アクアリウム-外伝-
咲良 水人
第0話 プロローグ
深い。
底の無い海をただ、ただ揺蕩い沈む。不思議と苦しくはない、それどころかまるで聖母に包まれているかのような深い安堵に穏やかな心だった。やがて訪れる静寂と安寧の眠りに最期の意志が途切れると二度と覚めることの無い無に溶けていった――はずだった。
「ッハ!?」
再び脳を駆け巡る光、音、温度すべての感覚が"生きている"ということを実感させると同時に「そんなはずはない。」と確かに白い病室で無機質な電子音とすすり泣く声を最期に私は命を手放したはずだ。
「木?空?ここは......森?」
ますます混乱する、何が起きたのかは分からない。だがしかし今こうして身体が動かせる、生きているという事実だけは認めなくてはならない。せめて現在地だけでもと周りを見渡してみるも木、木、木。多少開けた場所と今にも朽ちそうなボロ小屋が一つ。
「なんだ......これ......?」
妙に低いと感じる視界とは別に身体の違和感を覚えた。その正体を探るべく恐る恐る手で掴み目の前に持ってくる。
「ふわふわの毛......耳......?それもかなり大きい.......。」
不思議な感覚だった、現実的に存在しえないだろうという獣の耳が生えているのだ、しかしそれだけではない、ご丁寧にも丸い尻尾まである。それはまるで過去に自らが描いていた物語の主人公のような見た目だった。
兎にも角にも、考えるのは後にするとして今は少しでも落ち着ける場所を確保しようと動き出す。幸い視界に見えたボロ小屋は案の定無人だ、屋根や壁は腐食が進んで
はいるものの少し補強できればしばらくは住処として使えるだろう。他には何かない
かと探し古錆びた床下の蓋を近くにあった手頃な木の棒をてこの原理を使いこじ開け
てみれば保存食として用意していたのであろうジャムの瓶や油、砂糖などが見つかり
口にしてもおそらく大丈夫だろうというものを選別しその場に保管、目印を付けた。
「ベッドは......流石に使えないか......。」
朽ち果てており精々使えるものは布を剥いでものを包む袋や簡易的なカーテンにす
るくらいだろう。こればかりは仕方ないので後で森の草木で寝床を確保しようと思う。
「僅かな食糧にいくらかの板材、あとはよくわからない石か......。」
水晶のようにも見える色鮮やかな石をいくつか手に取り眺める、綺麗だ。しかしその石をよく見ていると頭の片隅でこれが何のために使う道具であるのか知っているよ
うな気がした。石を外に持ち出し周辺で草木の少ない場所、土肌が露出した地面に並
べた。
「まぁそんなことはないはず。これは一つの実験......。」
幾つかある石の中で赤みがかったものを一つ、更に白く濁ったものを一つ手に取った。いくつかの小石で土台をつくりその上に赤い石を安定するように置き白い石を掠めるようにコツンとぶつける。すると「ボウッ」と一瞬炎が赤い石から吹き出した。
「なるほど......。」
仮説が的中してしまった。そのことにどこか気まずいとも思える感情を抱いてしまう。なぜならこれらは自ら描いた物語の世界での常識にすぎないのだから。赤の魔晶は火の術式を、白の魔晶は純粋な魔力の保存を。わかりやすくたとえるならば電球と電池に置き換えるのだ、赤の電球が光る為には白の電池のエネルギーが必要ということだ。
「だけどこの世界が"アノ"世界だとはまだ確証を持つには早い......。決定的な情報が必要。」
存外、見知らぬ土地で目が覚めたにも関わらずこの状況に適応してしまっている自分にいささか驚いてはいるものの、それと同時に好奇心とを抱いていた。それは思春期の男子がある日急に訪れた非日常で自らが英雄になるという妄想が今まさに目の前に訪れようとしているかのような興奮によく似ていたのだ。
「さてと!火が使えるとわかれば一気に水準が上がる。おそらく青いのは浄水の魔晶だろうから水をどこかで確保できれば安心か!」
こうして彼はただ一人、森の秘密基地のような小さな住処をコツコツとああでもないこうでもないと一つ、二つ、三つと太陽と月の流れを越えて作り上げていったのだ
った。
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