5-2

 まるで舞台の最終段の幕開けのように、ゆっくりと扉は開いた。

 まだ太陽は沈んでいないようで、微かに色付く紅に縁どられて空中庭園は全貌を現す。

「どうやら間に合ったみたいだな。」

「ええ。何とか。博士がもう少し階段で急いでくれれば余裕だったのですが。」

「あんな地獄みたいな階段を駆け足で上るとか、昭和の運動部でもしないと思うぞ……」

 随分長い間放置されていたのだろう。

 伸びに伸びた植物は花壇から溢れた土の海を辿って、巨大なテラリウムを生み出していた。薄闇の中、歩道に覆いかぶさるように倒れた黒い影を見つけて何かと思えば、生垣で作られた人型のモニュメントだった。そういえば以前来た時にはマスコットの形をした大きな動く生垣があった。

 きっと剪定がされなくなったせいで自重を支えられなくなったのだろう。完全に息を失って、退廃の景色に溶け込んでいる。

 これがかつてはバビロンの空中庭園にすら擬えられた景観の成れの果てだった。

 技術の隆盛を極めた人の足跡は、こうして緑に溺れてゆく。

 築き上げた黄金の軌跡さえも無に帰して、人は一体どこに行くのだろうと。

 まるで長年連れ添った相棒と別れるように、しみじみと朽ちた機械を見送って、――二人はついに目的の地に辿り着いた。

 荒れ果てた庭園の中を海に近い方へと進んでゆくと、そこには少し開けた広場があっておあつらえ向きにベンチが一つだけポツンと放置されていた。どちらが言うまでもなく、自然と二人はそのベンチまで行って、腰を降ろした。

「なるほど。これは間違いなく特等席ですね。」

 そこからは海が大パノラマで見物できた。

 ここまでじりじりと燻り続けていた太陽も、遂に潰れたオレンジのような歪なシミを水平線の上に残すのみとなった。そして融けた蝋燭の火が消える刹那に投げかける最後の一灯のように、一際明るい輝きを零して、水平線の奥へ燃え尽きた。

 紫と黒のあわいを揺らめく、冷えた血の色が広がる海面では、まるで亡者のような引き波が弱々しい光を海底へと沈めている。きっと落ちればきっと二度と這い上がることはできない、奥底へ。

 近景に眼を遣ると人は皆米粒位の大きさになって、ちょこまかと海岸を歩き回っている。よくこういう時人の動きはアリになぞらえたりするが、どちらかといえば北欧のカラフルな民族衣装のように見えた。

 街全体が一様にそわそわした雰囲気で、花火が撃ちあがる一瞬をいまかいまかと待ちわびている。

「そろそろみたいですね。」

 それは遠雷の落ちる前触れによく似ていた。

 はっと息の詰まるような沈黙と、うなじの毛が逆立つような緊張感。

 次の瞬間、巨大な火の花弁が一つ、真っ黒な夜空に咲き昇った。

 遅れてやってきたドン! という爆轟に連なって、その両側にまた少し小さめの打ち上げ花火が打ち上げられる。

 一――、十――、三十とすぐに数は数えられなくなって、気付けば意識は目の前の光景へと没入してゆく。その一時、本当に保科はあらゆる策略も疑念も忘れて千紫万紅の色彩に魅入っていたのだ。

 光のアートはそれだけでは終わらない。不意に、散っていった花弁の残滓が一つ、まるで意思を持ったかのように動き出す。また一つ、二つと光の軌跡がARグラスの映し出す仮想現実上に立体交差して、蝶に鳥など様々なイメージを描き出す。それはまるで天が紡いだ絵巻物のようで、圧倒的な情報量を前に心は一瞬で奪われてしまう。これは嘗て同じ場所に座ったことのある保科にも知らない仕掛けだった。

 きれいだった。

 心臓を震わせるような轟音の鳴り響く中で、いっそう時は穏やかに流れていった。

 しかし、その衝撃にもやっぱり心が慣れてきて、はっと本来の目的を思い出す。

 幸福とは短い故に輝かしいのだと、誰かが言っていたのを思い出す。

 まるで終わりのない物語など存在しないように。

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