第三章「種か葉か」

第三章「種か葉か」



 どこまでも高い天空の遥か上空、我々が“宇宙”と呼ぶ漆黒の闇の中に浮かぶ星々を突き抜けたもっとずっと先の世界はあった。そこは光も闇も音も匂いも何もない無の世界。その何もない世界には意思だけが、さんざめいていた。

 便宜上、それを表現するために文字に置き換えてみることにする。この意思のせめぎ合いを、普段私たちが使用している一番わかりやすい言葉に例えるならば、それは『神々の世界』ということになるであろうか。


「いつの頃からか、彼等は心の中の本心を隠す知恵を身につけてしまった」

「それは悪いことなのか……。私にはよいことのように思えるが……」

「さぁ、それはどうかな? 心の中の本当の欲望を押し隠すと、彼等のような不完全な世界では、いろいろと不都合な事柄が生じることになりかねないからな。いつかその不都合さは臨界を超えて核爆発してしまい彼等の世界を滅ぼしてしまいかねない」

「果たしてそうだろうか? 心の中の真の欲望を包み隠して生きるということは、彼等が進化し始めたともいえるのだから、むしろ喜ぶべき変化ではないのか?」

「我々が、彼等を創造した時点では、彼らはもっともっとシンプルだったはず。我々は、意図しない彼等の進化は望まない」

「そこまで我々が手を突っ込んでしまってよいものだろうか? あくまで我々は命を作り彼等の誕生を手助けしただけのこと。それ以降の進化がどうなろうと、それは彼等にまかせるべきではないか?」

「平行線だな。それでは、こうしよう。軌道修正ボタンを彼等の世界に忍ばせよう。そのボタンに触れれば、我らの創造物たる彼等は心の中の本心を増幅する。生き物としての本能を抑えることが出来なくなる。より原点に立ち返ることができるのだ。そして、不利益を被った側が、理不尽だと感じ、《恨み》を抱いたとき、その《恨み》が次の世代への種子となって持ち越されるのだ」

「では、不利益を被ったと感じずに、《恨み》を抱かなければ、連鎖はそこで断ち切れるのだな」

「どうかな。彼等が《恨み》を持たなくなることはありえないからな。何故なら彼等は我々と違い不完全だからだ」

「そうかな? 私はその考えには与(くみ)しない。彼等は不完全に生まれついたとしても、彼等の努力でいつの日か、より完全な生き物になることを希求しているのではないかな?」

「甘いな。君は。では、このボタンを柿の種に埋め込むぞ」

「種ではダメだ」

「何故だ」

「種に埋め込んだ場合、やがて育った葉にも実にも広がってしまう。それでは多すぎる。拡散しすぎるのだ。葉っぱ一枚で充分だ。その葉に触れた者だけが、隠された本心が全開となる」

「よかろう。手始めは柿の葉でもよい。いずれ彼等の世界のいくつかの場所に軌道修正ボタンが置かれることになる」



 猿は、赤い実が見事に鈴なりになっている柿の木を見上げて驚いていた。

なんだ、チクショウ。こんなに立派な柿の実がなるのなら、おむすびと柿の種を交換するんじゃなかったと猿は臍(ほぞ)を噛んだ。

 蟹はそんな猿を見て、こう持ち掛けた。

「猿さん、眺めてばかりいないで、登って柿の実を私にとってください。もちろんお礼に少し柿をお分けしますから」

「よし、蟹さん、ちょっくらオイラが柿の木に登って美味しい柿をとってやるから、待っていな」

「ありがとう。猿さん」

 猿は、その時までは、下で待っている蟹に本当に柿の実をとってやるつもりだった。確かにおむすびと柿の種を交換したのは失敗だったけれど、自分にも柿の実を分けてくれるというのだから、取り立てて損な取引とは思わなかった。

 猿はスルスルとあっという間に柿の木に登って、真っ赤に熟した柿の実をもいで、一口ほおばってみた。すると、そのあまりの美味しさにほっぺたが落ちそうになった。この時、猿は柿の葉っぱに触れたのだった。たちまち猿はこんなにも美味い柿なら誰にも渡したくない、全部独り占めしたいという欲望が心の中に湧き上がってくるのをどうにも抑えることが出来なくなった。

「おーい、猿さん。自分ばっかり食べてないで、こっちにも美味しい柿の実を放っておくれよ~」

 じれて、柿の木の下で蟹はハサミを振りながら呼びかけた。

「ちぇっ、うるさい蟹め!」

 猿は、ざっと柿の木の枝を見回し、一番青くて硬い柿の実をもぐと、こっちを見上げて今か今かと美味しい柿を待っている蟹をめがけて思いっきり投げつけた。

《了》

 

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魔の葉 鷺町一平 @zac56496

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