第八話:悪夢


 この未曽有の大災害において、市民の安全を確保し、町の復興に尽くそうと日々全力で取り組んでいた。

 身勝手な自警団や非協力的な町の住人に失望し、士気はどんどん下がっていった。それでも、人々を護るという自らの立場に誇りを持ち、寡黙に任務を遂行していた。

 そんな矢先に起きた警察署の全焼事件。消火活動を妨害する市民グループと対峙するうち、疑問が湧いた。

 こんな連中を、一般市民だというだけで護る価値があるのか? 我々が護るべき対象は、本当にこいつらなのか? と。


 その事件で負傷した私は、入院していた総合病院で野木院長の徹底した管理主義、理想郷思想に触れた。私は目が覚めた。今までの認識は、根本的に間違っていたのだ。

 我々が護るのは"法"だ。法を犯す者を検挙し、法に従う善良な者を護るのが我々の役割だったのだ。そして、護られるだけの価値ある"法"は、野木院長の掲げる理想郷にある。

 退院した私は、賛同する部下を率いて、野木院長の傘下に入った。装備は機動隊のものをそのまま流用している。

 私は、施設警備隊『浄滅隊』の隊長として、野木院長と病院に尽力する事を誓ったのだ。

 理想郷実現の障害となるモノは、全て排除する。良いものだけが選ばれる、この世界には精査が必要なのだ。


 そして、目の前にいる異常感染者。道中にも遭遇した『適応者』を名乗る不死病ウィルスのキャリアなる存在。彼等は浄滅しなければならない。


「殲滅しろ」




 常呂谷隊長の合図と共に、放たれた無数の矢がススムの身体に突き刺さった。


「……っ!?」


 咄嗟に防御態勢を取ったススムの腕を矢が貫通し、ニット帽を引っ掛けて斑模様の浮かぶ顔を露にする。腹部や胸部に突き刺さった部分からは血が滲みだして、白いシャツを染めていく。

 玄関前の騒ぎに何事かと集まっていた患者や、病院のスタッフ達から悲鳴が上がった。


「おいっ、撃たれたぞ!」

「嘘でしょ……」

「あいつら警察じゃないのかっ」


 若い職員が武器になりそうな物を手に取り、別の職員がそれを制止する。小さい子供の目を覆いながら窓から離れる母親達。救急箱を取りに行く看護婦など、病院内は混乱と喧騒に包まれた。


 そんな様子を捨て置き、浄滅隊は粛々と自分達の任務を遂行する。


「次弾、装填完了!」

「撃て」


 再び無数の矢を全身に受けたススムは、そのまま仰向けに倒れ伏した。ススムに感染者識別センサーを向けていた隊員が、観測した状態を報告する。


「目標の活動停止を確認。殲滅、完了しました」

「よし、良くやった」


 部下達を短く労った常呂谷は、ヘルメットのバイザーを上げると、高圧放水器の一撃による気絶から回復した里羽田院長に向き直る。


「お、お主ら……なんという事を……っ!」

「何を騒いでいる? こいつは既に発症者のステータスだった」


「でも、普通に会話もしてましたっ」


 非難を向けて来る里羽田院長や病院のスタッフに、常呂谷は自分達の活動の正当性を述べる。


「意思疎通が出来たから何だというのだ?」


 むしろ、なまじコミュニケーションを取れる状態なのは厄介だった。人間の生活圏に、不死病のウィルスを撒き散らされる事になるのだ。


「貴様も医者なら、弁えて然るべきだったのだ。あのような異常感染者を大勢の患者の近くにおくなど愚の骨頂」


「知った風な事を言うなっ! 何も知らん若造が!」

「先生、御身体に障ります」


 拳を震わせて激昂する里羽田院長を、傍らで支える看護婦が宥める。


「ふん……まだ目が覚めないようなら、もう一発冷や水を浴びせてもよいが?」


 そう言って常呂谷が忠告すると、高圧放水器を構える部下が放水銃に水を装填して威嚇した。

 流石にクロスボウやアーチェリーを向けて来る事は無かったが、先ほど里羽田院長が吹き飛ばされた事で高圧放水器の威力は周知されており、非難の視線は消えなかったものの、皆が黙り込む。

 静かになった病院の人々を満足そうに見渡した常呂谷は、目的遂行に向けて話を進めた。


「さて、時間は有効に使うべきだ。正常な世界を取り戻す為に、血清の回収に協力願おう」



 その時、ざわりとした空気の揺らぎと共に、倒れていたススムの死体に異変が起きた。


「……なんだ?」


 露出している顔の、青紫の斑模様をした肌に浮かぶ黒い血管が、オレンジ色に発光を始めたのだ。そして、無数の矢が刺さった腹部や胸部、腕や足といった部分では、服の中で何かが蠢いていた。


「何が起きている?」


 常呂谷はセンサーを持つ部下に視線を向ける。部下の報告では、ウィルス腫瘍反応が活発化し、かなりの高温になっているとの事だった。


 今までに処理された発症者に関する情報に、このような現象は報告されていない。警戒する浄滅隊。

 成り行きを注視する里羽田院長と病院関係者達が見守る中、ススムの服の隙間から脈動する血管のような無数の管があふれ出て来た。


 肉体の崩壊でも始まったのかと思われたその現象は、さらに奇妙な動きを見せる。あふれ出た管がススムの身体中に巻き付き、まるで蠢く肉塊の如く全身を覆ったのだ。

 肉塊はやがて人の形をかたどり、脈動する肉の鎧を纏った異形の姿を形成した。


「これは……一体」


 常呂谷の内心に、強い警鐘が鳴り響く。これは危険だ、と。異形化して二回りほど大きくなったススムが、身体中から蒸気を噴き出しながら、ゆっくりと立ち上がった。


「撃て! 殲滅しろ!」


 危機感を覚えた常呂谷は、直ちに攻撃命令を出した。一斉に矢が放たれるが、命中したそれらは異形の身体に刺さらず、バラバラと地面に落ちた。

 跳ね返したというよりも、鏃を通さない弾力と衝撃吸収で矢の攻撃力を無効化したのだ。異形化形態のススムが浄滅隊に顔を向ける。

 まるで"死"そのものに視られたかのような悪寒を感じた常呂谷は、己の切り札、38口径の拳銃を取り出した。


「この――化け物め! 攻撃を続けろ! 撃て撃て!」


 次々に矢を放つ浄滅隊の攻撃を、その体躯からは考えられないような速度で横に避けた異形が、攻撃の姿勢を取った。


「っ! 来るぞっ、迎撃用意!」


 拳銃を構えた常呂谷は、迷わず引き金を引いた。タンッ タンッ タンッ と乾いた発砲音を響かせ、発射された弾丸が突進して来る異形の額に命中する。

 しかし、弾丸はいずれも表面に少しめり込んだところで止められていた。尚も発砲を続けようとした常呂谷の身体に衝撃が走り、足元が浮く。


「隊長!」

「っ!?」


 異形の放った一撃は、突き出した腕先が槍のように鋭く突起すると、常呂谷の胸部を防弾ベストごと易々と貫き、背中まで貫通した。そのまま持ち上げ、薙ぎ払うように地面に叩きつける。


「っ――ごほ……っ」


 血飛沫に染まるアスファルトの上で、常呂谷は驚愕に目を見開いたまま、大量に吐血しながら絶命した。


「う、うわあああ!」


 浄滅隊の隊員達からクロスボウやアーチェリー、インパルスが撃ち込まれるも、異形にはまるで効果が無い。


「て、撤退を――」

「ひぃ!」


 距離を取ろうとした隊員二人に素早く接近した異形は、両手にそれぞれ捕まえると、それを武器代わりにして浄滅隊を蹴散らしに掛かる。

 足をつかまれて鈍器のごとく振り回された隊員は、何度も叩きつけられているうちにヘルメットが吹っ飛び、頭が潰れて中身を周囲にぶちまけた。

 恐慌状態に陥って逃げ出そうとした者には、その死体が投げつけられた。フル装備の死体を時速80キロ近い速度でぶつけられた隊員は圧死。

 もう片方の隊員は振り回されているうちに首の骨が折れたらしく、ヘルメットが変な方向をむき、力の抜けた手足が人形のように垂れている。


「あ……あ、ああ……」


 感染者識別センサーを向けていた非武装の隊員は、腰を抜かして座り込んだ。センサーには、不死病のウィルス腫瘍で形成された人型という、異形の観測情報が示されていた。

 その情報は確認される事も無く、振り下ろされた異形の一撃によって潰れた観測隊員の、残骸の赤に埋もれたのだった。




 中洲地区にある中央病院の一室にて。患者の容態を確かめる里羽田院長。昼間の一騒動も、夜になる頃には大分落ち着いていた。

 ベッドで眠っているのは、青紫の斑色の肌をした青年。一応、この病室には人払いをしてあり、特定の人間以外は立ち入り禁止の処置を取ってある。


「ふむ。呼吸は安定しておるな」

「……先生、やはりあの血清は使わないんですか?」


 診察を手伝う看護婦が怯えた口調でそう訊ねる。里羽田院長は、彼に対する血清の投与をきっぱりと否定した。


「彼自身が決める事だ」

「でも……」


 目を覚ました後、あるいはこのまま眠り続けていても、再びあの恐ろしい異形と化して、暴れたりしないだろうかと、彼女は内心の不安を吐露する。


「彼は、以外誰も傷付けておらん。心配せずとも、わしらを襲ったりはせんよ」


 里羽田院長はそう言って笑うと、他の患者を診に席を立った。後に続く看護婦は、身に着いたプロの習慣で「お大事に」と呟いて病室を後にした。



「…………やっちゃったなぁ……」


 静かに目を開けたススムは、暗い病室の天井を見上げながら呟く。正直、何をしたのかさっぱり覚えていないのだが、何があったのかは意識が戻って直ぐ理解した。

 右手を上げて手の平を見つめる。自分はまだ自分だろうか? 意識が無くなると、異形と化して殺戮を働くなど、恐ろしくて寝る事さえ出来ない。


「まあ、寝られないんだけど」


 先日マンションの自宅で目覚めてからここまで、食欲も睡眠欲も沸かないでいる。

 発症者と同じ状態で、発症者よりも危険な要素を抱えているこの身体が、本当に自分のモノでは無い気がして不安になる。


(なるべく早くここを出よう)


 一つ溜め息を吐き、ペタリと腕を降ろしたススムは、窓から夜空を眺めながら、朝までの時間を憂鬱な気分で過ごしたのだった。


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