生前葬

 さっきまでは殺伐としていたエントランスも今や黒山の人だかり、と言いたいところだが、その集う者共の髪は灰色から白であるから、黒山とは言いがたいかもしれない。あちこちでたいそう大げさな笑い声、驚く声がする。エントランスの先では参加者の確認をしているようで、佐野と先ほどの青年、大河原が応対に当たっていた。佐野は二人に気づくと、関係者はそのままお通りくださいと素っ気なく案内した。確かにこの人数をさばくのは骨である。大変だなぁと心のうちで呟きながら受付の先、一階小ホールに入ると、白装束に着替えた大造と、黒いスーツを着た男が出迎えた。男の名札に鞍馬恵一とある。なるほど、この人が先ほど電話口で佐野に怒鳴っていたのか……。紗綾はそう思って再び彼の顔を見直した。しかし、今応対する彼の柔和な目からは、怒りに歪んだ顔など到底想像できなかった。隣に立つ大造もそうだ。先ほど一瞬見せた不満の顔も消え、希々佳の前にはしゃいで合掌してみせたり、ナムナムと唱えてみたり。しかし孫娘の希々佳の表情は暗い。いくら大造が笑わせようとしても、希々佳はそっぽを向くのである。これには大造も困ったようだが、いつまでも孫娘の相手をしているわけにもいかない。前の方が関係者席だからそこに座ってくれと告げると、にこやかに客の応対に戻った。

 会場にはスクリーンが出してあり、その下には先ほど二階で見た柩が置いてあった。何に使うのだろうと紗綾は気にしていたのだが、イベントが始まるとすぐにその疑問は解けた。

 まず司会である鞍馬恵一からおきまりの挨拶と、生前葬の魅力が伝えられた。しかし、それについてここで述べても仕方がないだろう。全ては副社長の川崎が車中で語ったのと同様だった。ひととおり説明が終わるといよいよ主役、白装束の大造が現れた。スタッフたちが柩の前に並び、蓋を取り外す。紗綾はすわと腰を浮かせたが、後ろのおばさんから舌打ちを受けて慌てて座った。かろうじて中身は見えたのだが、先ほど二階で見た時とは異なり、そこに蝋人形は入っていなかった。

 ははん、さてはこの老爺、入れ替わりを演じるのだな。きっとあの蝋人形は二階のどこかに隠してあるのだろう。紗綾は心のうちで微笑ましくなった。いや、待て、そんな感情に浸っている場合ではない。目の前に用意された数々の仕掛けは、果たして全て大造の意思によるのか……? 襲撃者の罠がありはしないか? 紗綾はあらためて大造と棺を凝視した。

 大造は一同の前で合掌し、深々と礼をすると、本日の来場を感謝し、自らの生前葬の理由とそれにかける想いを長々と語った。それを終えると再び彼は合掌し、彼を囲むスタッフに支えられながら、ゆっくりと柩の中に横たわった。

 スタッフが蓋を置くと、続いて柩は台車に乗せられ後方に運び出された。続きは二階のホールで行うらしい。希々佳が紗綾の手を握ってきた。彼女の手はしっとりと汗ばみ、震えていた。紗綾はそれを優しく握り返すと、そのまま席を立って二階に向かった。


 関係者はスタッフの誘導の常に最前にいる。それだから、紗綾たちが二階ホールについたときは、ちょうど台車から柩が降ろされ、祭壇の前に移されるところであった。柩に入っているのは老人といえども生きた人間である。しかも自分たちの社長ときているから、柩を動かすスタッフの緊張も空気を伝導してくるかのようだった。ようやく、柩が無事に祭壇に移ると、続々と参加者たちが模擬式場であるこの二階ホールに入ってきた。皆口々にその装飾の華やかさや遺影の明るさを話題にしていた。中には批判的な意見を言うものもいたが。多くはその華やかさをうらやむ声に聞こえた。


 この声を、柩の中の大造も聞いているのだろう。


 参加者の全てがホールの席に座ると、最後に僧侶がせこせこと入ってきて、簡単に経をあげた。この日はデモンストレーションであるからだろう。

「これにて久根別大造の御魂は現世を離れて仏になるための修行に出ます。本来でしたらこれよりまず七日に三途の川を渡り泰広王の審理をうけます。七日ごとに審理を経まして三十五日の閻魔大王様より来世は六道浄土いずれに生まれるかのお裁きを受けます。四十九日で来世の寿命が決まり、来世への旅立ちとなりますが、ここは略式で四十九日の法要までまとめて済ませていただきます」

 そう言うと僧侶は再び木魚を叩き始めた。単調なリズムと音程が飽和する。その短い経が終わるかどうかというところで、後ろからそろそろと白装束の男が現れた。ワッと参加者の誰かが叫ぶと、その男はくるりと振り返って、しぃっと唇に人差し指を当てて微笑んだ。大造である。予期していたとはいえ、実際に目の前に大造が現れると流石の紗綾も少しどきりとしてしまった。希々佳はやっぱりひどく驚いた様子で、ひしと紗綾の手の甲を握りしめている。読経が終わった。僧侶は振り返ると大造と顔を合わせてニヤリと笑った。

「驚かせてしまいましたでしょうか? しかし驚くのはまだでございまして、是非この後柩の中をご覧ください。当社では徹底した生前葬のサービスを提供するべく、ご依頼人の形代としまして、オプションではありますが、蝋人形の製作依頼も承っております。告別式中にその人形と入れ替わりまして、私もこの祭壇の中に施されました曼荼羅を眺めておりました。今は非常に気分がいいものです。なんだが、少し体が軽くなったような気もしますな」

 あっはっは、と大造は腹から笑うと、どうぞと言わんばかりに柩の覗き窓を開いた。これに興味を催して中身を覗きに行ったものからは感嘆とも驚嘆とも取れる声が次々に上がった。確かにエンターテインメントではあろう。柩の中の眠れる蝋人形と、寸分たがわぬ人物が式場の最前列で笑っている。老人たちが話しかけると、大造は手を合わせ軽くお辞儀をしながらナンマンダブなどと言ってみせる。しかしそれが本来厳粛であるべき葬儀の場で行われていることが、紗綾にはどうにも腑に落ちなかった。だが、彼女のそんなモヤモヤなどよそに会は進行した。大造含めた関係者が柩を釘で閉じると、いよいよ柩を火葬場に持って行くらしい。まず大造の蝋人形を入れた柩が運び出され、一般参加者含めた参列者はそれが駐車場で霊柩車に乗せられるのを見送った。霊柩車を運転していたのは佐野と新井であった。紗綾と希々佳、そしてホールのスタッフ一同は専用のマイクロバスに乗せられて、車列は火葬場へと向かった。これは後から紗綾は聞いたのだが、一般参加者はここでお開きとなり、質問がある人のみこの後もホールでスタッフから案内を受けたらしい。アンケートは高評価が多く、イベントそのものは大成功を収めたそうである。


 しかし、話がそれで終わったなら、この話も瓦木紗綾の探偵譚にカウントされることはなかっただろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る