第伍章 引き金、弦の章

第六十一節 戦いの黒幕、登場

1573年4月2日。

千年の都が、この世を焼き尽くすような大火に見舞われる前日のこと。


上京かみぎょう[現在の京都市二条通より北側]に位置する由緒ゆいしょ正しき寺に……

5人の男たちが集まっていた。

上京を代表する商人であり、屋号を山城やましろ屋、大和やまと屋、丹波たんば屋、加賀かが屋、そして吉田よしだ屋と言う。


筆頭格らしき男が、口火を切った。

山城やましろ屋のようだ。

頭を剃り上げているため年齢がよく分からないが、見た感じは50代だろうか。


「本日。

織田信長の軍勢が京の都の洛外らくがい[京都の郊外]である嵯峨さが周辺[現在の京都市右京区]を焼き討ちにしたとの話……

各々おのおの、お聞き及びのことと存ずるが」


真っ先に反応したのが、大和やまと屋である。

年齢は40代半ばだろうか。


山城やましろ屋殿。

何を慌てているかと思いきや、その話でござるか。

嵯峨さがだけ『限定』して焼き討ちにするとは……


「慌てる必要はないと?

大和やまと屋殿」


「いかにも。

去る、3月29日。

信長が東の高台にある知恩院ちおんいん[現在の京都市東山区林下町]に着陣した際……

我ら上京かみぎょうの商人は、銀1,500枚を差し出したではござらぬか。

銭[お金]を受け取った上で焼き討ちになどできるはずがない」


「それは、そうだが」

「しかも。

この数日間、信長の軍勢は醜態しゅうたいさらし続けた。

わしは足利義昭あしかがよしあきの側近を買収し、信長の家臣にして京都所司代きょうとしょしだいでもある村井貞勝むらいさだかつの屋敷を襲わせたところ……

ほうほうの体で逃げ出したと聞く」


「それはまことか?

貞勝さだかつの屋敷は、知恩院ちおんいんから目と鼻の先であろう?

家臣を助けるために信長の軍勢が動くはずでは?」


「信長は、武田勝頼たけだかつより朝倉義景あさくらよしかげに無防備な背後を襲われるのが心配でたまらないのじゃ。

よほど追い詰められているのか……

幕府との和平を何度も懇願しているらしい」


「和平を懇願している状況で、軍勢を動かすことなどできないと?」

「そういうことでござる。

嵯峨さがを焼き討ちにされた程度で慌てる必要はない。

むしろ最後のあがきよ。

ははは!」


 ◇


沈黙していた丹波たんば屋と加賀かが屋、そして吉田よしだ屋のうち……

丹波屋が全く『逆』の話を始めた。


「果たして。

我らはまことに慌てる必要はないのでしょうか?」


「ん?

どういう意味じゃ?」

山城やましろ屋である。


「よもや。

お忘れとは……

我らが、織田信長からとてつもない『恨み』を買っていることを」


「恨みとは?」

「武田信玄を信長の敵とするために、『一人の女子おなご』を抹殺したではござらぬか」


「一人の女子?

それは……

信玄の後継者である勝頼かつよりに嫁いだ、信長のめい?」


「その女子おなごのことです」

「ま、待たれよ。

丹波たんば屋殿。

姪の一人を抹殺した『程度』で、信長からとてつもない恨みを買ったと申されるのか?」


山城やましろ屋殿は、ご存知ありませんでしたか。

その女子おなごこそ……


「何と!?

それはまことか?

大名ほどの地位にありながら、おのれの子供でもない娘の『面倒』を見るなど聞いたことがない」


「面倒を見てでも、そばに置きたいと思った娘だったからでは?」

「……」


「これはあくまで噂に過ぎませんが……

織田家中かちゅうにおいて、信長を理解できる者は非常に限られているとか。

要するに。

信長は常に『孤独』を抱えていたのでしょう。

?」


おのれのすべてを理解してくれる娘?

一族の中に、もしそんな娘がいるとしたら……

手元に置いて育てたいと思うかもしれん。

ん!?

待てよ。

今、思い出したのだが……

その女子おなごを抹殺するよう強く主張したのは、丹波たんば屋殿。

おぬしではなかったか?」


「いかにも」

丹波たんば屋殿!

おぬしは……

その女子おなごが実の子供以上の愛情を注がれた愛娘だと『知った』上で、我らをそそのかしたのか?」


「……」

「何か申されよ、丹波たんば屋殿!」


自分に対してとてつもない恨みを抱いている男が、数万人もの大軍を率いて東の高台にある知恩院ちおんいんに布陣し、まるで罠を張って待ち構える蜘蛛のように『何か』を待っている現実に……

山城やましろ屋の恐怖が頂点に達したのかもしれない。

楽観していた大和やまと屋の顔も、みるみる蒼白そうはくになっていく。


対照的に。

丹波たんば屋と加賀かが屋、そして吉田よしだ屋の顔色には特に変化がないようだ。


 ◇


一呼吸を置いて、丹波たんば屋が語り始める。


山城やましろ屋殿の話はまるで……

我ら上京かみぎょうの商人が信長の『不倶戴天ふぐたいてんの敵[滅ぼすか滅ぼされるまで戦う相手という意味]』となるよう、それがしが裏であやつっていたかのようにおっしゃっているようですが」


「そうであろう!」

「思い出して頂きたい。

我らは元々、永楽銭えいらくせんという銭[お金]を軍旗ぐんきに掲げた織田信長のことを『不快』に感じていたはず」


「それは……

永楽銭えいらくせんの軍旗を掲げた狙いが気に入らなかったからじゃ。

『わしは決していくさを止めない。

わしに味方すれば、銭[お金]が儲かり放題だぞ』

こう訴えて人々をあざむこうとしていたことがな」


「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』

これこそが信長のこころざしでありました。

決していくさを止めないなど、真っ赤な嘘!

!」


「それは、そうだが……」

山城やましろ屋殿。

以前、こう申されていたのをお忘れですか?

『やがて。

圧倒的な武力を我が物とした信長は必ず、天下てんか惣無事そうぶじ命令を出すだろう。

これは日ノ本ひのもとで行われているすべてのいくさを直ちに中止せよとの命令よ。

従わない者たちに加えて……

武器弾薬で銭[お金]を儲けようと、各地で争いや分断を引き起こしている者たちもことごと根絶ねだやしにしようとするはず。

我らと信長は決して相容あいいれない[互いの主張や立場が相反していて両立しないこと]関係なのじゃ』

と」


「覚えてはいるが……」

「まだありますぞ!

信長は、あろうことか……

我ら京の都の『商売敵しょうばいがたき』であるさかい[現在の大阪府堺市]の商人どもと手を組みました」


「……」

「こうして信長はさかいの商人どもに様々な特権を与え、我ら京の都の商人を『敵に回した』のです」


「……」

山城やましろ屋殿!

信長のこんな振る舞いを見過ごしたらどうなりますか?

!」


「それは、そうかもしれないが……」

「愚かな選択をする者には痛手を与えねばなりますまい。

他の者たちへの『見せしめ』のためにも」


「……」

「我らはまず朝倉義景あさくらよしかげに加えて、信長の妹の夫であった浅井長政あざいながまさを信長の敵とすることに成功しました。

次いで比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの僧兵に信長の背後を襲わせ、信長お気に入りの家臣であった森可成もりよしなりを葬り去りました。

しかし!

朝倉あさくらも、浅井あざいも、比叡山ひえいざんも、所詮は小物に過ぎない。

もっと『大きな』勢力を信長の敵にする必要があったのです」


西

丹波たんば屋殿」


「その通りです。

山城やましろ屋殿。

それがしは、まず東の武田家を信長の敵とする策略を立てました。

策略の最後の3つ目が……

信玄の後継者である勝頼かつよりに嫁いだ、信長の愛娘を抹殺すること」


丹波たんば屋殿。

わしは……

その女子おなごが、信長の愛娘だとは知らなかったのじゃ。

知っていれば反対したものを」


「甘い!

甘いですぞ、山城やましろ屋殿!

信長とは相容あいいれない関係であるとおおせになったではありませんか!」


「……」

「相容れない相手とは最後まで『徹底的』に戦うしかない!


「何っ!?

明日この上京かみぎょうすべてが焼き討ちにされ、前代未聞ぜんだいみもんの虐殺と略奪が行われるだと?」


「恐らく信長は……

おのれの復讐を果たすために、我らをことごと根絶ねだやしにしようするはず」


「まさか!

それがまことならば、今宵こよいのうちに京の都から逃げ出さねば!」


「違いますかな?

吉田屋殿」


「ん!?

吉田屋殿、とは?」


山城やましろ屋、大和やまと屋、加賀かが屋の3人の視線が吉田よしだ屋へと集まったが……

肝心の吉田屋は沈黙したままだ。


続けて丹波たんば屋が口を開く。

吉田よしだ屋殿。

我ら上京かみぎょうの商人たちの意思決定は、上京を代表する5人の商人の多数決で決める習わしであった。

『京の都の商人たちは信長を敵と見なす』

こう多数決で決めた以上……

おぬしには従う義務がある。

ところが!

おぬしは下京しもぎょう[現在の京都市二条通より南側]の茶屋ちゃやと組んで、信長に内通していた。

違うか?」


吉田よしだ屋殿!

丹波たんば屋殿の申す通り……

我らを裏切って信長に『内通』していたのか?」



【次節予告 第六十二節 戦いの黒幕の正体・前】

織田信長への内通を疑われた吉田屋は、ここでようやく沈黙を破って語り始めます。

「いつから京の都の商人は……

平和な世を達成しようとする者を敵と見なすようになったのですか?」

と。

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