5-3

 気持を落ち着かせるように、息を深く吸い込む。

 喉が震えないようにしたら、発した声は少し掠れたみたいだった。 

「さて。そろそろ私をここに連れてきた本当の理由を教えてくれても良いんじゃないかな。」

「――本当の目的? なんのことでしょう。」

「しらばっくれなくてもいい。まさか何の理由も無く君がこんなおふざけをするわけないだろう。」

 するとシリカは何かを探すように周囲を確認して、

「……そうですね。まだ時間が悪いので全ての答え合わせは辛抱いただきたいのですが、その前に一つ質問をしてもいいですか。」

「時間が悪いってのが気になるが、まぁいいぞ。」

「ありがとうございます。先程博士は祭りを楽しめているかと私に訊きました。問い返しましょう。博士はどうでしたか。私とのデートを楽しんで頂けたでしょうか。」

「私か? とにかく疲れたというのが正直な感想だな。でもまぁ、たまにはこういうのも悪くない。毎日同じ事ばかりをしていると脳が腐るからな。」

「それでは質問の答えになっていません。ちゃんと答えてください。」

「……分かったよ。あぁ。楽しかったさ。」

 実際死ぬほど疲れたし、あと一年は勘弁してもらいたい所ではあるが、楽しかったのは確かだ。乾いた身体に染み渡るサイダーのように、全身に行き渡る気怠い疲労感がそこはかとない幸福のようなものを演出していた。

「そうですか。なるほど。」

 シリカは不意にすっと立ち上がり、一歩前に進んでこちらを振り返る。

 無数に打ち上がる花火を背景にして立つ彼女の姿は、月の滴を象った月下美人の輝きだった。更に花火の色彩を映していっそ神々しさすら纏った輪郭の内で、小さな口が僅かに開かれる。

「博士は、やはり生体データの情報化を行わないのですか。」

 いつものように怜悧で、冷徹で、玲瓏な声。

 感情を抑圧するようにいつもと比べてむしろ小さい位の響きだったが、それでも不思議と鮮明に耳に届いた。

「随分藪から棒な話だな。急にどうした。」

「博士は、今日を楽しかったと言いました。でも、生身の肉体である博士は、その記憶も、そのうち忘れてしまうのでしょう。博士は、それでも良いんですか。」

「……良くはない。だが良し悪しで測れる問題でもないだろう。そもそも情報化も義体化も私の流儀に反すると言ったはずだ。」

「はい。確かに聞きました。しかし、今の私にはそれが嘘であろうことも想像できます。」

「……嘘か。」

「はい。確かに博士が情報化を好ましく思っていないことは知っています。しかし、憎む理由も存在していないはずです。それなのに未だ貴方は生身の肉体を維持したままでいる。これは何故でしょう。」

 名探偵のように一歩ずつ理論を詰めてゆくシリカに、何も答えることができない。

「ここからは私の勝手な推測ですが――、博士は自分の死によって私を完成させようとしたのではないですか。私には生物間的な時間感覚や目的作成能力が欠如しています。幾ら人間の脳を持っていても、それらを惹起する基準が存在しなければ意味がありません。博士はそれを親しい人間の死という喪失体験を以て克服しようとしたのではないですか。」

「成程。悪くない推理だ。だが、君らしくないな。話の結論が判然としない。結局何が言いたいんだ。」

「一つ、提案があります。私はその技術的問題を解決する方法を知っています。ですから――」

 シリカは一旦言葉を呑み込み、スゥと息を息を整えてから言った。

「私と共に永遠を生きる気はありませんか。」

「――――っ。」

 何か答えようとして、でも適切な返事が見つからなくて、それを奥底に呑み込む。

 彼女の言いたいことが理解できなかった訳ではなく、論理が間違っていた訳でもない。

 その言葉の意味するところに、強烈な矛盾を見つけてしまったからだ。

 しかしその矛盾が現実にあるのだから、間違っているのは私の方だということになってしまう。

「――っ⁉」

 その瞬間鈍い痛みが脳裏に閃いた。

 表情にこそ出さなかったが、脳髄を掻き回されるような嫌な感触に、思わず奥歯を噛みつぶす。

(これは列車で感じたのと同じ……)

 いつか、同じ場所で同じように質問をしてきた少女がいた。

 あの時自分はなんと答えたのだったか。

 祭りと、花火と、空中庭園。

 酷い頭痛に歪められた現在に、忘れかけた過去の情景が二重写しで流れ込んでくる。

 ――いや、違う。それは結果に過ぎない。

 私は何かもっと決定的に大事なことを忘れている。

 底知れぬ義務感に突き動かされて、執念深く記憶の糸を手繰ってゆく。

 彼女にデートに誘われた時から抱き続けていた強烈な違和感。

 その原因に手が届きかけようとした――、その時だった。

 薄らぐ現実感の向こうで、コツコツと無機質なリズムを刻む足音が近付いてくる。

 夢の中のように、自然で、他人事めいた響き。

 保科の背後に目を向けたシリカがそこに何かを見つけて声を上げる。

「博士――!」

 振り返ろうとして、その時遠くの空に一際大きな打ち上げ花火が、パッと花弁を散らした。

 星空を呑み込む夏の怪物のような火の華に、一瞬だけ気を取られて――

 それと同時に、異様な衝撃が脇腹に弾けた。

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