6-2

 呼吸一つにも持っていかれそうな意識を根性で引き留めて、何とか言葉を振り絞る。

「――で、何でお前がここに居るんだ。」

「何故と問われれば、まぁそこの暴走AIを破壊するためですかね。兄さんも気付いていらっしゃると思いますが、そこのアストラルプレーン上級管理AIシリカは、現在科学局の統制を外れて独断行動を行っています。このままだと何をしでかすか分からないということで強制終了させに来ました。」

 確かに、今日のシリカの行動に通常ならざる点があったことは認める。彼女からデートの申し出を受けた時点でそれなりの警戒心を抱いたのも事実だ。

 しかし、夏祭りの間彼女の行動を見ていた限りでは、今すぐ修正が必要な程の危険性があるとはちょっと考えられなかった――というか、それなら問答無用で実銃をぶっ放す珪ちゃんのほうがよっぽど危険な気がする。

「ならば何故関係ない博士を撃ったのですか……!」

「関係ない? よく言うよ。君が彼を巻き込んだんじゃないか!」

「だったら私を先に撃つべきです! 貴女の目的は私を止めることなのでしょう!」

「だって規約で縛られている君は私に直接危害を加えることはできないだろう。私は君の製作者だからその辺は重々承知さ。その点君の人形であるの方が余程危険に違いないじゃないか。」

「――っ!」

 一撃必殺の銃を向けられながらも、変わらずポーカーフェイスを保っていたシリカだったが、その瞬間、深海のように静謐な瞳に微かな揺らぎが起こった。

「その言い方は止めて頂けませんか。如何に貴女が私の素体オリジナルといえど、許容できない暴言です。」

「解せないな。行動だけ見れば君の方がよっぽど酷いことをしているように思えるけど。ねぇ――、は楽しかったかい?」

 今度こそ完全に口を噤んだシリカと、それを見てニヤニヤと愉しそうに目を細める珪。

「……二人とも。この際人をモノ扱いしたことは大目に見てやるから、そろそろ状況をちゃんと説明してくれないかというか今すぐしろ。さもないと私の意識が先に終わる。」

「あぁ、すみません兄さん。私の妹分がどうにも可愛いものだから、少しいじめたくなってしまいまして。――まず、結論から言うとですね。残念なことに兄さんはもう死んでます。ご臨終です。」

 ――ふむ。なるほど。

 軽佻なトーンから繰り出される突然の死亡宣告の温度差に、一瞬本当に意識があの世へ飛びかける。

 というか、現在進行形で死にそうなのにもう死んでるとか言われても、情報過多すぎてオーバーキルどころか意味不明だ。

「それは……、どういう冗談だ。」

 無言でシリカに目を向けると、静かに頷いた。

「いえ、博士。彼女が仰ったことは真実です。私が――、私が、この腕で血塗れの亡骸を抱えたのですから。」

 一言一言、シリカは頬を噛み締めるように言葉を吐き出す。

「博士。あなたは昨日、研究所での勤務中、新デカルト主義の新興宗教に襲撃されて帰らぬ人となりました。死因は動脈を傷付けられたことによる出血多量です。」

「例のテロの話か。一般人への被害は無かったんじゃなかったのか。」

「一般人という曖昧な定義の言葉を用いたのが悪いです。まだ博士に真実を伝える訳には行きませんでしたから、少々言葉の綾を用いさせていただきました。」

「君が嘘を吐いたと――だが、何故私なんだ。末端研究員なんか殺したところで、何の利益にもならないだろう。」

「はい。狙いは初めからアナタじゃありませんでした。」

「――あぁ。まさか。」

 記憶から欠落していたピースが、頭の中の情報と結びついて洞察を結んでゆく。

 一瞬の沈黙。

 シリカが言葉を探している隙に、続く言葉を引き取ったのは珪だった。

「そうです。彼らが捜していたのはマザーコンピュータの端末。シリカです。」

「…………。」

「彼らにとってマザーコンピュータは神と同義ですから。どこかからかシリカの存在を嗅ぎ付けた彼らは、この子を手に入れようとした。まぁ、政治的な意図が全く無かったわけでもないでしょうけど。――ともかく、昨日の深夜、彼らは研究所に押し入ってシリカを攫う計画だったようですが、絶賛業務外労働中だった兄さんに偶然接触。その後抵抗を受けて射殺したものの、警備員が間に合って結局計画は失敗と。ここまでは事情聴取で私も知っていることですが――さて、どうして死んだはずの兄さんが生き返っているのか、聞かせてもらえるかな、シリカ。」

「……別に特別なことはしていません。博士は電子化を行っていませんでしたが、半年前の定期診断のMRIデータがあったので、それを解析して脳構造を復元、シリコンチップにして脳髄に繋げました。半年程前のデータだったのでそのまま使うことはできませんでしたが、私の記憶を基に認識を補完することで何とかしました。そのせいか過去の記憶を思い出そうとする時に、意識の迷走が起こってしまう副作用が現れてしまったみたいですが、許容範囲でしょう。」

 意識の迷走とは、行きの電車や先程花火を見ているときに起こった異様な頭痛のことだろうか。最初は酷い片頭痛か何かだと思っていたが、人体改造手術の副作用と思えば納得のいく痛みだ。

「細胞死により脳神経が復元不可能と分かった時には焦りましたが、肉体を再利用できたのは幸いでした。外装まで大幅に作り直す必要があったら、祭りを楽しむような暇は無かったでしょうから。」

 それでも計画に支障はありませんでしたが、とシリカは不敵に鼻を鳴らす。得意げな表情をしているがやっていることは立派な犯罪である。

 それにしても、これほどシリカが感情を露にすることは珍しい。

 やはり自分と祖を同じくする者として思うところがあるのだろうか。

 ――そして、この違和感の正体も半年の間に起きた変化だったのかと今更気付いた。

「……成程。道理で話が合わなかったわけだ。そりゃそうだよな。この世界は、本来私が存在しないはずの時間に存在するのだから。」

「ひょっとして、気付いてましたか?」

「まぁ。決定的におかしいと気付いたのはつい先ほどのことだったがな。」

 思えば、目が覚めた時からシリカの様子はずっとおかしかった。

 そもそも今の保科が知るシリカは、これほど何かを欲しがる存在ではなかった。彼女は科学局に創造されてから今日に至るまで、生命として満たされていない状況が存在しなかったからだ。

 人と同じ脳を持っていたって、足りないものが無ければ欲しがることもない。

 それが彼女の時間感覚の希薄さの一因にもなっていたわけだが、保科には、この状況が変化するのは恐らく自分が死んだ後になるだろうという確信めいた予測があった。

 それが自らデートなどと思い出作りを始めるだけでなく、あまつさえ永遠まで語り始めたとあれば、何かしらの時間的な異常を疑うのも不思議ではない――不思議ではないが、それだけで推理を行うのは不可能が過ぎるというものだ。

「――博士は驚かないんですね。」

 予想より遥かに淡白な反応に、シリカは拍子抜けしたように眉を顰める。

「いや驚いたさ。だがそれ以上に納得した。……でも、まだ一つ重大なことが聞けていない。」

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