6-3

「重大なこと、ですか。」

「あぁ。結局のところ、何故君はこんな事件を引き起こしたんだ。」

 推理小説風に言えば"why done it?"か。

 この状況を収束させるためには、〝どうやって〟という問に然したる意味などないのだ。

「それは私も気になってたな。後学の為にも教えてくれないかい。」

 拳銃を向けたまま、珪は顎で回答を促す。

「……一つは先程私が推理したように、博士が私を完成させるために生体データの電子化を拒んでいたのだとしたら、私にも博士の死の責任があると考えたからです。私の存在が博士の死を招き、そして私にそれを巻き戻す術があるのだとしたら、その意思を確かめようとするのは可怪しなことではないでしょう。もう一つは――」

 そこで初めてシリカは視線を中空に向けて、言い淀むかのように言葉を切る。その頬には、また保科の知らないAIの懊悩が滲んでいた。

「――本当は私にも、よく分からないのです。博士もご存じの通り、私の経験したことは全て情報に変換され、アストラルプレーンのメインサーバーで保管されます。そしてそれらの電子記憶は必要な時に引き出されるのです。これはつまり、記憶が全く劣化せずに、現在と同じものとして覆い被さって来るのに等しいです。」

 開発段階で珪から聞いた話では、可能性として劣化しない記憶を持つシリカにとって、過去と現在は同じ場所に存在するもの――或いは未来もまた同様に――になるかもしれないという話は聞いていた。 

 胸をぎゅっと手で圧えながら、シリカは言葉を続ける。

「でも、実際に博士を失って思い知りました。博士と過ごした大切な時間は光のように過去へと飛び去って行ってしまうのに、この私の眼はずっと未来を測定し続けて止まらないのです。今も変わらず鮮明に残る取り留めのない日常が、決して戻れない過去に楔を打ち付けたみたいで。肥大化し続ける私の記憶領域の一点で、それがまるで心臓に引っ掛かった薔薇の刺のように私をずっと苛んで――、痛い。」

 そしてうつ伏せていた顔を上げる。

 真っ直ぐにこちらを向いたその眼には、確かな決意が光っている。

 それは今まで見てきたこの世の誰よりも透明で、孤高で、美しい瞳だった。

「それで知りました。私は、貴方を失いたくない。だからもし――、博士が永遠を望むのであれば、必ず私が応えて見せましょう。まだ間に合います。回答をお願いします。」

「シリカ……」

 何か言葉を返そうとして、呑み込む。

 シリカが一体どんな気持ちでこの問いを投げかけているのか、 考えれば考える程、「はい」も「いいえ」も遠ざかって、まとまりのない焦燥ばかりが思考を埋めてゆく。

 普段ならこの回転の遅い頭でももう少しまともな返事ができただろうに、過剰な出血のせいかどうにも思考がまとまらなくて困る。最早腹の痛みは感じ無くなってきていたが、それに反比例するように思考は豪雨の後の大河のように緩やかに濁りを増していった。

 クライマックスへ向けて勢いを増す花火の轟音が、鐘の音のように心臓を打つ。

 昼の太陽に炙られて温くなったコンクリートの床が、鏡合わせのように自分の体温の低下を知らせてくる。

 ――早く、返事をしなくてはならないのに。

「つくづく、君は馬鹿だな。」

 結局、先に沈黙を破ったのは珪の方だった。

「死人は帰りはしない。故にその命は誰かの心を動かし、世界に訴えかける力を得る。その点君がやっているのは、兄さんの意志を冒涜する行為だ。結果だけ受け取って過程は無かったことにしようだなんて、ご都合主義が過ぎるとは思わないかい。」

「それは……、違います! 私はただ博士のために……!」

「いいや違くない。そもそも君程の演算能力があれば、兄さんが何というか予測できるはずだろう? 態々或いは、確信したくないからあえて計算していなかったのかな……?」

 初めてシリカの瞳に動揺が浮かんだ。

「そんな……、はずは……」

「その反応だと、もしかして君自身も無意識だったのかな。まぁ、どちらにせよ結局君は独り相撲に兄さんを巻き込んでるだけだった、ということだ。ねぇ――、君はそういうのを人間社会で何というか知っているかい?」

 この上ない愉悦の笑みをニタリと顔に貼り付けて、珪は口を開いた。

「――我儘、だよ。君は兄さんのためと言ってるけど、私からすると自分の喪失感を埋めるためのエゴにしか見えないな。」

「――――っ。」

 遂に言い返す言葉を失って、ただ唇を噛み締めて珪を睨みつけるシリカ。

「言い訳も無しか。もっとお喋りを楽しんでやろうと思ってたのに、それじゃ張り合いもない。」

 ひょいと肩を竦めて、拳銃を持った左手に力を込め直す。

「せめてもの責任として、この手で介錯をくれてあげよう。さよなら。もう一人の私。」

 一方で保科もまた、内心珪の指摘に苦い思いを抱えていた。

 保科がやっていたことは、いつか自分が死んだ時にシリカが人間らしい自我を得る手助けになればという緩やかな願望だった。しかしシリカの立場からすれば、それは苦しみを植え付けるだけして文句も言えない場所へと逃げる非道な行いに違いはない。それは、今しがた珪が指摘したエゴと何も変わる所はなく、それ故に、彼女の決意に値するだけの言葉を持ち合わせているはずもなかった。

 珪は貼り付けた笑みを消して、引金に指を掛ける。

 ただ慚愧に堪えがたく、じっと己に向けられた銃口を見つめ返すシリカの顔を眺めた。

 一瞬後には自分が死んでいるかもしれないという状況になって、寧ろシリカは冷静さを取り戻したかのようだった。運命を受け入れたかのように、緩やかに唇を結んで、静かに銃口を見返す。清かな月光と、花火が溢すとりどりの光に照らされて、硝子の肌が玲瓏の色彩を帯びている。

 けして枯れぬ造花の輝きの、なんと気高く儚いことか。

 こんな状況にもかかわらず、正直彼女に見惚れていた。

 ――と次の瞬間、視線に気付いたシリカふっとこちらを振り向いて、笑った。

 まるで「大丈夫です。」と言っているようなその微笑みが、意図せず今にも泣き出しそうなのを堪えているように見えて――、それで決心がついた。

 結局、やるべきことに変わりはなかったのだ。

 まるで憑き物が降りたような気分で、ふっと笑いが漏れる。

 保科は、最後の力を振り絞ってベンチの上に半身を引きずり上げた。

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