この時はまだ“人形”だった
会場に足を踏み入れると、壇上には白木の棺が置いてあり、周りを色とりどりの花、金で装飾された器にみずみずしいフルーツが置いてある。これから来場者を待つその空間はヒンヤリと冷えていた。本当なら、少しばかりぞっとするほど整然とした空間なのだが、華々しく飾られたせいでどうにも落ち着かない。紗綾は参列者用の椅子に腰をかけると、ぐるりと会場を見回した。
「そうそう、希々佳に見てもらいたいものがあるんだ」
大造はそう言うと白木の棺に歩み寄った。何をするのかと思えば、大造はそののぞき窓に手をかけると、思い切りそれを開いた。大造はその中をじっと凝視すると、しばらくしてニュッと口角だけを上げた。
「ほれ、希々佳。瓦木さんも是非見ておくれ。会心の出来だ」
手で招かれて、まず希々佳がそれを見たのだが、希々佳はそれを見た刹那ギョクンと震え上がった。
「おじいちゃん!」
「ははは、なに、安心せい」
何だろうと、紗綾も覗き込んでみたが、それと目があった瞬間、えも言えぬドス黒い不安が立ち上ってきた。そこには大造が横たわっていた。
「身代わりだよ。ほれ、希々佳。じいじはここにおるぞ」
大造はいたずらっ子よろしく、希々佳のほっぺたを突いたが、たまらないのは希々佳の方である。
「もう! 私外出てる!」
と吐き捨てるとかかとの音を立てながら式場を後にしていった。さすがの大造もやりすぎたと思ったか、すこししょげている。そんな大造の顔と柩の中の顔を紗綾はまじまじと見比べた。
なるほど、それはよくできていた。今目の前でしょんぼりしているこの老人が、生気を失えばこのように萎びるのかもしれない。うっすらと目を開けたそれはどこを見ているのかわからない。常に、こちらを見ているようにも見える。
「これはね、蝋人形なんですよ。私の代わりに葬られるね。リアリティを追求しましてな、目は家族の手で閉じられるようになっている。実はこの柩にも面白い仕掛けがしてあってですな……。おっと、これは後まで取っておいたほうが面白いかもしれん」
大造はまだ何か企んでいるようで、口をはたと抑えたものの、覆いきれない口元はニヤニヤ、意味ありげに笑っていた。そこに、ホールの扉が開く音がした。
「社長、そろそろお時間です」
はっと声の方を振り向くと、副社長の川崎と、ホール管理人の新井が立っていた。
「おや、もうそんな時間か」
大造は懐中時計を見ると、慌てて柩の窓を閉じた。
「私は準備がありますからこれで。ああ、そうだ、新井くん、下に誰か余っとるだろ」
「はあ、余り、ですか。しかし、これから打ち合わせが……」
この言葉がいけなかったらしい。急に大造の語気が荒くなった。
「なに、一人ぐらいおらんかね? だいたい打ち合わせなど先に済ませておかんか。こう後手後手に回るからこのホールは……」
と、そこで大造は紗綾の視線に気がついて慌てて口をつぐんだ。
「そうだ、車動かすのは誰だい」
「佐野が運転することになっております」
「佐野って佐野佑紀乃くんか」
「はぁ、そうですが」
「うん、あの子ならいい。焼き場の場所は知ってるだろう。今更説明することなんて無いに決まってる。ちょっとこの子達の暇を潰してくるように言ってくれ。近くのレストランにでも行くといい。その後公園でもぶらぶらしてきて、始まる前に戻るように。希々佳には悪いことをしたからね」
大造はわたわたと財布を取り出すと、そこから手の切れるような一万円札を取り出した。新井は遠慮したが、大造はそれを押し付けると、川崎を急かすように足早に式場を後にした。
こういう際、残された者はどうにも気まずい。だから新井からぺこりと頭を下げてきた時には、紗綾も助かったと胸をなでおろさずにはいられなかった。
「お見苦しいところをすみません。あなたは……」
「あ、いや、希々佳さんに誘われてきただけですから。すいません。こんな忙しいときに」
「いやぁ、あなたたちは悪くないですから」
二人が階段を降りると、新井は足早に受付にいる女性のもとに向かった。名札には佐野とある。新井はそっと彼女に耳打ちしたが、案の定その表情は次第にけわしくなっていった。しかし、そのお相手が目の前にいると告げられたのか、急に表情があらたまると、ペコペコと頭を下げはじめたではないか。紗綾にはそれが気の毒に思えてしかたなかった。紗綾も紗綾で頭を下げずにはいられなかった。
希々佳は建物の外にぽつねんと立っていた。二人は希々佳を拾うと、駅前のイタリアンレストランに向かった。佐野はこのホールの従業員で、本来彼女はこの日非番だったのだが、イベントを開催するというので出勤を命じられたらしい。
紗綾はここでも決して自分が希々佳の要望でここにきていることは言わなかった。それは当然である。もし何者かがこのイベントで大造の命を狙っているとしたら、このイベントに関わる人々に彼女の素性を知られるわけにはいかない。そのことは希々佳ももちろん理解していた。しかし、急な取り繕いには変わりがないから、どこか奥歯にものの挟まったような言い方しかできない。最初は学校のこととか、部活のこととか、たわいのない話をしていればよかったが、自然、場はすこしずつしらけた感じになっていった。
それは食事を終えて、デザートが運ばれてきた後のことだった。
突然、佐野の携帯電話がふるえ、「鞍馬恵一」と表示した。その発信者を見るやいなや、さっと佐野の顔から血の気が引いた。佐野は立ち上がると耳に携帯を当てたが、その刹那割れんばかりの怒声が聞こえてきた。佐野は誰が見ているというわけでもないのにペコペコと頭を下げている。三分ほど怒鳴り声は続いた。電話が切れると佐野はデザートを早く食べるよう急かしてきた。
会計をしていると、突然スーツ姿の青年が店に飛び込んできた。胸元の名札には佐野と同じマークがプリントされ、大河原と書いてある。その姿を目にした刹那佐野の緊張が少し解けたように見えた。
「あ、大河原さん」
「ユキちゃんこんなとこにいたのか。ダメだよ、こんなとこで油売ってちゃ」
エッと佐野が言う間も無く、青年は耳打ちすると再び彼女は血の気を失った。青年は「僕も一緒に頭下げるから大丈夫」というと、彼女の手を取り、事態を把握できていない紗綾と希々佳に軽く会釈をして、そのまま外に出て行ってしまった。
「何かあったんですかね」
「やっぱり、私たちに構うほど暇じゃなかったんですよ」
開場まではまだ時間がある。残された二人はホールの目の前にある公園をぶらついた。公園には大きな沼があり、濃茶のように濁った水に、釣り糸を垂れる人の姿がちらほら。
「祖父は、少し無邪気がすぎるんです」
沼のほとりの遊歩道が、一瞬表通りと隔てられると希々佳は口を開いた。今まで佐野がいるから言えなかったことが、口をついて出てきたようだ。
「悪気はないんでしょうけど、それだから、一層たちが悪いというか。みんな振り回されて……」
それは裏を返せば、大造の周りにいる人の、多くが彼に何かしらかの反感を抱いているということを告げたことになる。紗綾はじっと希々佳を見つめた。しかし、希々佳は俯いたままであった。
沼のほとりを一周すると、ちょうど三十分ほど時が進んだ。そろそろ開場の時間とあって、次第にホールの方に人が集まっているのが遠目にも分かった。二人はもうしばらく外にいてからホールへと戻ることにした。
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