながら、今の状況を整理しようと目を閉じる。


(俺はただ疲れているだけ、俺はただ疲れているだけ、俺はただ疲れているだけ)


 そう自分に暗示をかけるように心の中で呟いていると不意に自分以外の気配を感じた。

 非現実的な光景を目にした直後なので自分以外の誰かがいるはずない、とは思えずただただ恐怖する。

 だが何にごとも見てみないと始まらない。

 自分自身を安心させるためにも、と恐る恐る目を開けてみる。

 すると、目の前には知らない少女が立っていた。

 パッと見ただけでも少女の出立ちはまさに悪魔だと認めさせてしまうようなある種の神々しさを持つものであった。


(ああ、ついに幻覚まで見えてしまった)


 少女はこの部屋唯一の光源である魔法陣からの仄かな光を受け俺の目の前に佇んでいた。

 少女はこの薄暗い部屋よりも暗い鴉のような髪をしており、この異様な状況でなければ誰もが魅入ってしまうだろう。

 そんな薄暗い部屋でもわかるような艶やかな髪を持っていた。

 だが、この状況で俺が目を奪われたのは髪ではなかった。

 俺が目を奪われたもの、それは少女の瞳であった。

 綺麗な『真朱』の瞳は薄く発光しており、この暗い部屋でも一際存在感を放っているのだが、その瞳には生気を感じず、見つめるだけでも心臓を射抜けてしまうのではないか、と思ってしまうほど冷たかった。

 そんな今にも心臓を射抜いてしまいそうな瞳で、少女はジッと俺を見つめていた。

 十秒、二十秒、三十秒と経過した気がしたが実際に何秒経過したのかは分からない。

 もしかしたら一分以上経過していたのかもしれない。

 いい加減この空気を変えなければ、と言葉を発しようとした時だった。

 突然目の前の少女が口を開いた。


「さあ、お主の望みを言ってみよ。我がその望みを叶えてやろう。何だっていい。自分の将来の伴侶が知りたいや、自分の出自の秘密が知りたいなどなーんでも良いのだ。ただしお主の望みを叶えてやるといってもお主の魂と引き換えに、だがな」


 少女の口からはこの異様な状況通りの想像通りというべきかテンプレというべきか、まるで小説の中に登場する悪魔が言うような台詞が発せられた。


(ああ夢か)


 そう確信した。

 先程までは夢か幻覚か、と現実だとは思っていなかったのだが少し迷っていた。

 この、床の魔法陣が発光し突然人が目の前に現れる異様な状況と目の前の少女のどこか小説の台詞のような発言で確信できた。確信したからだろうか、どこか心に余裕ができたのだろう。

 ふとこんな話を思い出した。

 どこかで読んだのであろう『悪魔が出てくる夢は、自身の嫉妬や恨みなどの醜い欲望の象徴である』という根拠の無い話であった。

 普段ならばこの疲れているにも関わらず明晰夢をみているという状況も夢の悪魔の話も鼻で笑っていただろうが、先程まで自分が考えていたものはこの話に出てくる醜い欲望、といえるだろう。

 つまりは疲れていた自分が寝る寸前までに考えていたことが表れた夢だったのだ。

 そう考えると納得がいく。

 これが明晰夢というものなのだろうか。

 普段夢をみても眠りが浅いな、としか思わない自分でも好き勝手ができる夢というものはいいものだ。

 ただ、今自分がなんでも好き勝手にできる状況ならば選ぶことは一つだろう。


(あーうん、寝よう)


 そう、寝ることだ。

 もしも一般の人々にこの話をしたのならば、へーほーふーんとなりながら少しは思うだろう、


「好き勝手できるのに何故夢の中でまで寝ようとするのか」


と。

 だが逆に俺は思う。

 何故夢の中でまで動かなければいけないのだろうか。

 貴重な睡眠時間を増えたり減ったりはしていないだろうが、気持ち的に休んだ気になれるものに割いたりしないのか。

 普段からそう思っているが故に俺は寝ることを、特に考えずに選択した。

 夢と確信できたことで夢の少女に関心を持っていかれずに寝ることだけに集中し、速やかに寝支度を整えることができた。

 そして布団に入り込んだ時であった。

 またもや少女が口を開いたのだ。


「お主を……丸呑みにしてやろうか。それともお主の恥ずかしーい過去をこの場で言ってやろうか」


 そう震えた声で脅された。

 いや、語りかけているようだが声が小さすぎて独り言のようになってしまっている。

自分の夢なので、


(恥ずかしい過去を知っているのは当たり前だろ)


と思いつつ自分の心の中を反映させているであろう夢に、いや夢の少女に少し興味が湧いてきた。


(そういや、コイツって悪魔なのか?なんとなく悪魔かと思ってたけど、実は違うとか)


 発言や容姿がいくら悪魔っぽくても実際は悪魔ではないかもしれない。

 だが、悪魔でなければ夢の意味がわからなくなる。

 夢に意味などないだろうと言われてしまえばお終いだが、一度疑問に思ってしまうと気になって仕方がなくなってしまう。

 自分の夢ならば答えてくれるだろうと思い、思い切って話しかけることにした。


「な、なあ。お、お前って悪魔、だよな?」


 元々人見知りが激しいからなのか、自分の夢であると自覚していてもやはり上手く喋ることができず、言葉がつっかえてしまう。

 急に話かけられたからだろうか少女は小さく、


「え、あ、はい」


と先程までの喋り方は何処へ行ってしまったのかと、思わず突っ込んでしまいたくなるような返事をした。

 ますます興味が湧いてきたので少女をジッと見つめていると、視線に気づいたのか少女はハッと何かを思い出したかのように小さく咳払いをし、先程までの震えた声とは違ったしっかりとした声で、


「我が名は…」


と言いかけたその時であった。

 何処からか「グルグルー」という大きな音が聞こえてきた。

 何処か懐かしく、馴染みのあるような音だったが何の音なのか思い出せず少し考えてしまう。


(うーん、何処かで聞いたことのあるような…)


 その音の正体が喉元まででかかっているのだが出てこず、何か良いきっかけがないものかと何気なく少女の顔を見てみる。

 少女の顔は暗くてはっきりと確認はできなかったが心なしか、先程よりも赤く染まっている気がした。


(あぁそういうことか)


 ここでやっと合点がいった。

 先程の大きな音の正体は少女の腹の音であったのだ。


(随分とリアルな夢だな…腹の音とか)


「あの、さ。腹減ってんなら、なんか飯とか、食うか?」


 別に深い意味はなかった。

 ただ、腹が減っているのならば夢であっても放って置けないと思っただけで夢の少女を試そうだとか、馬鹿にしようだとかは微塵も考えておらず、自然に口から漏れていた。

 少女は俺が馬鹿にしているのかとでも思ったのか、


「お主…もしや我を馬鹿にしておるのか?ならば、お主の恥ずかしい過去を「もーいいから、それ。俺の恥ずかしい過去を言うぞ、だろ?」


 流石に二度目の脅しともなると怒りも入ってか震えながらも今度はしっかりと自分に対して語りかけていることがわかった。

 少女は自分に台詞を邪魔されて気分を害したからかただ単に自分の見間違いなのか定かではないが、少女の『真朱』の瞳は先程までよりも濃く『深緋(こきあけ)』と呼ぶに相応しい色になっていた。


「別にお前を馬鹿にしたりしてないし、そういった意味はないからな。俺はただ単に腹減ってるのかなーって気になっただけだから」


 俺がそう言うと、少女はまだ納得がいってなさそうに、


「そうか」


と呟いた。

 そして小さく咳払いをするが、自分のプライドが邪魔して素直に言えないのだろう、


「ま、まあ良い。お主、先程我に腹が減っているのかと問うたな。腹など減っておらぬが、お主がどうしてもと言い、捧げ物をするのならば考えてやらんくもない」


と言った。

 声は所々震えており、今にも泣きだしてしまいそうだがプライドが高い故に泣きそうなことを必死に隠そうとしていることが伝わってきた。

 そんな少女を見て、


(俺って結構プライド高いのかな)


と思うと同時に、少女のことを少しだけだが可愛いと思ってしまった。

 夢の人物に恋心を抱いてしまったという話はたまに聞くが、そういった類いのものではない…と思う。

 ともかく、少女は腹が減っているようなので、何か作ってやろうと思い冷蔵庫を覗いてみるが冷蔵庫の中には水と調味料しか入っていなかった。

 今は夢の中なので色々な食材やらなんやらがあると思って覗いたので、少し驚いてしまった。

 仕方がないので、俺は近くのスーパーまで食材を買いに行くことにした。

 あそこのスーパーは安く品揃えが良いことに加え、24時間営業のタイプなのでこの現実的な夢の中でも開いているだろう。

 余談だが、滅多にない休みの日にはそのスーパーに行き様々な食材を買い大量の料理を作っている。

 まあ、大量にと言っても一人暮らしにしては多いなという程度だが。


「あのさ、ちょっと買い物に行ってくるけど、何か希望はあるか?」


 一応希望が有るのか聞いてみる。

 すると少女は先程よりは震えが収まった声で、


「よ、良い心掛けだな。希望は特にないぞ」


 と答えた。

 俺は、


「わかった」


と短く応えると財布だけ持ち部屋を後にした。

 この時、冷静に考えると夢の中なので財布を持つ必要はなかったのだが、料金を支払うということが常識として身に染みているので俺は特に何も考えず財布を持ち出していた。


ーーー


 スーパーまで片道15分もかからないので1時間後には帰宅していた。

 家の扉を開けた際、少女は暗い部屋の隅で膝を抱え何か独り言をブツブツと呟いていた。


「遅いな。何かあったのかな。それとも私のことが嫌いになっちゃったのかな。あはは、やっぱりあんな高圧的に言われたら嫌になっちゃうよね、だよね。うん」


 俺に情けない姿を見られたくなかったからなのか、少女は俺の気配を感じると急いで立ち上がり、


「ず、随分と遅かったな。我を待たせるとは良い度胸だの。まあ我の心は広いのでな、お主を許してやろう。してお主、何か聞いたか?」


と聞いてきたので俺は咄嗟に、


「な、何も?何か言ってたのか?あ、遅くなってごめん」


と応えてから疑問に思ったが、夢の中に時間の概念はあるのだろうか。

 まあこの夢は妙に現実味を帯びているのだからあるのであろうと自分で自分を納得させた。

 そしてこのプライドの高い少女のことだ、正直に、


「聞いた」


と応えたら恥ずかしさのあまり発狂してしまうだろう。


「良いぞ、だが我を待たせるのならばそれ相応の物でないとな」

「わかったから電気ぐらいつけておけよ。目、悪くなるぞ」

「我を人間などと同じにするではない。お主、今度こそ我に丸呑みにされるか?」

「はいはい、ちょっと待ってろよー」


 そう軽く受け流すと少女は頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった。

 俺は今さっき購入した品々を冷蔵庫に入れ、久々に台所へと立った。



ーーー



 一時間後には食卓に数品の料理が並べられていた。

 冷凍していた白米、豆腐とワカメの入った味噌汁、甘い卵焼き、キャベツと豚肉の醤油炒めにカットされたトマト。

 即席にしてはなかなかの出来栄えである。

 少女はというと机の前で腕を組み調理をしている俺をじっと見つめ、時々口を開いたかと思えば、


「捧げ物はまだか」


としか言わない。

 だが、俺は気づいてしまった。

 机に料理が並べられてゆくにつれ瞳は『真朱』から『銀朱』に変わっていっていることに。恐らくだが少女の瞳は感情によって異なるのであろう。

 『真朱』は平常時『深緋』は怒りや照れ『銀朱』は幸せ、といったところだろうか。


(どういう仕組みなんだか)


 瞳が仄かにだが光る上に色が感情に伴い変化するなど、まず現実世界ではあり得ないだろう。

 知りたいという好奇心が湧き上がってくるが、聞いたところで、


「我は悪魔だからな」


といった曖昧な答えしか返ってこないだろう。

 そんなことを考えていると作業する手が止まってしまう。

 そんな俺の姿を見た少女が不満気に口を開く。


「まだか。いくら我の心が広いと言えど限度というものがあるぞ。それともお主は我に呑み込まれたいという願望でもあるのか」


 瞳は色こそ変わっていなかったものの高圧的な語り口とは裏腹に、ふるふると震えていた。


「あぁごめん。今用意するよ」

「そうするがよい」


 俺は冷蔵庫から飲み物を取り出し、今までで殆ど使用したことのない白藍のマグカップに注ぐ。

 ついでに俺の分の飲み物も用意する。

 溢さないようにと慎重に少女の前に飲み物を置き、俺は少女の目の前に座る。

 少女は俺が座ったのを見て、余程我慢の限界だったのだろう、


「食べてよいのか」


と俺を急かすように聞いてきた。俺が、


「どうぞ」


と言うと同時に少女は箸を持つがそこで動きが止まってしまう。

 どうやら箸が使えないようだ。

 確かに少女の見た目や悪魔という部分を考慮すれば使えないのは当然だろう。

 ただ、夢の中であったのですっかり頭から抜けていた。


「待ってろ今フォーク持ってくるから」


 そう言って席を立とうとするが、それを少女が制止する。


「待て。我はこのままでよい」


 どうやら箸が使えなかったことが悔しかったようで、落としそうになりながらも懸命に使おうとしていた。


「う、うぅむ。難しいな」


 苦戦しているのを見かねた俺は少女に箸の持ち方を教えることにした。


「えっとな、箸はまず…」


 俺は最初、


「そんなものはいらぬ」


と断られるのかと思ったのだが、思いの外少女は真面目らしい。

 俺の下手な説明を、


「ふむふむ」 


 と真剣に聞き、それが終わるとクロス箸であったがしっかりと持てるようになっていた。


「褒めて遣わす。ではいただこうかの」


 少女は一度箸を置くと、


「いただきます」


と手を合わせた。

 どうやらそういった礼儀の類は夢に反映されているようだ。

 少女は一切の迷いを見せず真っ先にキャベツと豚肉の醤油炒めへと箸を伸ばす。

 少女の箸が豚肉を掴み上げると雲のような湯気がふわりと昇り、こちらにまで美味しそうな醤油の匂いが漂ってくる。

 豚肉は先程まではいかずとも雲のような霧のような湯気を立たせながら少女の口へと運ばれていく。

 少女は大きな豚肉を豪快に一口で食べるが熱かったのか、はふはふと口から湯気を出す。

 少しすると冷めたのか慣れたのかゆっくりと咀嚼をし始めた。

 咀嚼をする度に少女の瞳は大きく見開かれていく。

 どうやら美味しく出来たようだ。


(よかった)


 決して味に自信がなかったわけではないが、即席だったのでもしも失敗していたらと考えてしまっていたのだ。

 ひとまず美味しく出来上がっていたようなので、一口飲み物を飲む。

 俺は腹が減っていなかったため自分の分の料理は用意しておらず、手持ち無沙汰になってしまったので俺はじっくりと少女を観察してみることにした。

 余談だがこの時少女は光を反射した雪のような輝きを帯びた白米を口に運んでいる最中であった。

 少女は前述した通り鴉のような艶やかな髪と『真朱』の瞳を持っていることに加え、少女の皮膚は『白藍』であった。

 一見すると病人のように見えるが少女の額には小さな『深碧(しんぺき)』の角が生えており、それが人間でないということを改めて証明していた。

 どうやら角は光の反射具合で色を変えるらしく時には『深碧』のように時には『紫式部』のようになった。

 ふと机を見ると皿の上から料理が忽然と姿を消していた。

 先程までは大量にあったはずの炒め物も大盛りの白米も全て元から存在していなかったかのように。

 少女を見ると満足気に箸を置き、


「ご馳走さまでした」 


と手を合わせていた。

 どうやら少女は全ての料理をこの数分間で食べ尽くしてしまったらしい。


「お主、なかなかに美味かった。褒めて遣わす」

「そりゃどうも」

「で、だ。まだわた…我の紹介をしていなかったな」


 私と言いかけたのか少女は急いで我と言い直し、大きく咳払いをする。


「我が名はルイヤ・ボティス。未来を予知し過去を覗く者である。さぁお主の望みを言ってみよ。我が何でも叶えてやろう」

「え、えっと…ごめん遠慮しておく。誰かに叶えてもらうような望みはないし」


 少女は俺に断られるとは思っていなかったのか沈黙が流れる。

 俺にも勿論望みはあるが、俺の望みは誰かに認めてもらうことなのでただ努力あるのみだ。


「聞き間違いかの。では、お主の望みを叶えてやろう」

「遠慮しておきます」


 俺に二度も断られると流石に現実を受け入れたのか、少女は俯いてしまった。

 何か声をかけた方が良いかと悩んでいると少女はおもむろに立ち上がり俺の方へと歩き出した。


(まさか、刺される!?)


 場面は違うが、逆上した彼女に刺されたという知り合いの話が頭を過ぎる。

 夢の中なので死なないと分かってはいるものの痛いものは嫌いである。

 何か少女を刺激せず距離を取れる案はないものかと普段使わない頭を回転させるが、案が出てくるよりも先に少女が俺の目の前までやってきてしまう。

 俺は覚悟を決め目を瞑ると、目の前からバサッという音とともに頬に微風を感じた。

 恐る恐る目を開けると…少女が頭を下げていた。


「お願いします!何でもするんで私と契約してくださぁぁぁぁい!後生ですから!」


 先程までのプライドとプライドとプライドは何処へやら。

 頭を下げるその姿は、まるで歴戦の戦士のようであった。


「ちょ、ちょっと頭を上げ「お願いします!もう嫌なんです!あんなクソ不味い料理を食べるのはぁぁ」

「あ、あの」

「いやいや期なんだーー!」


 何とか泣き喚く少女を宥めようとするが全く聞く耳を持ってもらえない。

 何か少女の気を引けるものはないのかと周囲を見回すと、とあるものを発見した。

 俺は泣き喚く少女を横目に台所まで歩いて行く。

 そして目的のものを持ち大きな声を出す。


「デザートのぷりん食べる人」


 俺は目的のもの、先程召喚に使ったばかりの焼きぷりんを高らかに掲げると少女は一瞬で静かになる。


(単純だ)


 単純である。


「あのな悪魔。俺は契約してもすることはないんだ、だから「嫌です。契約してくださるまでここに居座ります。それが嫌だったら諦めて契約してください」


 先程から高圧的な態度になったりプライドを捨てて泣き喚いたり急に冷静になったりと忙しいと思いつつ、


(というか冷静になれんのかよ)


と、心の中で突っ込むことも忘れない。


「分かりました。ではこのまま居座らせて「待て待て」


 俺が早く返事をしなかったからか俺を急かすためか少女は居座るということで終了させようとしてくる。


「では契約していただけますか?」

「いや、だって魂取られるんだろ。嫌だよ」

「ふっふっふっふ、甘いですね。砂糖たっぷりの粒餡と生クリームを混ぜたものに練乳やら蜂蜜やらをトッピングしたような甘さですよ。目の前に何でも願いの叶う魔法のランプがあるのと同じなのに、それを手に入れられるチャンスを手放そうなんて…願いが叶うのならば魂くらいパパーっと散らせてもいいじゃないですか。それが嫌でも社会人ならば交渉という術が残されていますしね」


(交渉、か)


「いやいや甘いし、しないし。と言うか粒餡ってところに変なこだわりを感じるな」

「粒餡は譲れません」


 今まで心の内に秘めてきた突っ込みを思わず入れてしまう。


「交渉っても願い事はないし、どうせ魂じゃなくてもお前の体を貰うーってやつだろ」

「いいえ、交渉次第では…あーもーまどろっこしい!」


 少女が突然狂ったかのように机を強く叩く。

 辺りにはドンッという鈍い音が響き渡り、少女は思っていたより強く叩きすぎたのか手を押さえ悶絶している。

 少しすると痛みが引いたのか少女はこちらに向き直り、何処からか取り出した一枚のホワイトボードを手に説明をし始める。


「今あなたはとてつもない力を手に入れられるんです。本来ならば魂をいただくのですが今回は何と!我が儘な貴方の為に…」

「た、為に?」

「何とー!」

「何と?」

「…何とーー!」

「あーもう早くしろよ!」


 つい声を荒げてしまう。そんな俺の変わり様に驚いたのか恐怖したのか、少女は肩をビクッと震わせ小さく、


「す、すみません」


と言った。


「で、では…何と貴方の料理で手を打とうと思います。貴方が私に料理を作れば未来や過去を覗けるんですよ。破格ですよ破格」

「いや、ごめん。でも何で料「よくぞ聞いてくださいました!実は…」


 俺はどれ程の壮絶な物語が待ち構えているのかと身構えるが、彼女の口から紡がれた言葉は俺の想像の斜め上を行くものであった。


「私達は普段魔界と言う場所に住んでおります。魔界は日が照らず植物は育ちませんので魔族、まぁ悪魔やらは食事をしなくてもいいように進化しました。だから本来ならば食事を必要としないのですが、食事と言う文化は廃れていません。逆に嗜好品の一種として進化を遂げています。ですが先程言った通り植物などの食材は育たず、食事は高級嗜好品となっております。あ、高級と言ってもこちらの世界での食材の価格が十倍となっている程度ですので私も時々食べておりました。とても美味しく幸せな気分になれたのですが、ここで事件が起こります」

「事件?例えば食材が完全に無くなったとか?」

「まぁ違います。その事件はほんの数分前に起こりました」

「ん?」

「そうです。私はとある捧げ物を貴方にいただきました。それが全ての元凶です。それを食べると脳が蕩けるような感覚に陥り、今まで食べていた物がまるで腐った生ごみのように感じました」

「ま、待て」

「この世、いや人間界にはこのような物があるのか。とね」


(あれ、待て。これってもしかしなくとも、俺のせい?)


 変な少女に絡まれる原因が自分自身にあったことを悟ってしまい、俺の脳が思考を停止してしまう。

 俺が思考停止しても尚、少女は話を進める。


「酷いと思いますよね。可哀想だと思いますよね。では契約を…」


 少女は涙を拭う素振りを見せ、俺の手を掴もうとしてくる。


「いやいやいや。契約しないし、って止めろ」

「可哀想だと思いますよね、ね!難しいことなどございません。ただ私と貴方の掌を合わせ、私の名を唱えるだけですから。かんたん簡単」

「だから嫌だって」

「では私は契約していただけるまで貴方を眠らせません」

「何でだよっ」


 いくら夢の中だとしても眠れないということは苦痛に感じる。

 ここで俺はあることに気がつく。


(ん?そうだ。これは夢だったじゃないか。契約もなにも起きれば全てが無になるじゃないか)


 気づいてしまった。

 この事実を、これが夢であったことに。

 あまりにも現実味がありすっかり記憶の彼方へと飛んでしまっていた。

 そう考えると次に自分がすべき行動が自然と頭に浮かぶ。


(そうか。そうだよ、そうじゃないか)


「だーかーらー。けーいーやーくーをー」


 少女は口を尖らせうざったく契約を進めてきている。

 そんな少女に俺は初めて笑顔を見せる。


「けーいーや「いいよ。契約しよう」


 俺が契約をすると言うと先程まで騒いでいた少女は一瞬で静かになり、少し間を置いてから、


「え、嘘」


と目を丸くし、俺に問いかける。


「契約、していただけるんですか?本当に、いいの」

「いいから早く契約しようか」


 少女は笑顔で小さく、


「やったぁ」


と呟いている。

 その笑顔は先程まで暴れていたことを忘れさせる程可愛かったが俺の心の中を支配していたのは可愛いではなく、


(早く寝たい)


であった。


「では早速契約をしてしまいましょう。案ずるより産むが易し、説明しながら契約を進めますね。まず初めに貴方の掌を私の掌に合わせてください」


 そう言うと少女は自分の掌と俺の掌とを合わせる。

 合わせた瞬間、少女の瞳はまたしても光を帯び始め、俺がその瞳を見つめると少女もまた見つめ返してくる。


「では次に私の名前、ルイヤ・ボティスと唱えください」

「る、ルイヤ・ボティス」


 俺がそう唱えると、今度は少女と俺の掌が接している部分までもが光を帯び始める。

 そして最後の仕上げかと言うように少女は唱える。


「我が名はルイヤ・ボティス。未来と過去とを覗く者なり。我が名に命ずる。我の目前に居る者に力を与えたまえ」


 少女が厨二病感溢れる台詞を唱え終わると同時に少女が眩い光に包まれる。

 俺が呆気に取られていると少女を包む光は徐々に消えていき、最後には何事もなかったかのように光は跡形もなく消え去ってしまった。


「ではこれにて契約完了です。お疲れ様でした。次に私と貴方の契約内容を遅ればせながら確認させていただきます」


 俺は契約を終えた安心感からか、それとも先程までの混沌とした状況から戻った安心感からか、はたまた夢の中とは言え超常現象を視認したからか、少女が話している契約内容が全くと言う程頭に入ってこなかった。

 いや、気がついたら説明が終了していたと言った方が正しいだろう。


「ーーー以上でよろしいでしょうか」

「あ、あぁ」


 俺は訳も分からずに返事をする。

 未だに俺の頭の中は理解が追い付いておらず、茫然と立ち尽くしてしまう。

 そんな状態でもお構いなしに少女は語りかけてくる。


「そう言えば、まだ貴方のお名前を伺っていませんでしたね。私が数えるので3・2・1でお名前をどうぞ。ではいきますよ」

「え、あ、は?」


 突然のカウントに俺の思考停止した脳はついて行けず、気の抜けた返事しか出来なかった。

 そのような返事に腹を立てたのか、臍を曲げたのか少女は、


「そうですか」


と短く返事をした。

 少し間を空けて少女はもう一度問いかけてくる。


「もう一度問います。貴方のおーなーまーえーは?」


 少し思考が追い付いて来たので、内心うざったいと思いながらも少女の問いに答える。


「あ、あぁ俺は玄田。玄米の玄に田畑の田で玄田健人だ。まぁしがないサラリーマンだよ」

「玄田さんですね。分かりました」


 少女に玄田と表示されたスマホの画面を見せ、少女はそれをじっと見ながら小さく、


「…玄田、玄田、玄田」


と呟き俺に眩いばかりの笑顔を向ける。


「社畜さんですね。これからよろしくお願いします!」

「しゃちく?」


 追い付いた筈の思考がまたもや停止し、今しがた俺に向け発せられた言葉を理解することが出来なかった。


(しゃちく、しゃちく、しゃちくう)


「あ、あぁ。鯱食うか、なんだなんだ今一瞬、社畜って聞こえた気がしたけど聞き間違えか。だよな、うん」


 俺は同意を求めるように、聞き間違いであることを求めるかのように視線を向けたが、少女は俺の希望を打ち砕く言葉を放つ。


「いいえ。会社の社に畜生の畜の社畜です」

「何でだよ!」


 つい大声を出してしまったが少女は冷静に真面目な口調で話を続ける。


「社畜さん、いえ玄田さんの名字って確か玄米の玄に田畑の田で玄田さんでしたよね。その二つを合わせると、ほら畜になるじゃないですか」


 少女はご丁寧にホワイトボードを用いて説明してきた。


「それにサラリーマンってこととこの部屋などを鑑みて判断しました」


 俺の脳が理解することを拒む。 

 俺が何も言わずにいると少女がこちらへにじり寄って来た。


「ところで…社畜さん。そのーあのー貴方が手に持っている物が欲しいのですが…」


 少女の言葉は俺に了承を得ようとはしているが、少女の行動は明らかに焼きぷりんを奪いに来ていた。


「いいぞ。俺は寝る。じゃあな」


 もう二度と出会うことのない夢の少女に別れを告げ、少女に焼きぷりんを手渡そうとする。

 すると少女はいつの間にかスプーンを手に持っていた。

 そんな少女の雰囲気はまさにワクワクという擬音が似合っており、最初の恐れ多い印象は何処かへ吹き飛んでいた。


「ありがとうございます!では早速…ってもう寝るんですか?」

「ああ明日も早いし、いくら今が夢だとは言え眠いしな」

「分かりました。おやすみなさい」


 少女は俺の返答に、


「夢?」 

 

と小さく首を傾げていたが、眠る事だけに集中している俺に少女の小さな呟きは一切届いていなかった。


(あぁ明日も仕事か…)


 布団に入ると気絶するように溶けるように眠ってしまった。

 明日は早く帰りたいと願いながら…。

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