大罪人の娘・前編 最終章 乱世の弦(いと)、宿命の長篠設楽原決戦

いずもカリーシ

幕間 参

これまでの大罪人の娘 第壱章 前夜、凛の章

『宿命』

これは、自分の力では絶対に変えられない未来のことを言う。


 ◇


明智光秀あけちみつひで愛娘まなむすめであるりんは、わずか15歳で『政略結婚の道具』となった。

摂津国せっつくに有岡城ありおかじょう[現在の兵庫県伊丹市]という住んだこともないばかりか、行ったこともない場所へ行って、会ったこともない男性と結婚するよう命じられたからだ。


「明智光秀の長女、凛。

摂津国せっつのくにへ行き、荒木村重あらきむらしげの長男・村次むらつぐに嫁ぐように」

と。


「荒木家は摂津国を治める『大名』のはず。

家臣の娘に過ぎないわたしが、どうして大名の長男に?」


凛が最初に抱いた疑問であった。


 ◇


「わたくしは織田家の娘ではありません。

大名の長男といえば……

いずれは後継者となる御方でしょう?

家臣の娘が『釣り合う』相手なのですか?」


凛の言っていることは何も間違っていない。

後継者になれない次男や三男ならまだしも……


家臣の娘である凛よりも、信長の一族の娘の方がはるかに価値が高い。

嫁をもらう立場になって考えれば一目瞭然いちもくりょうぜんだろう。

さすがの光秀もこれには反論できない。


信長の一族の娘をもらえば、織田一族の仲間入りができる。

信長から切り捨てられる心配も、粛清しゅくせいの対象となる可能性も低くなる。

将来への安心感はとてつもなく大きい。


では……

なぜ家臣の娘なのか?


なぜ、『明智光秀の愛娘』でなければならないのだろうか?


 ◇


「凛。

荒木村重を摂津国の大名に任命したのは信長様だが……


「父上が仕向けた?

どうして、そのようなことを?」


「『策略』の一環いっかんとして」

「策略?

どんな策略なのです?」


「今は教えられん。

教えれば、策略ではなくなってしまう」


「そんな……

策略だから、黙って摂津国へ行けとおっしゃるのですか?

わたくしは父上の娘でしょう?」


「……」

「理由も教えずに娘を追い出すのですか?

それに……

父上は、わたくしの気持ちをご存知のはず。

あんまりではありませんか!」


娘の目から大粒の涙が流れ始めた。

それを見た父の苦悶くもんの表情が、さらに歪む。


「凛よ。

これは……

今は亡き煕子ひろこに『誓った』ことなのだ」


「母上に?」

「そなたの母の美しさに一目惚ひとめぼれしたわしは……

同時に、そなたの母が並外なみはずれた純粋さを持つ人であることも知った。

わしの考えをすべて理解し、支えてくれる相手はそなたの母しかいないと確信して、一か八かの賭けに出た」


「父上の考えとは何です?」

「そなたは、長く続く『戦国乱世』で大勢の人が苦しんでいることを知っているはず」


「知ってはおりますが」

「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』

これこそがわしの願い、わしの使命だ。

この使命を最後までまっとうして見せると……」


「母上に誓ったのですか?」

「うむ。

わしは……

どんな『手段』を用いてでも誓いを守りたい。


 ◇


一方の凛は、父の話を理解できない。


「摂津国とは……

そこまで重要な国なのですか?」


「そうだ。


信長が使っている印鑑・『天下布武てんかふぶ』。

これは強大な武力を持ち、その武力を用いて平和を達成するとの決意を表明したものであるが……

凛にとっては到底、納得できる話ではない。


「父上。

そんな都合の良い話を誰が信じるのです?

武力を持つ者は必ず、おのれの武力に頼ってきました。

こうして意味のないいくさが何度も繰り返されてきたのです。

人がつむいだ『歴史』は、武力を持つ愚かさをずっと証明してきたではありませんか!」


「まずは目の前の『現実』を見よ。

凛。

そなたのような若い娘が城を出て、安心して城下の町を歩けるのはなぜだ?」


「この地が平和だからです」

「なぜ、この地が平和なのか?

申してみよ」


「そ、それは……」

「それは?」


「信長様の武力を恐れて、誰もこの地を『侵略』しないからです」

「うむ。

それはつまり……

?」


「……」

「違うのか?」


「その通りです」

「ならば。

いくさをしている者に対して、

いくさを止めよ』

侵略をしている者に対して、

『侵略を止めよ』

こう命令するには……

圧倒的な武力を見せ付けて相手を恐怖のどん底におとしいれ、戦う意思を完全にぐ必要があるではないか」


「でも……

なぜ、わたくしなのです?

わたくしが行っても荒木家の誰も喜びません。

信長様の一族の姫君が行かれた方がずっと良いはずです。

父上、お願いです。

信長様に取りなしてくださいませ」


「凛よ。

荒木村重を摂津国の大名にしたのは、わしの大いなる策略の一環だと申したはず。

これはもう……

変えることなどできない『宿命』なのだ」


 ◇


さて。


摂津国せっつのくにを手に入れる『策略』の第一弾として……

光秀は、荒木村重あらきむらしげを国の大名に据えることに成功してはいた。

ただし!

肝心の村重が、とてつもなく大きな問題に直面してしまう。


石山いしやま[現在の大阪市中央区]という場所に、本願寺ほんがんじ教団という恐ろしく強大な勢力が存在していたためである。


 ◇


荒木村重あらきむらしげには、本願寺教団と関わりを持つ池田勝正いけだかつまさ伊丹親興いたみちかおき茨木重朝いばらきしげともら、スペインとポルトガルから伝来したカトリック教団と関わりを持つ和田惟政わだこれまさなどの競争相手がいた。


「このままでは……

摂津国せっつのくにが、教団の思うがままになってしまう。

手段を選んでいる場合ではない!」


こうして。

4人の抹殺を決意した光秀は、『印象操作』という手法へと辿たどり着く。


要するに。

4人の重箱の隅をつついた[些細ささいに部分にわざわざ注目して難癖なんくせをつけること]噂をバラくことで……

4


噂[デマ]を何でもに受けてしまう人は大勢いる。

4人を支持する人が減った一方で、村重を支持する人は増えた。


村重が一方的に4人を打ち破った……

白井河原しらいかわらの戦いは、光秀が後ろで糸を引いていたのだ!


 ◇


たぐいまれな智謀を持つ阿国おくには、光秀の策略がもたらした『副作用』の部分を正確にとらえていた。


「これでは……

村重様が、ご自身の『実力』で大名の地位を得ていないことになってしまいますが」


こう続く。

「いや。

むしろ……

村重様に、摂津国せっつのくにを統一する実力など全く『ない』のでしょう?」


「……」

「国を統一するどころか、足元を治めることすら難渋なんじゅうしているのでは?」


「阿国よ。

そなたのたぐいまれな智謀には、ときどき恐ろしさすら感じる……

先の先まで読む『眼力がんりき』が尋常ではない」


「……」

「話を戻そう。

村重は元々、数ある国衆くにしゅう[独立した領主のこと]の一つである池田いけだ一族の家臣に過ぎなかった。

それがあるじ牛耳ぎゅうじり、やがて主そのものも乗っ取った」


「『下剋上げこくじょう』で成り上がったと?」

「そうだ」


「光秀様。

?」


「……」

「誰一人としていないのでは?」


「阿国よ。

すべて、そなたの申す通り……

村重を国の支配者と認める国衆など誰一人としていない。

国を一つにするどころか、足元を治めることすら難渋なんじゅうしている」


「だからこそ迷われておいでなのでしょう?

そんな『危険』な場所へ、凛様を行かせて良いのかどうかを」


「……」


 ◇


迷う光秀の背中を、阿国が強く押し始めた。


「凛様は、わたしが命に代えてもお守りします。

それよりも……

このようにお考えになってはいかがですか?


阿国は何と、危険な場所へ行かせることを絶好の機会[チャンス]だと言い切ったのだ!

これには光秀も驚きを隠せない。


「阿国よ。

これが、才能を開花させる絶好の機会[チャンス]だと申すのか?」


「凛様は物事ものごとの『本質』を見抜く才能をお持ちです。

ただし、今はまだ才能を開花させていません。

この才能は……


『戦い』と『闘い』は違う。

戦いとは、勝ち負けを決めるために争うことを意味する。

だからこそ絶対に勝たねばならない。

勝つためなら、どんなに汚い手段を用いたって構わない。

正々堂々と正面から挑むなど、頭の中に一面のお花畑が咲いているおめでたい人間か、平和ボケしたズブの素人がやることだ。

むしろ。

誰かを利用し、あおり、そそのかし、だまし、あざむき、あやつって相手を罠にめることこそ肝心である。


一方。

闘いとは、どんな方法を使うかが肝心であって勝ち負けは二の次となる。

暗闘、苦闘、闘病など、困難な状況を乗り越える際に使う言葉であり、汚い手段を用いるかどうかで悩む必要はない。


到底、かなわないような『難敵』に対して挑むのだから。


 ◇


阿国おくによ。

なぜ闘うことで開花すると思うのだ?」


「凛様の『使命』は……

荒木家に限らず、摂津国せっつのくにの全ての人々を信長様に従わせることです」


「うむ」

「ただし。

その使命を果たすには極めて困難な状況でしょう?

大名である村重むらしげ様が……

摂津国を一つにするどころか、足元を治めることすら難渋なんじゅうしているからです」


「……」

「しかも。

荒木家にとって、凛様は『よそ者』に過ぎません」


「……」

「『この国をろくに知らない女子おなごが何を申すか』

などと厳しい言葉を浴びせられる可能性もあるでしょう」


「……」

「凛様は感情の起伏が激しい御方。

心無い言葉に深く傷付き、強い諦めの気持ちにさいなまれてもおかしくはありません」


「よそ者であるために『外』との闘いを強いられ……

おのれの弱さとの『内』なる闘いも強いられるのか」


「はい。

光秀様。

この状況を打破するには、おのれの感情や目先のことにとらわれず、己の『目的』が何かを決して見失わないことが肝心です。


「その通りだ。

誰かがく心無い言葉にいちいち腹を立て、そういう者を全て敵と見なしてしまうようでは……

使命を果たすどころか、争いの種をき散らすだけだからのう。

辛抱しんぼう』が試されるときぞ」


「辛抱強くあるためには……

こう考えることが大事だと思っています。

『どうして、そんな言葉を吐いてしまったのか?

相手が置かれている辛い環境が、そうさせているのか?

あるいは、単に知らないだけでは?

もっと分かりやすく説明してはどうだろう』

と」


「素晴らしい考え方ではないか!

阿国よ。

そうやって常に『相手の立場』になって考えていれば、結果として人々を一つにし、大きな成功を収めることができるはずだ」


「有難き幸せです。

光秀様」


「仮に『正しい』ことだとしても。

おのれの正しさだけを押し付ける、中身が子供のまま歳だけ取ったような愚か者は……


「『正しさにこだわってはならん』

光秀様は口癖くちぐせのように、何度もおっしゃっていました」


「ははは!

よく覚えているのう」


「正しさにこだわるよりも、相手の立場になって考え、他人から謙虚けんきょに学ぶことで……

人は『成長』するものでしょう?」


「その通りだ!

この非常に困難な状況は、凛を成長させる絶好の機会[チャンス]となるに違いない」


「はい。

必ずや」


「強引な手段を用いてしまったが……

阿国よ。

そなたを我が家に迎えられてまことに良かった」


「あ……

わたしも光秀様のおそばでお仕えできて……」


阿国は光秀を正視できなくなった。

何か秘めたる想いを抱えているのだろうか?


「そなたが頼りだ。

凛を、よろしく頼む」


 ◇


「わたくしは……

ずっと探していました。

『人は、特別な存在なのでは?

何らかの意図をって生み出され、果たすべき使命を与えられていると考える方が自然でしょう?

銭[お金]を増やすこと、楽しむこと、有名になること、このことばかりを追求する生き方が、人らしい生き方であるはずがない!

そうならば……

わたしは、どんな生き方をすればいいの?』

と。

この答えはまだ見付かりません。

でも。

その前に……

わたくしは、父上の娘でしょう?」


「凛……」

「宿命には逆らえないのでしょう?」


「……」

「行きます」


覚悟を見せた愛娘に対して、光秀は一つの質問をする。

「では問おう。

そなたが闘うべき『まことの敵』とは、誰なのか?」


凛は、もっと敵を知り……


「敵を知り、おのれを知れば百戦ひゃくせんあやうからず」

父は2つのことを愛娘に教え始めた。


まず1つ目は……

『戦いの黒幕』という敵のこと。


そして2つ目は……

黒幕を生み出した『歴史』について。

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