第二章 妖精との脱出

第二章 妖精との脱出(1)もう引き返せない

 ルーはヴェーラ軍の公安局の前に立っていた。ここへ来るために、この惑星世界カディンの積層都市の階層を五つほど登ってきた。ここは最外殻だ。


 通常、各層間の移動には、星芒具による認証と支払いが必要だったが、トランスポーターの緊急モードを立ち上げて料金を支払わずにここまでやって来た。その代わり、街じゅうの空冥術発生装置で監視されているはずだ。


 どうせ、もう引き返せない。


 心臓が肋骨をぶち破りそうだ、と思いながら、ルーは公安局へと踏み込んだ。先手を打つしかないのだから。


 ルーは窓口に向かって歩いた。すると、そこへ係の女性がやって来る。


「あなたね。トランスポーターの緊急モードを起動したのは。何かお困り? 事件?」


「あの……」


 ルーは平静を装ってカウンターに肘を置いたが、腕も脚も震えていた。


「暴力に遭って逃げてきたんです。そのときに、星芒具を取り上げられてしまって……」


 前半は半分真実だ。後半は少し盛った。


 係員は自身の星芒具で石版型の端末を立ち上げる。


「星芒具を? 身元照会をします。名前を」


「……ルー・シウェーナ・メセオナ」


 係官の女性は、その名前を聞きながら端末の表面をなぞる。そして、端末が表示した内容を見て、額を押さえてかぶりを振った。


「……本当にルー・メセオナであれば、不良グループに属しているという疑いが掛かっています。暴行や窃盗を繰り返していると――」


「あたしはやってません!」


 反射的に、ルーはそう言ってカウンターに身を乗り出した。係官の女性は彼女を無言で見つめている。


 はっとして、ルーは一歩退がった。見回すと、他の係官や市民が彼女のほうを見ている。彼らは単に、彼女が急に声を荒げたから見ただけだ。だが、彼女のほうは全員から罪に問われているような気分に苛まれる。


 ルーは生唾を嚥下えんかする。


「あたしは、そんな不良グループは知りません……」


 女性係官は深く溜息をつく。


「そう。今回の件とは別件ですから追及はしません。とはいえここは公の機関ですから、この場での偽証は罪に問われる場合があります。いまの発言は記録されていますので」


「そ、そうですか……」


 ルーは、膝が震えだそうとするのを必死で止めようとしていた。


 確かに、ルーは不良グループに属していたが、暴行や窃盗は一度も行わなかった。だから、まさか自分まで公安局にマークされているとは思いもしなかった。キングや他の男たちのような、暴力を実行していた連中ならいざ知らず……。


 とはいえ彼女も、周囲に同調して、男たちに暴行や窃盗をするよう焚き付けていた側ではあるのだ。その点は、認識が甘かったとしか言いようがない。



 そのとき、奥の扉が開き、大声で喚く男が公安局の職員三人に囲まれて出てきた。喚く男は手錠をかけられており、なんらかの嫌疑をかけられているのだろうが、態度ばかり大きいのが鼻につく感じだった。


 ルーはその男を見て――驚いた。喚いている男はキングだったのだ。キングは頭に包帯を巻かれてはいるが、想像した以上にケロリとしていた。


 公安局の職員のひとりは、騒ぎ立てるキングに対して、怒鳴り返して黙らせようとする。


「やかましいぞ、ヘルリ。貴様、曲がりなりにもヴェーラ軍の軍属でありながら、軍の備品を転売して小遣い稼ぎとはな」


 ヘルリというのはキングの本名だった。ルーは彼の姿を見てとっさに恐怖したが、一方で、公安局の職員が言った「軍属」という単語が引っかかった。軍属というのは、軍隊に所属する軍人以外の雇われ人のことだ。つまり、ということになる。


「やだなあ、職員さん。配備期限切れの装備を処分しただけじゃないですか」


「配備期限切れ装備もヴェーラ星系へと返還される規則だろう。それに、明らかに新しい装備のほうが多かったはずだが」


「そうですか? それは気づきませんでしたね」


「莫迦な理屈は好きなだけ垂れろ。ヴェーラの法は必ず貴様を裁く」


「はいはい。ヴェーラ軍はマジすごいでちゅねー」


 この状況下で、キングは一切の反省を示さなかった。


 また別の職員が、態度の悪いキングに釘を刺すように言う。


「しかも、お前には暴行や窃盗の容疑が山ほど掛かっている。下層でならバレないとでも思ったか。証拠はあがっている。ヴェーラ軍を舐めないことだな」


 公安局職員たちとキングは、別室へと行くためにルーのそばを通り過ぎようとした。だが、当然、キングはそこにいるルーに気がつく。


「あっ、お前、ルー……」


「――ッ!」


 ルーは自分の表情が引きつるのを感じた。その様子を見て、キングは下種な笑みを浮かべ、大声を出す。


「こいつです! こいつが元凶です! 俺らはやりたくもないのに、こいつに脅されてやったんです! 全部!」


 キングが手錠をかけられたまま、ルーに近づこうとするので、公安局の職員たちは彼を羽交い締めにした。


「何を言っている。ふざけるのもいい加減にしろ」


「喧嘩も、盗みも、全部こいつの指示です! 軍の備品を売ったのもこいつが脅してきたからです! 俺は悪くない!」


「おい貴様、黙らんか!」


 目の前で繰り広げられる騒ぎに、ルーは何も言えなかった。時々近づいてきては職員に引っ張られ、それを振りほどいては近づいてを繰り返すキングの奇行が恐ろしくてたまらなかった。


「……そうだ! きのうの夜、俺の頭を殴ったのもこいつですよ! きのうの夜、俺の家に来たのはこいつだけですから! おまわりさん! こいつも逮捕してくださいよ!」


「何を莫迦なことを……!」


「逮捕! 逮捕! ルー、お前も逮捕だ! くせえ牢屋で何年も過ごすんだな! 俺の代わりによ!」


 実際のところ、当然ながら、公安局の職員たちはキングの発言をまったく真に受けていなかった。


 しかし、ルーを恐慌パニックに陥れるのには、それは十分すぎた。彼女は耐えきれなくなって、走り出す。キングたちがやって来たのとは逆のほうへ。わけもわからず廊下をひた走ると、無関係の職員がたまたま通過するために開けた扉へと飛び込んだ。


「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」


 ルーの相談を受け付けていた女性係官が叫んだ。しかし、ルーは立ち止まれなかった。彼女は公安局の職員にしか立ち入りできないエリアへ飛び込んで、廊下を行き交う職員たちを押しのけ、そのまま走り続けた。


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