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 京都の冬は寒い。

 伊東の遺体を取りに御陵衛士の面々は必ずや訪れると皆が予想していた。それぐらい、伊東を慕う人間は多かったと、新選組に在籍していた彼を見て、皆が同じように思っていた。だが、残された御陵衛士は姿を現さなかった。こんなにも見えすいた奇襲を恐れ、迷っているのだろうか。だが、伊東をこのままこの場所に放置するとは考えたられなかった。命を掛けた暗殺を終わり、新選組の部隊は高揚し体が蒸し暑かった。だが、しだただ待機していると体が冷えて、次第にガタガタと震え始める男も増えてきた。


「しかし、さっむいな………」

「ああ。今日は一段と冷え込む。汗も凍るんじゃないか」

「ただ待っているだけでは、いざという時に体が動かん。少し素振りでもしておくか」

「待て、そんな事をしたら敵に気づかれるだろう。静かにしておけ」



 小声ながらも文句を言い合ったり、その場で小さく跳ねたり足踏みしたりして体を動かしている隊員を横目に、金秋は横目である隊員二人を見つめていた。その先には各隊をまとめる隊長たちがいる。永倉と原田だ。路地の壁に背中をつき腕を組んで、ただただ待っているのは長身の男、原田だ。そして、先程から、油小路を覗いたり、通路をうろうろと歩き落ち着きのない様子を見せているのは永倉だった。どうやら、あの二人もこれから暗殺する御陵衛士について不安ごとがあるのだろう。

 この二人は試衛館の頃からの仲間である。そして、御陵衛士の中にもその頃からの仲である男が一人いるのだ。藤堂という男である。藤堂は、この場に来るのだろうか。金秋にとっても、それの男と刀を交えるのは避けたかった。藤堂は何度も話した事もあり、共に稽古をし汗を流した男である。歳下であるが、しっかりと自分も世の先も見据えて行動が出来る、思慮深い男であった。それでいて、人懐っこい部分もあるので隊員から信頼も厚かった。だからこそ、彼が御陵衛士を選び、新選組から去っていくと知った時は驚いたものであった。いつかは対立する日が来るだろうとは思っていたが、こんなにも早く来てしまうとは思いもしなかった。

 だが、御陵衛士全員が来るわけではないであろう。そう考えるようにして、待っていた。闇夜を走って来る敵に彼の姿がない事を祈りながら。

 だが、現実とは虚しいものであった。


 それからしばらくすると、闇夜の静けさの中に無数の足音が聞こえたきた。御陵衛士達が伊東の遺体を回収しにきた。

 そこには、金秋が恐れていた服部、そして来て欲しくはなかったかつての仲間である藤堂の姿があった。それを見た瞬間に、小さく息を吐いたのは三人の内誰だったのか。それとも、全員だったのか。夢でもわからぬほど、落胆してしまっていた。この時に、すぐに動いたのは永倉であった。その意図を金秋は当時も今もすぐに理解出来た。永倉は、藤堂を逃がそうとしたのだ。


 この油小路事件は現代でも有名なものである。結果がどうであったか、金秋も現代人も知っている。

 8人中3人が暗殺された。その中に、藤堂の名前もある。

 永倉は逃がそうとしたが、事情を知らなかった隊士が逃げる藤堂の背中に刀を振り下ろした。その時の永倉と原田の悲痛な表情は今でも忘れられない。だからこそ、夢でも鮮明にそれが見られてしまうのだろう。そして、きっと己も同じ表情なのだろう。

 そして、危険人物として注視していた服部は、一人鎖帷子を着こんで暗殺を予期していたのだろうか。それとも、一人で最後まで戦うと決意してこの油小路をおとずれたのか。きっと、どちらもなのだろう。服部という男は、複数の新選組隊士と一人で最後まで戦い抜いた。敵ながら、まさに武士らしい死に方だと金秋は思っている。斬られ

刺され、壮絶な最後であるが、死ねずに生き続けている自分より、誠に武士である。そう思ってしまうのである。



 当時の金秋、いや鍬次郎は任務の遂行が第一優先であり、それをこなせば沖田に勝てると信じていた。

だが、それにも暗雲がたちはじめてるの、鍬次郎は忙しさを理由にして気づかないふりをしていた。




 その後も、世の中は大きく動いた。

 王政復古の大号令が発せられたのだ。そのため、今日の旧幕府軍は撤退を命じられたのだ。新選組はそれに伴い、二条城の警護を命じられた。

 そんな最中に新選組に大きな衝撃を与える出来事が起きる。


「局長が撃たれた!?」


 それは、局長である近藤が待ち伏せに合い銃で撃たれたのだ。

 運ばれた時にも意識があり、「わしは大丈夫だ」と気丈に振る舞っていたが、その顔は白く唇も青くなっていた。いつもの豪快な笑いを見せることもなく、弱々しく、そしてぎこちなく微笑みを浮かべるのが精一杯という状態のようだった。居合わせた隊士に抱えられて陣内に戻っていく近藤の背中を皆が不安そうに見つめていた。

 そして一様に「誰に撃たれたんだ」「薩摩の奴に決まっている」「御陵衛士の生き残りという可能性もあるだろう」「刀で奇襲ではなく銃など、卑怯な奴よ」「今の世は、やはり銃なのだろうか」「あの近藤局長が撃たれるなんて」と、不安の声が上がっていた。

 金秋も同じような思いを感じながら、フッと視線を集団の端へと向かわせた。

 すると、木陰に隠れながら身を震わせて刀を持って去っていこうとする、身の細い男に視線がいった。それを見た瞬間に金秋の足は動いていた。他の隊員に見つからないように気配を消して、その男の後を追った。

 その男の足取りは子どもや老人のように遅い。金秋は誰もいない場所へ到着したのを確認し、その男の名前を小さく呼んだ。


「沖田さん」

「………」

「沖田さん、どこにいくですか?勝手に軍を抜けると怒られますよ」

「うるさい。放っておいてくれないかな」

「そんな、よろよろした足取りで、何をしようと思ってます?」

「くわちゃんには関係ないでしょ」


愛刀の大和守安定をもっているのは、自分の部隊の隊長沖田。

 金秋が愛用している刀と同じ名前の刀だ。それを大切に両手に抱えながら、よろよろと歩き陣営を抜けだろうとしていたのは第一部隊隊長である沖田だ。沖田は少し前から病状が悪化してしまい、自分で立って歩くのも困難になってきていた。そんな男が、無理をしてでも歩き戦おうとしている理由。それは一つしかないと、金秋はすぐにわかった。

 だが、それを止めるんが辛く、言葉だけ掛けるだけになってしまう。どうして、この天才と呼ばれた男がこんなにも早く病魔に侵されなければいけないのだろうか。この男こそ、この世に必要な武士ではないか。そう思えば思うほどに、悔しさで金秋の表情が歪む。


「今向かっても、襲撃した奴らは見つかりませんよ」

「うるさいな!そんな事はわかってるんだよ。だから、怪しい奴らを全員斬ってやればいいんだ。薩長や御陵衛士、全員この俺が斬ってやるっ!」


 大声で怒鳴ったのが悪かったのだろう。そこまで言うと、沖田はまた咳が止まらなく、苦しそうな乾いた咳を繰り返す。咳をしすぎたのか、もう肺が悲鳴を上げているのか、沖田の口の周りには吐血の跡がびっしりとついていた。それを目の当たりにした金秋は、目をしかめた。こんなにも弱った沖田はもう見たくはない。誰か、助けてくれ。そう叫びたかった。


「近藤さんを撃つなんて……。しかも、襲撃だ。なんて卑怯なまねをする奴だ!俺は許さない。絶対に、斬ってやるんだ!」

「………」

「だから、………動いてくれよ、俺の体……。今、動かないでどうするんだよ。どうして、こんな時に俺の体は動かないんだ。どうして、こんなに役立たずなんだ。これじゃあ、俺が強くなった意味なんて、あるのか。くそ、くそっ」


 きっと、自由に体が動ける沖田であれば本当に御陵衛士や敵軍に単身で乗り込み、敵を斬りまくっていただろう。この男ならば、銃撃のも負けずに勝てるのではないか。そう信じられるほどに、強い武士なのだ。きっと、沖田自身もそれを理解しているのだ。だからこそ、それが出来なくなった現実が辛く苛立ちを覚えるのだろう。悔しく、苦しい病気になるなど、本人が思っても見なかった事なのだ。そして、その病魔に負けてしまっているのだ。


 その時に、沖田は初めて金秋の前で泣いた。

 自分の不甲斐なさからくる怒りで、涙を流したのだ。咳き込みながら震える体は。それは、咳の苦しさからくるものではない。もっともっと苦しいものがあるのを、金秋は痛いほどわかった。


 自分だけが置いていかれてしまう。刀も握れずに役にも立てない。みなには心配されるだけの存在。それが哀れで仕方がないのだ。

 自分がこうやって生きている意味がわからず、苦しく悔しく情けなくて仕方がない。


 そんな自分を、沖田は今まで必死に隠してきたのだ。


「……沖田さん、戻りましょう。俺が、代わりに斬ってきます」

「………くわちゃんが?くわちゃん一人では無理だよ。君、弱いんだから」

「俺が今なんて呼ばれてるかわかってるんですか?人斬り鍬次郎ですよ。それに沖田さんが見てないうちに成長したんですから」

「そうなの?信用出来ないな」

「じゃあ、何人斬ったか教えますよ、確か……」

「これ、貸してあげる」


 話を最後まで聞かず、沖田さんはそう言うと、大切に抱きかかえていた刀、大和守安定を差し出してきたのだ。

 武士の命ともいえる刀を他人に渡す。その行為は、武士としての「死」を意味しているのだ。それを瞬時に理解した金秋は、悲しげに目を細めた。沖田の覚悟に何も言えなくなったのだ。

 だが、反対に落ち着きを取り戻した沖田は小さく微笑んでいた。


「あげるんじゃないよ。俺の刀で斬ってきて欲しいんだ。近藤さんの仇をとってきて。この刀に俺の気持ちがこもってるから」

「わかりました……」

「じゃあ、俺がくわちゃんの刀預かっててあげるよ。早く帰ってこないと、売っちゃうからね」

「それはやめてくださいよ。俺の分身のような存在ですよ」

「じゃあ、さっさと斬って帰ってきてよ」

「わかりました」


 そういうと、二人は自分の刀を手に取った。

鍬次郎の鍔に沖田が自分の鍔を近づけてくる。それが意味することを察した鍬次郎は、刀を持って沖田の鍔と自分の鍔を打ち合わせた。

 武士は決して違約しないという誓いのしるしの金打ちだ。


 その時の音と、沖田の幼い笑顔を金秋は今一度脳裏に焼き付けたのだった。




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