幕間 襲撃日


 薄暗い部屋の中で男は椅子に座って爪の手入れをしていた。

 爪の手入れに使うのはナイフ。男の大きな爪はナイフでないと上手く研げない。ナイフを器用に使って鋭くする。

 この男にとって爪は最高の武器であり、種族の誇りだ。


 入口の扉が開く音がした。階段を下りて、誰かが男の方に来る。


「またこちらにいましたか、ディナト」


 ディナトは仮面で顔を隠している女に視線を移した。


「何の用だ?」

「何の用って、あなたを探していたんですよ。獣人族は地下がお好きなんですか? あなたはいつも地下にいますね。何か思い出でもあるのですか?」

「…… お前はつまらない話をするために来たのか?」

「違いますよ。そんなに睨まないでください。ちゃんとあなたに話があって来たんです」

「さっさと話せ」

「ベスティアを潰そうと動いている者たちがいます。厄介な連中です」

「どんな奴らだ?」


 女は仮面越しに笑みを浮かべて言う。


「あなたが憎んでいる貴族ですよ。動いているのはオリアナ・フォン・カルバーンとレオンハルト・フォン・ヴェルナフロです。皇帝派と中立派貴族の子息令嬢ですね。どちらも大物です。どうしますか?」

「どうしますかだと? それを考えるのがお前の役目だろう、テラム」

「ふっふふふ、仰る通りです。はあなたを全面的に支援しますよ。対策は考えています。襲撃日を早めましょう」

「早める? なぜだ?」

「次の襲撃まで準備時間が必要だとオリアナたちは考えているようです。貴族街の襲撃後、帝国騎士の見回りが厳しくなりましたから」

「成功すると言っていたのはお前だ」

「その通りです。まさかあの人型魔獣を倒す者が帝国騎士以外に現れるとは思いませんでした。まさかのまさかです。あのパラディスは最高級品でしたのに。大変な損失です」


 テラムは首を横に振って残念そうに振る舞った。


「小芝居は止めろ、不愉快だ。倒したのは誰だ?」

「貴族令嬢のフレイヤ・フォン・ルーデンマイヤーです」

「また貴族……」


 ディナトは立ち上がり、拳で椅子を叩き割った。


「貴族、貴族、貴族! 貴族は全て死ね! はりつけにして、足の先から順番に切り刻んでやる!」


 憤怒の形相になって周囲の物を破壊する。机を真っ二つにして、別の椅子を叩き割り、棚を粉々にした。

 それは怒りが収まるまでしばらく続いた。


「落ち着かれましたか?」


 テラムは平然としている。ディナトが急に怒り出して周囲の物を破壊することに慣れていた。


「俺はお前を信用していない。少しでも怪しい動きをすれば、お前も貴族と一緒に切り刻んで豚の餌にしてやる」

「ふっふふふ、それは悲しいですね。ベスティアが大きくなったのは私たちの計画があってこそだと思いますよ。もう五年以上の付き合いになります。そろそろ信用していただけませんか?」

「信用? お前をか? お前ほど信用という言葉が似合わない奴はいない。お前の言葉はいつも嘘の臭いがする」

「嘘の臭いですか? それは残念ですね。では、結果を出して信用してもらいましょう。貴族街を襲う実行日は来月の六月一日にします。あなたの妹の命日です」

「いらんお世話だが、乗ってやる。魔獣化させる相手は中毒者たちだな?」

「はい。中毒者は貧民街だけではなく上流街にもいます。パラディスを新しい麻薬として勧めれば喜んで飲んでくれるはずです。アレスビドリッヒ伯爵もそうでしたから」

「それはいい。ああ、六月一日が楽しみだ。待っていろ、レニス。貴族どもにお前が味わった以上の苦しみを喰らわせてやる」


 ディナトは嬉しそうに嗤った。



 ◇◇◇



 ベスティアの本拠地から出たテラムは建物の屋根を活き活きと歩く。

 真夜中なので、下からは屋根を歩くテラムを見ることができない。


 仮面は顔を隠すのに便利だが、テラムは好きではなかった。

 仮面を取って投げ捨てる。


 あらわになったのは華やかな顔立ち。

 青みがかった瞳に下まぶたの柔らかな膨らみ。肌は色白く、ぷっくりとした唇は色気がある。

 魅惑的な笑みを浮かべて軽やかに次の屋根へと跳ぶ。


「ディナトの復讐は成就するのでしょうか? ふっふふふ、どうでもいいことですね。ディナトが失敗したら次の者を探せば良いだけです。全ての事象は私たちから始まる。さあ、世界よ、前に進みなさい!」


 テラムの姿は暗闇へと消えて行った。









 ――――――――――――――――――――

【後書き】


 これにて第七章は終了です。

 沢山読んでいただきありがとうございました。


 次は第八章です。

 ベスティアとの対決が描かれます。フレイヤが活躍してくれるはずです。

 楽しみにお読みください。


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