『小休憩』10番目の物語

利糸(Yoriito)

黒き光

 ―――どれだけ願っても、世界は終わってはくれなかった。


 それは、間違いなく世界が終わる瞬間だった。

 その瞬間を前にして、ある者達に白い光が降り注ぐ。自分を見失わず、恐怖よりも『何かを守りたい』『生きたい』という強い意思を持った者達に降り注ぐ。白い光を得た者達がその光を以って世界を救うと、今度はある者達に黒い光が舞い降りた。それは、世界が救われることを望んでいなかった、世界が終わることを望んでいた者達。

 その日を境に、世界中でふたつの勢力による戦争紛いの小競り合いが始まった。


   +++


 どれだけ願っても世界は終わってはくれなかった。けれど、目の前に核爆弾投下のボタンが置かれたとしても私にそのボタンを押す度胸はない。だから、世界が終わればいいなんて、いくら呟いていようと、それは私の本心ではないのだろうと思っていた。

 あの日を迎えるまでは。

 私に黒い光が舞い降りた時、その時、私は私の本心を知る。そして、その瞬間が訪れたことに喜び、阻止されたことに失望した。ただ、そんな力を持っていなかったから、自分で世界を終わらせる覚悟なんてなかったから、当然のように明日が来ると思っていたから、気付かなかった。そして、今も続く世界で私は以前と同じ生活を送っている。


   +++


「黒い光を授かりながら……!!」

 そんな捨て台詞を吐いた女をいつものように追い返し、私は自分のデスクへと戻った。

 仕事場にまで勧誘に来るのは本当にやめてほしい。

 世界が救われたそのすぐ後のことだ。白の勢力と黒の勢力はそれぞれに敵対することを高らかに宣言し、その後は、時々小競り合いを繰り返し、それぞれに仲間を集めていると毎日のようにニュースを賑わせていた。

「先輩。今の人、黒の勢力の人ですよね?」

 隣の後輩が話し掛けてくる。今時の、オシャレに気を遣い、指先までキラキラツヤツヤの男ウケしそうな女の子だ。私は適当にも聞こえる返事をする。

「うん。そう」

「週に一回は黒側の人が来ますけど。追い返しちゃっていいんですか?」

「私は関係ないから」

「でも、光を持つ人って、他の光を持つ人の気配が分かるらしいじゃないですか。黒も白もお互いに。だからしょっちゅうそこら辺で小競り合いになってるって、昨日の夕方のニュースでやってましたよ?」

「らしいね」

「らしいねって……」

「仮に私が黒の光を持ってるとして。君はそんな私に話し掛けてる訳だけど」

「黒の勢力は世界的に敵対視されてますもんね~。僕達私達の生活を脅かす悪! 世界を終わらせようとしている悪! って」

 世界を救った白の勢力は当然のようにヒーロー扱いされていた。ネットでもTVでも新聞でもそう取り上げられ、その敵役の黒の勢力は当然、世論から忌み嫌われる存在としてその立ち位置を確立していた。

「だったら、そんな気軽に私に話し掛けない方がいいんじゃない?」

「えー。でも、だって先輩。誘いをずっと断ってるじゃないですか」

 だからいいのだと。後輩はニッコリ笑う。そのきっぱりとした物言いに、いい子だと思う。

「黒い光を持ってても、先輩みたいな人もいるんですね~」

「そうだね」

「やっぱり持ってるんじゃないですか~」

「!?」

 後輩がニヤリと笑っていた。カマを掛けられたことに今更気付いた。小悪魔だと思った。

「ふふふ。誰にも言いません」

 そんな可愛く笑われても、信じていいものかどうか……。


   +++


 黒い光が舞い降りる。私の目の前に降りてくる。手を差し出せば手の平の上に音もなく降りて来て、感触も重さも感じないまま、その光は手の平を通して私の中へ溶けていった。

 自分の中に黒い光を感じる。

 確かに自分の中に存在しているのだと分かる、黒い光。

 その雑じり気のない常闇色に、私はひと目で心奪われたのだ。いつだってどこでだって、目を瞑ればその色を見ることができた。私はそれで満足してしまったのだ。あの光は私にとってあまりにも美しすぎた。


   +++


 その日は休日だった。朝早くから来訪を告げるチャイムがけたたましく鳴り響く。

「……」

 私は時計を見る。目覚ましが鳴る前だった。

 来訪者は開かないドアを激しく叩き、外から声を張り上げる。

 非常に気分が悪かった。まだ、空が白み始めたぐらいの時間だろう。ご近所迷惑甚だしい。

「うるさい」

 ドアを開けると、そこには正義は我にありと尊大な態度の白服の男が立っていた。若い男だった。その男が言う。

「お前。黒の勢力だろう」

「違う」

「そうだろう。世界の終焉を企むお前らを俺は成敗しに……へ?」

「私は黒とか白とか、関係ないから」

 扉を閉めようとすると男が扉を掴む。

「ふざけるな! 光を持つ者同士、分からない訳がないだろう!」

「仮に、私が光を持っていたとしても、黒にも白にも関係ないので」

「はあ?」

 男の身体から白い光が零れ始める。

 マジかよ……。と思わずにはいられなかった。この男はこんな住宅街で力を使うつもりらしい。世界の命運を左右する力を。

 私がどうしようかと悩み始めると気配が近付いてくる。いくつもいくつも近付いてくる。

「……」

 私は頭を抱えた。

 黒も白も、近くにいた者達が私の目の前に集まってくる。ふたつの勢力は集まったお互いの顔を睨み合う。その睨み合いの間に割って入る人影があった。白い服を身に纏ったその男は未だ私の家の玄関扉を掴んだままの男に向かって言う。

「許可なく力を使うのは総帥の意思に反するぞ。何があった?」

「総帥の意思? そんなの誰も気にしちゃいないじゃないか。だから、いつもどこかで騒ぎが起こってる。目の前に敵がいる。だから俺は力を使おうとしてる」

「その都度、総帥はそいつらをお叱りになっている。こんな時間に、しかもこんな場所で」

「知るか! おい、お前ら。目の前に黒の奴らがいるぞ! やっちまえ!!」

 白側から雄叫びが上がった。それに応戦するように黒側からも雄叫びが上がる。この場でこの騒ぎを収めよとしているのはあの後から来た白の勢力の男ひとりだけらしい。

 黒の勢力と白の勢力がお互いに向かって駆け出すのを見て私はため息をついた。

 胸の上で拳を握り込む。大変不本意極まりない。でも、しようがない。

 大事なのは、イメージだ。

 自分の中に雑じり気のない、一切の濁りのない、常闇色の光が見える。それを大事に大事にしまっていた器の蓋を、開ける。

 五感のすべてを、信じていた物を、大事な物を、奪い覆いつくす。その色に心奪われたのは私だけだったらしい。

 蓋を閉じた時、白の勢力も黒の勢力も呆けたようにその場に立ち尽くしていた。

「帰れ」

そう言った私を何人かが緩慢に見た。私が睨み返すと素早くこの場から逃げ出したのが二名。それから次第に順々に駆け出し、最後は叫び声を上げながら残りが逃げ出した。

 私は耳を塞ぎ、鼻を鳴らす。

 こんなことは本当にうんざりだ。私は目を閉じる。自分の中の黒の光が変わらぬ色を保っていることにホッとする。朝から騒がしくしてしまったことに同じアパートの住人と近隣住人から白い目で見られたが、致し方ない。……と言える程、私の精神は強くなかった。

 その後、部屋の中に戻った私だったが肝の小ささを露呈することになる。

 部屋の中であるにも拘らず見られているような気がして落ち着くことができず。休みで用事もないのに一日中外を出歩く羽目になった。

 腹立たしいこと極まりない。

 正直白だろうが黒だろうが、私にとってはどちらも災厄でしかなかった。心の底から放って置いてほしいと思う。

 この街には大きな川が流れていた。その川の土手に立ち、夕焼け色に染まる空を眺めながら、

「明日は仕事だー」

 私は、朝逃げ出した家に帰る為歩き出した。


   +++


 昼休憩を知らせる鐘が鳴る。

「じゃあ、先輩。すみません。先に出ますね」

「う? うん。なんか嬉しそうだね」

「へへ~。外で彼氏と会う約束してるんです」

「ああ。一周年記念日だっけ」

「なんで知ってるんですかあ!?」

「聞きもしないのに君は勝手に喋るから」

「ええ~。でも、覚える程でした?」

「この日が近づく程にその話題は繰り返されたからねえ」

「やっだあ~」

「やっだあ~。……じゃないよ。彼氏が待ってるんでしょう。早く行きなよ」

「は~い。それでは先輩。いってきます」

「いってらっしゃい」

 リズム感のないスキップで今の気持ちを精一杯表現しながら、小さなフロアを出て行く後輩の後ろ姿を見送って、私はもう少しデスクに噛り付く。ここをやってしまえば午後の仕事が少し楽になるというところだ。やってしまっておきたかった。

 一段落ついて時計を見れば昼休みの半分が過ぎていた。急いで私も昼を食べてこなければと、会社の入っているビルの外に出た時、響く轟音。あちらこちらから悲鳴が上がる。

「黒の勢力が向こうで暴れてるっ。白の勢力が応戦してるぞ!」

 聞こえてきた声に私は心の内でその言葉を否定した。

 黒の勢力と白の勢力が暴れてる、の間違いだろ。

 不機嫌に鼻を鳴らし、人が逃げてくる方に目を向ければ後輩が泣いている姿が見えた。ぺしゃんこになったカフェテラスの側で後輩が膝を付いて泣いている。彼氏らしい人物の姿は見えなかった。

下敷きに、なったのだろうか? 考えて、頬が引き攣る。可哀相に……。ついさっきまで、あんなに幸せそうに笑っていたのに。そして、思う。

 何故、世界はこんなにも無意味なのだろう。

 私は目を閉じる。

 本当に、私には意味が分からなかったのだ。世界がある意味も。人間がいる意味も。

 私は天を仰ぎ、目を開ける。真っ青な空が見えた。静かな空だった。地上はこんなにも騒がしいというのに。

 意味なんて無いのは分かっている。生きる意味は生きている間に自分で見つければいい。死ぬまでに、死ぬ瞬間でもいいから、見つかればいいと思っていた。私は未だに自分が生きている意味を見い出せていない。

 近付いてくる気配に目線を落とす。

 白の勢力に総帥と呼ばれる存在がいるように、黒の勢力にも有象無象をまとめる存在がいた。黒側の情報は規制され、一般に届くことが殆どない為、私はその存在が何と呼ばれているのかも知らない。

「君かね。黒い光を授かりながらずっと私達の誘いを断っているのは」

 いけ好かないジジイだと思った。

「我らは決起することに決めたよ。今こそ全勢力を以って世界を終わらせる。なんでも君は力の扱いに随分と長けているそうじゃないか。今までの君の尊大な態度は水に流そう。今こそ我らと共に世界を終わらせようじゃないか」

 私はため息をついた。思っていたことが口をつく。

「いけ好かないジジイだ」

「……何?」

「あんたらは何も分かっちゃいない。まあ。私も分かっているとは思わないけど」

「おかしなことを言う」

 男は実際笑っていた。馬鹿にした、見下した笑いだった。

 私は男の顔から目の前の惨状に目を向ける。

 ビルが倒壊していた。道路は割れ、車が何台も横転して、あちらこちらから煙が上がっている。光を持たない人々が泣きながら、叫びながら逃げ惑っていた。その中で、黒い光と白い光が幾つも幾つも弾けて消える。

 その光景を、私は皮肉を込めて鼻で笑った。

「お前ら、本気で世界終わらせる気あんの?」

 男の額に青筋が浮かんだ。

「あ? それが黒き光を授かった我々の悲願だろうが。お前は違うなどとほざく気か」

 私はため息をついた。空を見上げる。

「ああ。意味がない。意味がない」

「ふざけるな! 貴様が何もしていない間、我々はあのヒーロー気取りのごみクズ共と戦い、準備を重ねてきた。その準備がやっと整ったのだ!」

「無意味だなー」

「まだ言うか!!」

「あんたらはさ、酷い勘違いをしているよ」

「何?」

「複数に同じような力が授けられたことに意味があると思ってんの?」

「ほざけ!!」

 男が飛ばしてくる唾の届かない範囲まで後退して、私は頭を掻く。

「そもそも白だろうが黒だろうがそれが力だというなら、そのふたつに露ほどの違いもないと私は思うんだけどね。本質は、きっと変わらない」

「黒き光を授けられた者の面汚しが! 貴様のような異端者は私の手でなかったことにしてくれる!」

 男の身体から零れ出す黒い光。

 年を食うと他人の意見を受け入れ難くなるのかと、私は口から出そうになった何度目かのため息をグッと堪えた。ため息をつくと幸せが逃げるとかいう迷信があったなと、別に信じている訳ではなかったが何故かそれを今思い出し、実行してしまった。それはひとえに、幸せが逃げることは悲しいことだと思ったからだ。先程見た後輩の姿が目の裏に浮かぶ。

「……ああ。意味分かんねー」

「そこまでだ!」

 あらぬ方からの声に顔を向ければ白の勢力だった。黒い光を放ち始めたジジイに寄って来たらしい。

「みんなを不安がらせ、恐怖に陥れる、平和な生活を脅かす悪党が! テメエらみたいのは存在自体間違いなんだよ! ぶっ飛ばしてやる!」

 私はげんなりした顔をしていたことだろう。人命救助に当たっているのは全て光に関係のない警察や消防だ。逃げ惑う人々を助けようともしないでこいつらは何をやっているのだろう。何が世界を救う白い光だ。ジジイの言っていたこともあながち間違いではないと思った。ヒーロー気取りのごみクズ共。黒の勢力は黒の勢力で……。

「なんか、悲しくなってきた」

 私はさっき呑み込んだため息をつく。

 世界を終わらせるのにそもそも他人を苦しめる必要などないのに。

「悲しい……」

 不意に込み上げてきた涙をグッと堪える。周囲で上がり続ける悲鳴と、泣き声と、助けを求める声がやたらと大きく聞こえてくる。

「……もう、いいか」

 私は目を閉じた。

 大事なのはイメージだ。箱の中に大事に大事に仕舞っていた黒い光を覗き込む。雑じり気のない常闇色。私は気持ちを落ち着けようと、ふうっと息を吐き出した。光を丁寧に取り出し、箱を捨て去る。

「すべての悲しみを、全ての苦しみを、全ての痛みを、全ての恐怖を、消し去る」

 自分から真っ黒な光が噴き出すのが見えた。あまりの勢いに自分でちょっとビックリしたが取り乱すことはせずに済んだ。空を見上げれば、地上の喧騒など関係ないと言わんばかりに静かだった青色が黒に塗り潰されていく。

「なんだ!? 空が!?」

「馬鹿な!」

「光っ! 白き光を……!」

「ひとりで世界を終わらせるだと!?」

 黒の勢力も白の勢力も動揺しているのを遠くに感じる。

「それが、勘違いなんだって。複数人が同じような力を与えられたから集まらなければそれができないなんて、ただの思い込みなんだよ。この力はひとりでだって世界を終わらせることができるんだ。大事なのはイメージと、覚悟だ」

 私は黒に呑み込まれ、静かになっていく周りの喧騒に、先の一息では落ち着けなかった気持ちが落ち着きを取り戻していくのを感じていた。一度解き放ってしまえば自分の手から零れ落ちてしまうのではと思っていた黒い光。零れ落ちるどころか目を奪う常闇色の中に自分がいることにホッとする。

「なんだ。もっと、早くこうしてればよかった」


   +++


 ビルの最上階から黒に塗りつぶされていく眼下を見下ろすひとりの男がいた。真っ白な服に身を包んだひとりの男。

「黒側にもひとりは気付いている者がいると思っていた。そのひとりの琴線に触れたな。一度は救われた世界だというのに、なんて意味のない」

「総帥」

男が振り返ればそこには男と同じように白い服に身を包んだ女が立っていた。

「光を使いますか?」

「いいや。あれらが光を手にした時の気持ちを忘れていなければ、世界が終わることはない筈だった。光を手にした時の気持ちを失くした者達を助ける義理はない。この世界の終焉はあの場に居合わせた者達の救いとなるだろう。お前は俺と一緒に来るか? 俺とお前だけならお互いの力で何とでもできるだろう」

 女は男を暫し見つめてから、軽やかに一歩を踏み出した。羽のように男の胸に飛び込む。

「あなたがいるなら。他には何もいりません」

 男は女を抱き締める。女の耳元で、女にだけ聞こえるように囁く。

「俺も、お前さえいれば他には何もいらないんだ」

 抱き合うふたりの身体から零れ始めた白い光は合わさって、眩しい程の輝きを放ち始める。


   +++


 視界を埋め尽くす常闇色に私は口角を上げていた。周囲には既に何もなく、私も眠りに着こうと目蓋を閉じかけた時、遠くに白い光を見る。

「?」

 白い光はこちらに近付いて来ていた。それは白い服に身を包んだ一組の男女だった。

「やあ。君が世界を終わらせた黒い光の使い手かな?」

「! あんた、白の総帥か!」

 男がおかしそうに笑う。

「最後の最後に顔を拝めるとは思わなかった」

「そう。最後だから。この世界を終わらせた存在に挨拶でもしておこうかと思ってね。私達は行くよ。私達が生きられる世界を探しに」

「わあ。新世界のアダムとイヴになる訳だ」

 男の腕の中で女が顔を赤らめた。

「どうかな。家族は大事にするつもりだけど、繁栄するつもりはないからね。辿り着いた世界には原住民がいるかもしれないし」

「そっかー。まあ、なんにせよ。私は君達の幸せを心から願うよ」

「ありがとう。深淵を愛する者。僕らは君が安らかに眠れることを願う。さようなら」

「さよなら」

 白い光が遠ざかって、消えるまで見送って、

「世界が終わってから、新たな門出を見送ることができるとは思わなかったなあ。君らの築く新たな世界に、私みたいのが生まれないことを祈るよ」

 少しだけ、ほんの少しだけ明るい気持ちで、私はゆっくりと目蓋を閉じた。

                                  了

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