もう一つの死体

 白亜の館の中は恐慌状態にあった。昨晩の生首はもとより、今朝中央棟に現れた桐沢の首吊り死体、そしてオーナーの惨殺死体が見つかったのである。昨晩の桐沢の対応が嘘であったということを知って、正直な客の中にはトイレの中にこもったきり出てこない者もいた。

 一方警察はどうしたのかというと、やはりこの悪天候ではヘリの着陸が難しいということで、とりあえず遺体の保存方法を教えると、客には自室で待機するようにと指示を出してきたのみ。要するに当たり前だが捜査の進展はなかった。

 このような恐慌状態ではあったものの、この白亜の館でこれ以上の凶行が起こらないことも明らかになっていた。犯人の計画が完遂されたと思しき物品、桐沢の死体のそばには遺書があったのだ。浦添が気を利かせて紗綾たちにもこの遺書を見せてくれたのだが、紗綾には正直なんの参考にもならないと思えた。封筒はコンビニでも売っている茶封筒で、表書きもなく、中身の遺書は印刷。誰がどう見ても偽装できるシロモノである。

 それが一目で偽物とわかることが、また紗綾の心をかき乱すのであった。

 犯人は非常に緻密な計算のもとこの計画を実行している。最初の小坂の死体を夜に登場させることで警察がこの島に上陸するのを朝までさきのばしにした。そしてその夜間に二人を屠っている。また、小坂の死体を直接籠塚に見せたことにも大きな意義が感じられた。あれはやはり籠塚にとって真実の驚きであったのだ。彼はあれから支配人室に閉じこもったきり出てこなかった。支配人室には厳重に鍵がかかっていた。彼は何者かの襲撃を予期していたのだろう。しかし犯人はその警戒を潜り抜け、首尾よく彼を惨殺した。それも密室殺人という形で成し遂げたのである。これだけの計算と計画のできる犯人が、その最後を飾るべき小坂の遺書で失敗をするとは考えられなかった。

 つまりこの遺書は、高校生探偵を自称する紗綾への挑戦なのだ。

 当の紗綾は今中央棟ロビーに立っていた。ようやく気分が落ち着いて、このあわれな縊死体を見ているのだが、このぶら下がり方が彼女の興味を強くひいた。

 このフロントの天井は正方形のテラスまで吹き抜けになっており、テラスは塔の壁面から突き出た梁に支えられているのだが、首吊りのロープの一端はその梁の一つにくくりつけられていた。普通ならばロープのもう一端を輪にして首を吊るのが効率的なのだが、桐沢の場合、もう一端が別の梁を経由して小坂の首に巻き付けられているのである。少しわかりにくいだろうから、紗綾の書いたメモをそえておこうと思う。すなわち、動滑車のように死体がぶら下がっているのである。なるほど、確かにこうすれば自分の体重を半分程度の力で持ち上げることができる。足場がなくても首を吊ることはできそうだが……。はっきり言って非効率だ。スタッフ室から脚立を持ってきて蹴るほうがよっぽど楽である。と、するとこの奇妙な首吊りは真犯人の都合によるものではないか……。そのように考えてみると、紗綾にはひとり思い当たる人間がいた。

 しかし、その人間が犯人であったとしても籠塚の密室殺人の謎が解けない。

 籠塚の部屋は紗綾たちの泊まっている『午後』とほとんど間取りは変わらなかった。しかしさすがにオーナーの住まう部屋なだけあってセキュリティは厳重であった。浦添が開けようとした正面の扉は籠塚の持つ鍵か籠塚しか知らない暗証番号を入力しなければ開けることができない。だから正攻法でこちらから侵入するのは難しい。では彼女たちがこじ開けた寝室の方は……? こちらも容易ではない。寝室の窓は割った時に確認したが錠が降りていた。それに窓の外の格子を外さねば入ることはできない。大きな音を立てようものなら、襲撃者に怯える籠塚は目を覚ますだろう。いや、そもそも籠塚がこの時眠っていたかも定かではない。起きていたとしても不思議ではないのだ。舞はその疑問に、睡眠薬でも盛ったんじゃないと答えたが、これも現場の状況と合致してるとはなかなか言い難い。籠塚は電話に出ているところを襲われたように見える。ベッドから起き上がった痕跡があるから、籠塚は少なくとも死んだ瞬間は起きていたことになる。都合よく格子を外すときだけ寝ていてくれるだろうか? それに、もし寝ていたならなぜ電話を取ったかのような死に方をしているのか、説明がつかない。

 最初から犯人が籠塚と同じ部屋にいた場合はどうだろう。これは美輝の意見であったが、なるほど、仮にそうであれば解かねばならない問題は半減する。鍵を開ける問題が消えて、いかにして外から鍵をかけるか、これだけが問題として残るからだ。でも、その方法だって考えるのは容易ではない。

 いや、その時の紗綾には密室以前に現場の状況がひっかかっていた。どうして犯人は現場を徹底的に破壊したのだろうか? それも寝室だけではない。居間にあった食器からウイスキーの瓶まで破壊する必要などないではないか。それも全て、あの見立てPaint Planを完成させるためだというのか?

「紗綾、何かわかった?」

 後ろから声がしてハッと顔を上げると美輝と舞がジュースを持って立っていた。紗綾はそれを受け取ると一口飲んで息をついた。


 ぐぅ。


 紗綾のお腹が鳴った。あの後、朝食として簡単なおにぎりを浦添が作ってくれたのだが、紗綾には到底満足できる量ではなかった。

「ほい、これ」

 さすがの舞はそれを予想していたようで、どこからともなくクッキーの袋を差し出した。紗綾はそれを受け取っていくつか口にふくんだのだが、歯に砕ける音がうっとうしくてすぐに食べるのをやめてしまった。

「あぁ、こりゃ重症だね」

「アイスか何か、売っていればよかったのですが……」

「いいよいいよ、今度はスプーン持つのがおっくうになるから、いまの紗綾だとね」

 舞にしてみれば当然のことかもしれないが、あまり慣れていない美輝には紗綾が特異に映るのだろう。気にかけるように紗綾を見つめている。当の紗綾はというと目を瞑っているから、彼女の視線には気がついていないようだった。

「紗綾、もう一度籠塚さんの現場を見に行きますか? 浦添を呼びますよ」

 ウゥム。紗綾は唸った。確かにまだ何か見落としているのかもしれない。紗綾が静かにうなずくと美輝はくるりと踵を返し、内線をかけた。

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