第9話 ラルフ・レッドフォード


「……う、」

「お目覚めですか? リゼット様」


 ゆっくりと目を開ければ、見知らぬ真っ白な天井が目に入った。すぐ側には、メイドらしき若い女性の姿もある。


 驚き慌てて起き上がると、自身が手触りの良いネグリジェを着ていることにも気が付いた。白を基調としたこの部屋は、どう見ても貴族のお嬢様の部屋だ。


「あの、ここは……?」

「すぐにラルフ様を呼んで参ります」


 メイドは質問には答えずそう言うと、あっという間に部屋を出て行ってしまう。


 ラルフという名を聞き、私は森で魔物に出会でくわし彼に助けられた末に、意識を失ったことを思い出していた。


「……良かった、生きてる」


 両の手を開いてみたり、結んでみたり。こうして無事に生きていることに、心の底から感謝した。


 そしてメイドと入れ替わるようにしてすぐ、部屋の中にはラルフが駆け込んできた。


「リゼット様、お目覚めになられたんですね……!」

「うん、ラルフが助けてくれたんだよね? ありがとう」

「いいえ、当然のことです」


 彼はベッドのすぐ側にあった椅子に腰掛けると、そっと私の手を取った。私よりも大きく温かな手で、存在を確かめるように指先を撫でられ、落ち着かない気持ちになる。


 私をまっすぐに見つめるその笑顔は、寝起きの目には痛いくらいに、今日も彼は眩しかった。


「ここ、どこなの?」

「王都にある僕の家です。倒れてしまったリゼット様が心配で、すぐにここへと運び、医者に診てもらいました」

「そうだったんだ……ごめんね、迷惑をかけて」

「迷惑だなんてとんでもありません。むしろ一生、ここにいていただきたい位ですから」

「うん……?」


 相変わらずの彼に妙な安心感を覚えつつ、私は改めて周りを見回した。どう見ても、すべてのものが最高級品で。どうやら彼は、かなり裕福な貴族の家に引き取られたようだ。


 それにこの部屋は、客間という感じではない。まるで誰かのために丁寧に作った部屋、という感じがするのだ。間違いなく、私なんかが使って良い場所ではないだろう。


「ラルフって、すごく良い家に住んでるんだね」

「はい。侯爵家ですから」

「そっか、侯爵家ならあたりま……こうしゃくけ?」

「はい」


 美しく微笑む彼とは裏腹に、私は混乱し始めていた。本当に待って欲しい。何が田舎の男爵家の末っ子だ。目眩すら覚えている私に、ラルフは続けた。


「改めて、自己紹介をさせてください。僕の名はラルフ・レッドフォード、この国の勇者をやっています」


 レッドフォード侯爵家の名は、もちろん私も知っている。それよりも、彼は今なんと言っただろうか。


「……ゆうしゃって、あの、勇者?」

「はい。その勇者だと思います」


 まるで大したことではないかのように、ラルフはそう言ったけれど。勇者の存在は、あの田舎の村にまで届いていた。仲間と共に魔王を倒した末、国の英雄になったとも。


 それがまさか、毎日私の元を訪れては畑仕事をしていたラルフだったなんて、信じられるはずもない。


 けれどあの強さにも、孤児だった彼が侯爵家に養子として迎え入れられたことにも、すべて納得がいってしまう。


「と、とてもすごいですね」

「ありがとうございます」


 そんな馬鹿みたいな感想しか出てこないくらい、私は驚きを隠せずにいた。きっと今の彼は、私なんかがこうして会話をしているのも奇跡に近い存在なのだ。


 同時に、侯爵令息であり勇者でもある彼にあんな農作業をさせ、散々こき使っていたことを思い出してしまった。


「あの、ラルフ様、本当にすみませんでした」

「リゼット様?」

「勇者様に、あんな農作業や雑用を……」

「なぜ貴女が謝るんですか? 僕がお願いをして、無理を言ってやらせて頂いていたことです。それに、貴族が嫌いだと仰っていたので、侯爵家にお世話になっていることもなかなか言い出せず……申し訳ありません」


 とにかく、今まで通りに接して欲しい。彼は困ったような顔でそう言ったけれど、流石に難しすぎるお願いだった。


 ラルフは具合が良ければ一緒に食事でも如何ですか、なんて提案してくれたものの、いつまでもこうして侯爵家にいるわけにもいかない。場違いにも程がある。


 それに今回は、私こそ命を助けられたのだ。ラルフには間違いなく、恩返し以上のことをしてもらった。


 彼とは住む世界が違うことも分かったし、これで本当に終わりにしよう。そう、思ったのだけれど。


「そろそろ私は帰……あ、」


 とにかくお礼を言って帰ろうと思った私は、聖域に魔物が出たことを思い出し、大量の冷や汗をかいていた。


 既にあの場所は、安全じゃない可能性がある。再び、目の前が真っ暗になっていく。


「あの、聖域に魔物が出た原因とか、知ってます……?」

「詳しい理由は分かりませんが、加護がかなり弱っているとだけは聞きました」

「えっ」


 ──聖域の加護が、弱っている? 


 私はあの場所で、一生暮らしていくつもりだったのだ。まさかそんなことになるなんて、想像もしていなかった。


「……ど、どうしよう」


 20歳の誕生日まで、あと四ヶ月。ピンチすぎる。


 今世もまた食べられて死ぬのかと、焦り出す私の手をぎゅっと握ると、ラルフはまっすぐに私を見つめた。

 

「……リゼット様、すべて話してくれませんか?」

「えっ?」

「貴女に何か悩みがあることは気が付いていました。あの場所に住んでいたことに、関係があるのでしょう? 僕はリゼット様の味方です。貴女のためなら何でもしてみせます」

「っそれは、」


 もう誰も巻き込みたくないと思っていたのに、こんな状況でそう言われてしまっては、縋りたくなってしまう。


 再び「お願いです」とまっすぐにアメジストのような瞳で見つめられた私はもう、限界だった。


「本当に嘘みたいな話だから、信じられないと思う」

「僕は全て信じます。リゼット様を疑ったりなどしません」


 何より、たった一ヶ月程の付き合いだというのに、ラルフならば信じてくれるかもしれないと思ってしまったのだ。



「……私ね、今回の人生が4回目なの」


 そして私は、これまでのことを話し始めた。

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