幕間 魔獣出現
マルクスは今日も騎士団の執務室で集中して仕事に励んでいる。
だが、心の中では別のことを考えていた。
(あーあー、フレイヤのドレス姿を見てから仕事に来れば良かったなー。フレイヤはお茶会を楽しめてるかな?)
フレイヤはエイルハイド公爵の娘であるアンジェリーナのお茶会に招待されている。フレイヤがお茶会に行くのはこれが初めてのことだ。
(今日こそ仕事を早く終わらそう。いや、終わらなくても帰る。フレイヤの初お茶会の話を聞く以上に大切なことはない)
すると、執務室のドアが強く叩かれた。
返事をする前に声が上がる。
「マルクス団長、入ります!」
急いで入室してきたのは副団長のエドウィンだ。
鎧を身につけているのを見ると、当然、良くないことが起きている。
「エド、何かあったのかい?」
「第十二騎士団に出動命令です。バッケル子爵領に魔獣が多数現れました」
マルクスは落ち着いた表情で質問を続ける。
「被害は?」
「バッケル子爵の騎士たちが善戦しているらしいですが、領民にも被害は出ているようです」
「そう…… バッケル子爵は無事なのかい?」
「無事です。バッケル子爵も騎士と共に参戦し、士気を上げているようです」
マルクスは素直に感心した。
「立派な領主だね。魔獣討伐に向かう騎士団員の選抜と出動準備は終わってるかい?」
「はい、いつでも」
「仕事が早いね。僕も鎧を着たら直ぐに行くよ」
「承知しました」
エドウィンが執務室から退出したのを確認すると、マルクスは心を落ち着かせるために大きく深呼吸をする。
(選りに選って今日。しかも、バッケル子爵領に魔獣が現れるなんて)
バッケル子爵領はエイルハイド公爵領と隣接している。万が一は考えたくないが……
マルクスは鬼気迫る表情で仲間の元に向かった。
◇◇◇
護衛騎士のカロンがお茶会をしている部屋に入ってきた。
お茶会の参加者と談笑している最中だったが、アンジェリーナは直ぐに気がつき、失礼しますと言って、カロンの元に向かう。
「カロン、どうしたの?」
アンジェリーナが質問すると、カロンは声を潜めて言う。
「バッケル子爵領に魔獣が多数現れました。第十二騎士団が討伐隊として向かっています」
エイルハイド公爵家には独自の情報網があり、伝達も速い。
アンジェリーナはロゼリーアと談笑しているフレイヤをちらっと見る。
(第十二騎士団の団長って、確かフレイヤ様のお父様のはずよね)
アンジェリーナはカロンに質問を続ける。
「バッケル子爵は既に逃げたの?」
「いえ、家臣の騎士と共に戦っているそうです」
「へー、流石ね」
バッケル子爵は皇帝派の貴族だが、仁徳と高潔さを大切にする立派な貴族だ。エイルハイド公爵とアンジェリーナはとても評価している。
(死なすには惜しいわね)
アンジェリーナは思案する。
十歳の少女ではあるが、貴族派筆頭のエイルハイド公爵家の令嬢として相応しいようにあらゆる教育を受けてきた。陰謀渦巻く貴族の世界で生き残るために恐るべき知謀を身につけ始めている。
「カロン、ここは危険?」
「エイルリーナは問題ないかと思います。精鋭の騎士も揃っているので」
「そう、分かったわ。私、バッケル子爵を失いたくない。援軍として騎士を五十人、医療者も何人か連れていきなさい。指揮はカロンに任せるわ」
「私も行くのですか?」
「当然よ。カロンは私の筆頭護衛騎士で、誰もが知ってるわ。そのあなたが私から離れて、バッケル子爵の応援に行けば、彼に恩を売れるはずよ。仁徳を大切にするお方なら、尚更ね」
「ですが、私はアンジェリーナ様の護衛騎士です」
「カロンがいてくれるのはとても嬉しいわ。あなたが側いれば、安心できるから。でも、ここには他の護衛騎士も沢山いるわ。カロンがいなくても問題ないはずよ。寂しいけどね」
「…… アンジェリーナ様がそこまで仰るのでしたら、承知しました」
承知したものの、カロンは渋々といった表情だ。
「カロン、頼むわよ」
カロンは右手を胸に左足を一歩下げて頭を下げる騎士の礼をすると、直ぐに部屋を出て行った。
会話が終わると、アンジェリーナは表情を緩めて何事もなかったかのようにお茶会へと戻った。
◇◇◇
マルクスは選抜した騎士団員を率いて子爵領まで馬を走らせた。
想定していた時間よりも早く、バッケル子爵領に着いた。直ぐにバッケル子爵と合流する。
バッケル子爵は凛々しい顔をした若者で、怪我をしたのか右腕を包帯で吊っている。
鎧も大きいようで隙間が多い。荒事には慣れていないのだろう。
「私は第十二騎士団の団長マルクスです。魔獣討伐の任を受け来ました。現状を訊いても良いですか?」
「もちろんです。来ていただき感謝します。私の騎士たちが応戦していますが、魔獣の動きを止めるのが精一杯で。面目ありません」
バッケル子爵は周りを見て悔しそうに顔を歪ませる。
同じようにマルクスも周りを見た。
バッケル子爵の屋敷を魔獣討伐の拠点としており、傷を負った騎士や領民が治療を受けていた。中には既に息を引き取っている者もいる。亡くなったのは騎士が多い。領民を守るために命懸けで戦ったのだろう。
「魔獣のいる場所を教えてください」
バッケル子爵が地図を広げる。魔獣のいる場所に印がつけられていた。
(数が多い。十ヶ所か)
マルクスは副団長のエドウィンを呼び、指示を告げる。
「騎士団を十一個の小隊に分ける。エドはこの屋敷に残り、バッケル子爵と領民の護衛と我々の指揮を任す」
「団長は?」
「僕も出るよ。さっさと魔獣を倒して、殉じた騎士たちと領民を弔ってやろう」
第十二騎士団の団員数は五百名いるが、今回は百名を選抜して連れて来ている。
百名を十一個の小隊に分けるとなると、九人小隊を十個、十人小隊が一つとなる。十人小隊はバッケル子爵と領民の護衛として残す。小隊長を迅速に決めて、マルクスも小隊長となる。
「エド、ここは頼むよ」
「お任せを」
それぞれの小隊は魔獣のいる地点に向かった。
マルクスの小隊が向かうのは領民の家が多い場所。
と聞いていたが、その場所に行くと、家は破壊されて瓦礫の山と化していた。
「酷い……」
マルクスは思わず呟く。
この瓦礫の山を見ると、魔獣討伐後の復興が大変だと考える。再び家を建てるための大金を用意するのは平民にとって難しい。
「ガアァァァァーー!!」
体の底から恐怖を煽るような唸り声が響いた。
この声は魔獣だ。魔獣との距離は遠くない。その場所にはバッケル子爵の騎士たちもいるはずだ。
「あっちの方だ。急ごう」
マルクスたちの小隊は声が聞こえた方に向かって走ると、大きな影が見えてきた。
バッケル子爵の騎士たちは巨大な熊型魔獣と戦っている。
地面には既に息のない騎士が数人、戦っている他の騎士たちも大きな傷を負っている。
マルクスは抜剣すると、バッケル子爵の騎士たちと熊型魔獣の間に割って入る。
不思議なことにマルクスが熊型魔獣に一睨みすると、熊型魔獣は数歩下がって怯んだ。
その間にマルクスの部下の騎士たちも剣を構えて、熊型魔獣と対峙する。
「私は帝国第十二騎士団団長のマルクスだ。魔獣との戦闘は我々騎士団が引き受ける。君たちはバッケル子爵の屋敷まで撤退してくれ」
バッケル子爵の騎士たちがマルクスの言葉に従って撤退した。
撤退を確認すると、マルクスは部下の騎士たちに命令する。
「二十秒時間を作ってくれ。『魔剣』を使う」
部下の騎士たちは真剣な顔で頷き、睨みの枷が外れた熊型魔獣と戦闘を開始した。
魔獣は大気中の魔力などによって動物が突然変異した物だと言われているが、正確なメカニズムは分かっていない。魔獣の姿は様々で、この熊型魔獣の場合は元々の体の数倍の大きさとなり、銀色の体毛に覆われた体は鋼のような固さとなっている。どんな魔獣も動きは動物の頃と変わらず俊敏で、中には魔法を使う特殊個体もいる。
部下の騎士たちは魔獣を囲み、一斉に攻撃を仕掛けた。
魔獣は大きな手を振り回して攻撃を防ぐ。しかし、先ほどの騎士たちの攻撃と違い、帝国騎士たちの攻撃は小さいながらも熊型魔獣に傷を負わす。
魔力操作で身体能力を向上させているため、帝国騎士の攻撃は強力だ。
魔力操作は帝国騎士になるためには必須であり、全員が使える。これが貴族騎士との大きな違いだ。
貴族騎士は仕える貴族の許可さえあれば、誰でも騎士になることができる。
帝国騎士と平均的な貴族騎士の間には圧倒的な実力差がある。
時間を掛けさえすれば、マルクスの部下の騎士たちだけでも、この熊型魔獣を倒すことができる。
「魔法を纏わせた。魔獣から離れて!」
マルクスの剣の剣身が見えなくなるほどの風が渦巻き、その風の影響で周りの地面に旋風が発生している。
部下の騎士たちが魔獣から離れると、マルクスは熊型魔獣に向かって走り出した。
向かってくるマルクスを見て、熊型魔獣はマルクスを敵と認識した。
熊型魔獣はマルクスを吹き飛ばそうと渾身の力で大きな右手を振る。
しかし、マルクスは体を沈めて、熊型魔獣の攻撃を簡単に躱す。
隙ができた瞬間、魔力で身体能力が向上しているマルクスは熊型魔獣の首を狙って飛ぶ。
剣先を右に向けて構え、横薙ぎ一閃。
「
風を纏ったマルクスの剣は熊型魔獣の鋼の首を見事に斬り落とした。
地面に着地すると、マルクスは何事もなかったのように剣を鞘に戻す。
「よし、次へ行こう!」
マルクスは部下の騎士たちを引き連れて、他の魔獣がいる場所に向かった。
◇◇◇
マルクスが次の魔獣の場所へ着くと、既に魔獣は倒されていた。
(おかしいな。ここは若い騎士が多いから手こずるかなと思ったけど)
倒れた魔獣の近くにマルクスの知らない騎士がいた。
若い騎士たちの小隊もその騎士を警戒しているようだった。
マルクスは剣の柄に手を添えながら近づく。
「私は帝国第十二騎士団の団長をしているマルクスです。あなたがその魔獣を倒されたようですが、あなたは何者ですか?」
「私はエイルハイド公爵様に使える騎士、カロンと申します。アンジェリーナ様のご命令により、騎士五十人を率い、援軍として参りました」
堂々した受け答えだ。
かなり若い。十代後半か二十代前半。紺の髪に美麗な顔立ち。引き締まった身体からは強者の気配が漂っている。
襟章には薔薇の家紋が見えた。
(この男が噂の青薔薇か)
「これは失礼。エイルハイド公爵様の騎士だったとは。援軍についてはバッケル子爵に話は通されましたか?」
「別の者を先に行かせました。私たちと帝国騎士の皆様がいれば、直ぐに魔獣を倒せるはずです。私は今回の援軍の責任者に任じられましたので、今からバッケル子爵に話をしに行きたいと思います」
「分かりました。私も副団長と状況確認したいので同行します」
部下の騎士たちには他の魔獣討伐の応援に当たるように言い残して、マルクスはカロンと共にバッケル子爵の屋敷に戻った。
屋敷の敷地は野戦病院と化していた。
戻ってきたバッケル子爵の騎士たちが治療を受けている。
どうやらカロンは騎士だけではなく、医者や看護師も数人連れてきたようで、マルクスが魔獣討伐に出発した時よりも医療者が増えていた。だが、治療に当たるものが足りていない。治療を受けれずに苦しんでいる者たちもいる。
バッケル子爵とカロンが話を始め、マルクスは指揮を任せたエドウィンに現状の報告を受ける。
「討伐状況は?」
「はい。公爵様の騎士たちが協力してくれているので討伐は順調です。魔獣は残り三体です。ただ、猿型魔獣の行方が不明で、討伐を終えた騎士たちを捜索に当たらせています」
「その猿型魔獣と戦っていた子爵の騎士たちからは他に情報はなかったのかい?」
「小隊が到着した時に生きていた子爵の騎士から猿型魔獣と聞けましたが、直ぐに息を引き取り全滅しました」
「…… そうか。僕も捜索に出るよ。エドは引き続き指揮をしてもらいたいんだけど」
マルクスは嫌な考えが頭に浮かんで動きが止まる。
「マルクス団長、どうしました?」
「エド! 地図を貸して!」
地図を受け取ると、子爵領と公爵領の間に何があるのか確認する。
(やっぱり森か!)
マルクスはバッケル子爵たちのもとへ走って向かい、息を整えながら質問する。
「ハァ、ハァ…… バッケル子爵、子爵領と公爵領を区切るこの森は人が使いますか?」
「ユルキコの森ですか? 使う人は少ないですね。ですが、この森は公爵領近くの街道まで続いています」
「街道?」
「帝都と公爵領を結ぶ街道のことです」
「それは駄目だ」
深刻な顔をしているマルクスにカロンが質問する。
「マルクス団長、どうされたのですか?」
「もしかしたらですが、行方の分からない猿型魔獣は公爵領まで移動するつもりかもしれません。失礼ですが、公爵領の騎士は充分ですか?」
「もちろんです。常に万が一へ備えていますので。マルクス団長の言うように、本当に猿型魔獣がこの森を使って移動しているのでしたら大変です。この街道を利用して一定数の人たちが公爵領と帝都を常に移動していますので。…… それに、ご息女のフレイヤ様が帰路に就いている頃かと」
この可能性を考えた時、マルクスは真っ先にフレイヤが危ないかもしれないと思った。
マルクスは頭をガシガシと掻き、バッケル子爵に有無を言わせない言い方で話す。
「バッケル子爵、騎士団員の半数をここに置いていきます。残り半数は子爵領を出て、捜索に当たります」
「当然です、分かりました」
武力を持った騎士団が公爵領に入る。そのため、許可する権限はないかもしれないが、緊急のためマルクスはカロンに許可を求めて訊く。
「カロン殿、構いませんか?」
「問題ありません。私たちも半数を連れて捜索に出ます。騎士団が公爵領に入ることは事前にアンジェリーナ様へ早馬を出します」
「感謝します」
「公爵領にも危険が及ぶかもしれないことですので」
マルクスは再びバッケル子爵領の指揮をエドウィンに任せて、半数の帝国騎士を率いてカロンと共に猿型魔獣の捜索活動を開始した。
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