7-2

「なっ……」

「あ、愛するって、それはちょっと聞いてないぞ、君。よく私の顔でそんなこっぱずかしいセリフが言えたもんだな!」

 淡々と思いを吐き出すシリカに対し、改めて考え込む。

 さっきは何も答えを返すことができなかったが、今度は、すぐに言葉が出てきた。

「……ごめん。やはりダメだ。その言葉は、君を守った半年後の私に向けられるべきものだ。私には荷が重すぎる。」

 この記憶も。この痛みも。確かに自分のものであると言える。

 でもそれ故に、シリカの語る保科硫という人物像が自分の認識と離れすぎていると分かる。この二重の認識では本来のの自分と同じようにものを見ることができるはずもなく、それが何より本来の自分の時間が確かに止まっていて、己が死人であることの証明であった。

「――だが、今君は自分で未来を選び取ろうとしている。悲しむこと。楽しむこと。自分の好きに自分を自分で変化させ続けること。これは今を生きる者にしかできないことだ。君の生は今始まった所だ。」

「……まだ、分かりません。生きることに、自信が、無いんです。」

「分からなければ、求め続ければいい。必死に生きて、それでも生きることに意味がなかったと思うなら……、その時は文句も愚痴も聞いてやる。上等なコーヒーと茶菓子を用意して待っておこう。つまらない話を持ち帰ってくるのだけは良してくれよ。」

「……あの世の存在は科学的に証明されてませんけど。」

「ンァ……、君はそういう理屈っぽい所ばっかり珪に似てるな……」

 まだ納得がいかない様子のシリカに、後頭部をガシガシと掻いて一瞬考え込んだ後、保科は左手を差し出した。

「何の心算つもりですか……?」

 シリカは胡乱な目でその左手の、ピンと立てられた小指を見つめる。

「指切りだけど。」

「そんなものに、根拠はありません。」

「悪い。根拠なんてない。でも、約束しよう。君が会いたいと望む限り、僕は君を待ち続ける。」

 データと理論をかなぐり捨てて、科学者失格な感情論をぶちまける。

 しかし、きっと今の彼女にはこの言葉が届くだろうという確信もあった。

 それはきっと自分が本当の自分でないのと同じで、ある一つの思いを認識した瞬間に、人生の枝分かれがその上以外を通れなくなることを知っていたからだ。いつか出会った孤高の少女と同様に、今の彼女にはきっとそうやってただ同じ視点に立って存在に寄り添う何かが必要なのだと、思った。

 それは救いともある種の呪いとも言えるが、拾うにせよ捨てるにせよ、シリカならきっと乗り越えてくれるだろうとも、思った。

「だから約束だ。君は決して一人ではない。」

 シリカの顔を見上げる。

 しばらく眼をパチパチと瞬かせて、彼女は遂に口を開いた。

「……わかり、ました。まだ納得は行きませんが、今は騙されてあげます。……約束ですよ。」

 彼女は笑っていた。

 今日は彼女の知らない貌を見てきたが、これは間違いなく初めて見る笑顔だった。

 電子の街の管理者たる上級AIとしでも、科学者保科珪の現身としでもない。

 シリカという一つの存在としての感情が、その頬には讃えられていた。

「――いやぁ、泣かせてくれるじゃないですか。素晴らしい師弟愛ですね。とても微笑ましいです。本当に。」

 絶好のタイミングで割り込んできたシリカに向けて、珪は流し目を向ける。

「嫉妬は見苦しいですよ、オリジナル。」

「まさか。それくらい私だって言われたことありますし。でも、状況分かってますか? このまま睨み合いをしてるだけでは、先に死ぬのは兄さんの方ですよ。そしたら私がシリカを撃ちます。ハッピーエンドは許しません。」

「知ってるさ。……だからこうするんだ。」

 保科は徐かに銃身を引き寄せると、その先を自分のうなじに突き付ける。

「ちょ、兄さん? マジですか。」

「博士……?」

 シリカが保科の方へ駆け出す。

 珪は茫然として、銃を持つ手からは完全に力が抜けていた。

「そうだ。最後に一つ。――うちの愚妹を頼むよ。」

 腕に零れた冷たい雫の感触に、初めて涙が零れたのを知る。

 そして銃の引金は想像していたよりもずっと簡単に動いた。

 ――瞬間、延髄に埋め込まれた硝子チップが破壊され、少し前まで自分だったものが、走馬燈のように散らばってゆく。段々と自分と世界の境界が失われてゆくのを感じながら、自らを構成していた記憶の断片を垣間見た。


 人にも機械にも成れなかった彼女が、最後に見せた微笑みのこと。

 世界をひっくり返す計画を聞いたあの日に鳴っていた花火のこと。

 白い部屋で初めて出会った、硝子のように透き通った少女のこと。

 あの硝子の瞳に見つめられた瞬間から、この運命は決まっていたのだろう。


 ――あぁ、怖い。

 それでも不思議と心は満たされていて、これがもう一人の自分が死に際に見た景色だったのだろうかと思う。

 空にはこの世のものとは思えない程見事な花火が無数に咲き誇っていて、その一つ一つが星月夜のように網膜の裏に滲んで、歪んで、回って――、綺麗だ。

 それが最後に見た景色になった。

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