3章

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ーーー



 その日は、目覚めるとあの大きな毛玉が襲ってこなかった。

 毛玉というと、触り心地がよいものを想像するのが普通だろうがその毛玉は少し違っていた。

 少し硬い毛で覆われておる、野生で戦い抜いてきた強き毛玉であった。

 金秋は少し硬いぐらいが撫でやすいと思っており、その毛玉の頭を撫でてやるのが嫌いではなかった。


 その毛玉が、家からいなくなっていた。

 仙台から帰ってきた次の日の事だった。

 そして、その毛玉は日が暮れる頃に帰ってきた。急いで帰ってきたのか、舌をべろりと出して荒い呼吸を繰り返している。舌を出しているでイヌ科の動物は笑っているように見えてしまう。が、毛玉がいつもと様子が違うと金秋はすぐに察知した。むしろ、悲しげな表情に見えたのだ



「迅。どこに行っていたのだ。おまえが勝手にいなくなるなんて初めてではないか」

「ワン」

「………何あったか?」



 金秋もオオカミである迅の言葉はわからない。だが、気持ちは何となくだがわかる。

 長い年月を共に過ごしてきたのだ。種族は違えど、お互いに何を思っているのか、何をするのかは察する事が出来るのだ。



「ついてこい、というのだな」



 金秋が立ち上がるのを見て、尾を数回揺らした迅は誘導するように玄関へと向かう。

 どうやら迅が向かおうとしているのは遠い場所らしい。

 懐からスマホを取り出して通知を確認する。が、今は何もない。初期設定の画面と時間だけが表示される。

 一瞬あの男を呼び出そうと思ったがその考えを止める。

 あんな男が来たところで役には立たない。この時代に生きる弱腰なくせに理想ばかり押し付けてくる男なのだから。あいつを呼ぶぐらいならば、金に目敏いが力はある斎雲でも呼んだ方がまだましであった。



「ワンワンッ!」



 玄関先で迅が急かすように声を上げた。

 つい考え事をしてしまい、足が止まっていたようだ。

 「悪い」と彼に謝罪をし、急ぎ足で迅の後を追った。


 自分は何があっても生きる。

「俺は斬られたくない。死にたくないです」

 あの男の声が頭の中に響く。それを振り払うように、金秋は走り迅が導く場所へと向かった。







ーーー







 泥のように眠っていた。

 非現実的な仙台旅行から帰ってきた相模は、ベットに深く沈み、起きる事なく熟睡をしていた。目覚めた時には窓からまだ光りが差し込んでおり「まだ昼なのか?」とスマホで時間を確認する。と、昼は昼でも1日後だった。丸々24時間寝ていたようだ。こんなに寝たのは、死の合宿と呼ばれた部活の強化合宿から帰ってきた後ぐらいで、高校ぶりの事だ。

 寝すぎて頭がクラクラする。呆然としながらシャワーを浴びて、水を飲みながら窓を開ける。すると、生ぬるい夏の風が相模の全身を通り過ぎた。シャワーを浴びたのに、またすぐに汗をかいてしまいそうだったので、すぐにひんやりとする部屋に戻すためにベランダの窓を閉めた。


 荒れているテーブルの上には通販で頼んだお茶漬けの素が置いてある。

 それを見て、「あー、腹減ったな」と自分の体が求めているものにやっと気づき、急いでお茶漬けをつくる。

 クーラーという人工の風を浴び、鼻をすすりながら熱いお茶漬けを胃に流し込む。無心になって食べるぐらいに、腹が減っていたようで、炊いた2合の白米はあっという間になくなった。


 一息ついてから相模は思う。


「………やっぱり金秋さんが作るお茶漬けには敵わないな」


 魚の出汁と脂が混ざった汁と、ふんわりとしたコメの香りと感触が今でも忘れられない。

 最後の晩餐に何を食べたいかと言われたら、迷わず「金秋がつくった鮭茶漬け」と宣言するだろう。

 けれど、きっとそれは叶うはずもない。もう金秋と会う事はないのだから。



 あれから1日ほどしか経っていないが、金秋との旅は相模にとって生きてきたどんな出来事よりも濃い数日だった。まず、死んだ存在と関わったことが初めてであるし、刀で斬られ、大声で怒鳴った事も初めてだったかもしれない。人間にはもしかしたらあったかもしれないが、幽霊には確実に初めてであろう。



 そして、金秋という男は苛立った表情がほとんどだったが、相模が思い出すのは風鈴を見つめていたあの切なげな横顔なのだ。あの時に彼はどんな事を考えていたのだろうか。あれほどの問題児である男に、あんな表情にさせるものとは何なのだろうか。彼にとって風鈴というものは、どんなものなのだろうか。


 そして、河童の依頼が彼の本来の目的ではないというのも気になる所だった。

 斎雲が話していた事から、金秋の目的は武士だったように思えた。


 同じ武士である幽霊を探している理由は何なんだろうか。そして、斬るのが仕事だと言っていたが、それは何故なのか。


 まだまだ相模には謎めいた存在であった。



 けれど、本当にもう彼には会う事はないだろうう。先程、ネットで確認してみたが、斎雲から大金が振り込まれていた。新幹線の中で銀行の口座番号を教えろと言われた時は詐欺ではないかと疑ったが、すぐに「詐欺ではありませんよ。いらないんですか、報酬」と、笑顔のまま脅されたので、教えてしまったが本当にお金を振り込んでくれたらしい。

 これで、仕事は終わった。

 金秋から連絡がきても、迅がやってきても無視すると決めたのだ。

 幽霊の世界にいてしまうと自分もそうなってしまうと思ったし、何より簡単に人も幽霊も斬ろうとしてしまう危険行動を繰り返す人間と行動などしたくはなかった。

 お茶漬けの件は残念だが、自分で試行錯誤をしてあの味を再現すればいだけなのだ。

 それに透明人間のことはきっと斎雲が知っているだろう。大金を積めば直す方法を教えてくれるはずだ。今から節約生活をして、仕事をしまくって、お金を貯めれば透明人間という孤独で生きにくい術を解いてくれるはずだ。


 だから、大丈夫だ。


 満腹になった相模はようやく動く気力を取り戻したのでPCの電源を入れた。

 何件か仕事の依頼が入っていたので、すぐに取り掛かった。

 自分の力で、透明人間を解決しようと相模は目先の仕事から取り掛かった。



















「こんなまずい飯を食っておるのか、茶を薄めた味しかしないぞ」

「………だから、何でいるんですか」


 勝手に家に入るのはこの人やオオカミの特技なのだろうか。

 仕事終わりに仮眠をしているとカチャカチャと食器がぶつかる音がした。また、迅が勝手に部屋に入ってきたのかと、相模は飛び起きた。が、そこで目にしたものは予想とは違う人物の姿だった。

 今度は飼い主自ら出向いてくれたらしい。全くもって嬉しくはないが。

 日本オオカミの飼い主である金秋は勝手に余っていた飯で台所にあったお茶漬けの素をかけて食べてしまっていたようだ。スーパーで売っているものよりも高価なものだったのだが、金秋の口には合わなかったらしい。

 いつも具や出汁にも凝っているだろう金秋の茶漬けには敵うはずもないと相模にもわかってはいるが、勝手に他人のうちの食事を食べて文句を言われると、ムッとしてしまう。



「ついてこい」

「……だから何で俺が行かなきゃいけないんですか?もう金秋さんの仕事は請け負わないって決めたんです。だから、帰ってください」

「………なんだと」

「当たり前だじゃないですか。あんな幽霊や妖怪が依頼先に沢山いるなんて、自分もそうなっちゃいそうで怖いんですよ。それに、依頼料が高すぎて、そのうち逮捕されそうじゃないですか」

「何を言っている。俺の仕事は国家公認であるぞ」

「…………え?」



 まさかの金秋の答えに相模は絶句してしまう。

 幽霊や妖怪を斬るのが、国から認められた仕事だというのか。そんな事があっていいものだろうか。日本という国は知らないところで幽霊に対しての仕事をしていたのかと思うと驚いてしまう。だが、実際現実世界ではありえない現象というものはあるし、幽霊や妖怪はいるのだ。それに対応していく事も国の仕事のひとつだと言われてしまうと、妙に納得してしまう。


 そこまで考えてから相模はハッとした。

 国の仕事だろうと、何だろうと金秋と仕事をするのは止めようと決めたのだ。国公認の仕事に関わってしまえば、後戻りできなくなってしまうだろうと思った。それと同時に同じように透明人間になってしまった他の人から情報など得られなだろうか、という淡い期待を持ってしまうのも事実である。

 けれど、金秋という男からは離れた方がいい。幽霊斬りを易々と請け負う人間なのだから。きっと、自分とは合わないはずだ。

 そこまで決めて、キッと目の前の武士に自分では1番の睨みをきかせながら見つめる。



「国の仕事でも透明人間が今は解決しなくても、俺はいきません」



 そう言い切ると、金秋の表情に暗い影が出来た。 怒っているように思ったが、そうではないとすぐにわかった。いつもはキリッとしている形のいい眉が少し下がったように感じられたからだ。


 だが、次に唇から出た言葉はいつもと同じように強いものだった。

 そのアンバランスな雰囲気が、相模の気持ちを動揺させた。この武士の本当の気持ちが、表れたように感じたからだ。



「次の依頼主が迅だ、と聞いてもおまえは断るのか」



 やはり、この男は卑怯者だ。

 迅が依頼してきたというのは、どういう事なのか。彼が何で悩んでいるのか。気になる所でもあるし、相模自身、迅はすでに仲のよい存在だと思っていた。透明人間になって初めて懐いてくれた存在であるし、相模に対して優しくしてくれるのが伝わってくるからだ。

 だからこそ、金秋のその言葉に対する返事は決まっていた。

 叫んでやりやくなるが、この依頼は断れないため、相模は静かに「行きます」とだけ答えた。


 報酬はいらないが、絶対に茶漬けだけは作ってもらおうと強く思った。




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