遠征の始まり

第四話:遠征・造花の寄り道


 自宅に帰って来たススムは、気持ちを切り替えて遠征の準備を始めた。出発は夕方を過ぎてから、暗くなる頃に出る予定だ。移動は基本的に夜間にしようと考えていた。

 まずは足となる自転車を探すべく、自転車置き場まで足を運ぶ。鍵を外す為の工具も持参している。スポーツタイプではなく、籠のついた丈夫で安定性の高いママチャリが理想だ。


「ゾンビが~チャリでやって来る~」


 などと自虐ソングなど口ずさみながら物色する。昨今、ゲームや映画の中だと、飛んだり跳ねたり走ったりするゾンビも珍しくなくなったが、ママチャリに乗って移動するゾンビはそうは居ないだろう。


(まだゾンビじゃないけど)


 そうして手ごろな自転車を確保すると、家に戻ってスマホのMAPアプリで目的の病院までのルートを確認する。


「あ、そうだ。確か地図が押し入れに――」


 スマホは手回し式充電器もあるので、この先電気が止まってもしばらくは使えそうだが、紙媒体の地図も用意しておけば安心だ。


 バックパックにアタッシュケースを収め、一応タオルや着替え、水入りペットボトルにスナック菓子なども隙間に押し込む。

 ウエストバックにはフラッシュライトと小物の工具類。それに手帳サイズの地図を詰め込んだ。


「これでよし。後は夕方まで休んでいよう」


 一眠りしようかと思いベッドに横になってみたが、特に眠くなる事はなかった。

 空腹も感じていなかったものの、朝から何も口にしていないので、とりあえずレトルトパックのご飯とおかずを開けておいた。――が、味はしなかった。



 人の営みが消えた町。道脇に並んだ街灯が、荒廃し始めた通りや建物の惨状を照らし出す。予定通り、陽が沈むころに出発したススムは、一時間ほどで隣町との境目まで来ていた。

 目印となる高速道路の高架下を通り抜け、町の中心部に敷かれた大通りに出る。この辺りも放置された事故車が多く、車で通り抜けるには難儀しそうであった。


 永遠に渋滞している大通りを自転車ですり抜けていたススムが、大きな交差点に差し掛かった時だった。


「うん?」


 信号が明滅する交差点の真ん中を、小さな人影がうろついている。初めは徘徊している発症者かと思ったのだが、その人影はススムを見つけて足を止めると――


「あ」


 と言ってこちらを指差した。それは、中学生か高校生くらいの、ショートヘアーの女の子だった。ススムを指差していた女の子は、ふりふりっと手を振って見せる。


「ん? 俺?」


 自転車を止めたススムは、後ろに誰も居ない事を確認すると、女の子に手を振り返してみる。すると、その女の子はパタパタと駆け寄って来た。


「生きてる人だ~、よかったあ」


 何だか緩い感じのする口調でそう言うと、ほっとしたような笑顔を見せた。



 野々原ののはら美比呂みひろ。そう名乗った彼女は、この町に住む女子高生だった。大混乱が起きた当日は学校に居たらしく、色々あって今日までどうにか生き延びて来たという。

 ススムが自分は今この町の病院に向かっている途中である事を説明すると、彼女は病院に向かう道すがら、近くにある学校まで連れて行って欲しいとお願いして来た。


「友達はみんな、ゾンビみたいになっちゃった。わたしだけ逃げて来て生き残ったけど、さいごはみんなと一緒にいたいから……」


 今はもう電車も動いていない。歩いて行くには道中に発症者が多く、積極的に攻撃して来るタイプが何体か居るので、辿り着ける気がしないのだと。


「え、そこは避難所に行こうよ」


 ススムがそう促すも、ふるふると首を振った彼女は、自分は避難所には入れないのだという。


「わたしはもう、感染してるから無理みたい」

「え……」


 美比呂によると、ススムが目指している総合病院がこの町の最大の避難所になっているのだが、彼女は数日前に入館を拒否されていた。


「出入り口にサーモグラフィーみたいな機械があって、その前に立つと感染してるかどうか分かるんだって」


 学校を出た美比呂が病院に保護を求めたところ、感染しているからと追い返されたそうだ。

 家には誰もいない。家族は多分、どこかで発症者になって徘徊している。一人であんな風になってうろうろするのは嫌。


「触ったら感染するらしいし、首に紐くくりつけて引っ張って行ってくれてもいいから、お願い」

「いや、それはちょっと」


 いくらこんな世界だとは言え、流石に女子高生の首に紐を付けて町中を連れ歩けというのは、難易度高過ぎるとススムは尻込みする。


「それに、俺はもう感染してるから、触れても大丈夫だと思う」


 ススムはそう言って、実は自分も感染者なのだと明かした。すると、先程までススムから少し距離を取る位置をキープしていた美比呂が、一気に近付いて来た。


「え、あなた感染してるんですかっ?」

「い、一応は」


「わたしもですっ」

「知ってます」


 何だか急にテンションが高くなる美比呂。どうやら気持ちを分かり合える仲間を見つけたように感じたらしい。目の前にまで迫った彼女の肌は、特に変色しているようには見えない。


「感染してる者同士なら……いいよね」

「え? な、なにが?」


 美比呂の白い首筋や胸元に視線を持って行かれているススムに、彼女はぽつりと囁くように呟いた。



 夜の繁華街。徘徊するのはサラリーマンの酔っ払いでは無く、顔色の悪い発症者達。

 ほとんどの店はシャッターも閉じたままで、電気も消えているが、朝から晩まで営業していた店は開かれっ放しで電気も煌々と灯っている。

 店内のBGMも流れっ放しになっているところには、音に惹かれた発症者が群がっていた。


 今、ススムと美比呂は、駅前にあるゲームセンタービルに来ていた。

 美比呂は、まだしばらくは身体も大丈夫そうなので、「ヴヴヴ人になる前に思い残した事をやっておきたい」と言って、ススムを『デートのようなもの』に誘った。


「わたし、こういう経験した事なかったから……」

「俺も女子高生とデートするのは初めてだよ」

「のようなものっ!」

「はいはい」


 デートとハッキリ言われるのは恥ずかしかったらしい。

 ゲームセンターの中は一階にこそ徘徊というか、周りの音に惹かれて右往左往している発症者を数人見掛けたが、飲食店階を挟んで上の階には誰も居なかった。

 フロアと筐体の電源も落とされていたが、スタッフカウンターのところにある配電盤のスイッチを入れて動かせた。

 ちなみに、ファーストフード店が入る二階と三階には廊下にバリケードが築かれており、ここに籠城しようとした人達が居たようだ。

 ビルの外から見た限り、バリケードの奥には発症者しか居ないようだが。


「わたし対戦ゲームとかはできないからね」

「俺もあんまりやった事はないなぁ」


 とりあえずプリクラなど撮ってみる。らくがき機能で画面に線を描けるタイプで、美比呂は自分の頭のところに触角など書いていた。


「感染系女子!」

「笑えん」


 バイキンをイメージしていたそうな。今時の女子高生のセンスはよく分からんと唸るススム。出て来た写真は二人で分けあった。


「そう言えば、ススム君は身体は大丈夫なの?」

「んー、俺は何か発症前後で安定してるっぽい」


 もうとっくに発症していてもおかしくない時間が経っているのだが、今も特に変調を感じる事は無い。ススムは、黒田からもっと詳しく訊いておけなかった事を悔やむ。


「へ~、それって、何か特別な人っぽいねっ」

「う~ん、どうなんだろう」


「感染超人ゾンビマン!」

「笑えん」


 別に超人じゃないしとススムは苦笑する。美比呂の最後の思いで作りという、悲壮な動機によるデートでありながらも、二人は割と心から楽しんでいた。


「う~ん、あの子ほしいけど……」


 角の付いた小熊という可愛いぬいぐるみの景品を見つけた美比呂が、アクリルパネルのショーウィンドウにべたっと張り付いて目を輝かせている。

 一回500円のクレーンゲーム。


「やってみたら?」

「小銭がないの」


 哀し気な目で見つめて来る美比呂に、ススムは「俺もないの」と返してジト目を向けられたりしつつ、小銭の確保に動く。


(スタッフルームから拝借して来よう)


 ちょっと待っててと席を外し、スタッフカウンターのドアから奥の事務所内に入って物色する。手持ちの工具で机やロッカーの鍵付き引き出しも簡単に開けられた。ものの五分で美比呂のところに戻る。


「500円玉取って来た」

「うわー、ススム君悪い人だー」


「ほほう、美比呂ちゃんはこの硬貨が欲しくないと」

「わたしは悪い子ですっ」


 そんなこんなで、美比呂が「身体がふわふわする」と言い出す夕方頃まで遊んだ二人は、ゲームセンタービルを後にした。電源はしっかり落としておいた。



 自転車を押すススムの隣を、美比呂が付いて歩く。戦利品の『角熊つのくまベビー』をしっかり胸に抱えている美比呂は、楽しかったとススムを見上げて微笑んだ。自然とススムの頬も緩む。


「ねえ、ススム君。もう一つ、お願いしていい?」

「うん? 何でも聞くぞ」


 美比呂の案内に従って閑静な住宅街にやって来たススム達は、一軒の家に辿り着いた。表札には『野々原』と記されている。ここは美比呂の家らしい。


「入って」

「お、おじゃまします」


 落ち着いた雰囲気の内装で纏めた、ごく普通の一戸建て。ススムは、綺麗に片付いた家の中を見ていると、美比呂は良い家庭で育ったんだなと思えた。


「こっち」

「う、うん」


 二階にある彼女の部屋に案内されたススムは、ちょっと落ち着かない気分でキョロキョロと部屋の中を見渡す。

 勉強机にベッド、白いクローゼット。ポスターなどは見当たらないが、ぬいぐるみは多かった。


「もー、あんまり部屋の中ジロジロ見ないでよー」

「あ、ごめん」


 美比呂は恥ずかしそうに言いながら、角熊ベビーをベッド脇に並ぶぬいぐるみ達の一員に加えた。そうしてススムに向き直ると、少し表情を改めながら言った。


「わたしがヴヴヴ人になったら、制服に着替えさせて欲しいの」

「え? 着替え?」


 美比呂は、感染者が発症者になる時、身体から何かどろどろ出るのを見たという。制服が汚れるので、服を着たまま発症者になりたくない。綺麗な恰好で学校に行きたいのだと訴えた。


「自分だけ綺麗な制服着て徘徊するのって、他のみんなには悪いけど」


 何だか変な気の遣い方だなと、ススムは内心で苦笑する。


「わかったよ。あ、でも制服の着せ方とか……それに――」


 美比呂のお願いを了承しつつも、遂行には幾つかの問題があると言い淀むススムに、彼女はクスッと笑いながら言った。


「いいよ、裸見ても。あと、下着の着せ方も教えてあげるから」


「……こんな世の中じゃなかったら、超勝ち組みのリア充なのに」

「あははー」


 しかし、こんな世界でなければ、こうして彼女と知り合う事もなかっただろう。

 例え町中ですれ違う事があっても、名前も存在すらも知らない、視界に入る事さえない、互いに意識の外にある、ただの通行人同士に過ぎなかったのだ。


 一通りの服用レクチャーを終え、着替えを用意した美比呂はお風呂場に向かう。


「ヴヴヴ人になるところは見ないでね」

「大丈夫か? 大分ふらふらしてるぞ」


 かなり身体に変調をきたしているらしく、ススムはヨロヨロと足元がおぼつか無い美比呂を支えて、お風呂場まで誘導してやる。


「あ……りがとう……ススム……くん」


 お風呂場に入って扉を閉じた美比呂は、浴槽に倒れ込むように横になると、身に付けていた衣服を脱ぎ捨て、目を瞑って丸くなる。静かにその時を待った。



 時計の秒針の音以外は何も聞こえない、静寂に包まれた野々原家のリビングにて。ソファーに身を埋めてMAPチェックをしていたススムは、アプリを閉じてスマホの電源を落とす。

 あれから半日が経過した深夜。「ヴヴヴ……」という彼女の唸り声を聞いたススムは、お風呂場に向かった。


「美比呂ちゃん、入るよ?」

「ヴヴヴ……」


 お風呂場の扉を開けると、肌の色が変色して発症者となった美比呂が、ボンヤリとした表情で唸りながら浴槽の中に佇んでいた。足元には茶色と黄色の交じるゼリー状の物体。

 身体も流れ出た液体で汚れていたので、シャワーで綺麗に洗い流してやる。美比呂の家のお風呂は温水器を使っているタイプらしく、お湯が使えたのはラッキーだった。


 緑と青の斑だけど、肌理きめの細やかな肌。控えめな乳房は柔らかく、艶めかしい鎖骨や丸みを帯びた肩口。くびれた腰回り。処理済みらしい魅惑的な下腹部とその下など、ススムは純粋に綺麗だと思った。


 その後、彼女の部屋まで運んで服を着せる。二階までバスタオルを巻いた状態でお姫様抱っこして運んだのだが、とても軽かったのが印象的だった。


「はい片足あげてー、ほい反対の足ー」

「ヴヴヴ……」


 パンツを穿かせ、ブラジャーを装着させ、痣になったりしないようキチンと調整もしてから制服を着せ始める。


「これでよし、と……うん?」


 最後にブレザーの上着も着せて完成、と一息吐いたところで、制服の胸ポケットに紙が入っている事に気付いた。


「何だろう?」


 取り出してみると、小さく折りたたまれた手紙になっていた。表面に美比呂の文字で何か書かれている。


"最後のお願い(学校に着くまで読んじゃダメ)"


「ふむ……」


 とりあえず預かったススムは、美比呂を連れて野々原家を後にする。自転車に乗せるのは無理そうだったので、学校までお姫様抱っこで運ぶ事にした。


「首に紐付けて引っ張って行くのはアレだけど、これも結構凄い事してるよな」


 女子高生をお姫様抱っこして通りを歩く、ニット帽にマスクで顔を隠し、でかいバックパックを背負ったコート姿の男。

 客観的に考えて自分でも怪しい事この上無いわと、一人でツッコミなど入れておく。



 美比呂の通っていた学校に到着した時には陽も昇り、東の空が明るくなり始めていた。校庭には徘徊する生徒達の姿が見える。


「朝練か」


 美比呂を降ろしたススムは、ざっと周囲を見渡して考える。校庭に放すのは、雨とか降ったらずぶ濡れになりそうだ。


「校舎内にしよう」


 2-Aが美比呂のクラスだという事は、彼女の部屋の私物から確認済みであった。手を引いて教室まで誘導する。

 校舎の中は廊下も教室内も、発症した学生でいっぱいだった。一般民姿の人も交じっているが、どうやら教師ではなさそうだ。

 所々に崩れたバリケードの跡があり、寝床が並んでいたり、倉庫のように荷物が積まれた教室があった事から、ここも最初は避難所として機能していたのではないかとススムは推察する。

 美比呂からは何となく聞ける雰囲気ではなかったので詳しく聞かなかったが、初めて会った時に、彼女は学校から逃げて来たと言っていた。

 ゲームセンタービルのファーストフード店の階に見たように、避難所に発症者が出た事で崩壊したのかもしれない。


(それで、病院の方は受け入れる避難民から感染者の排除を徹底してるわけか……)


 美比呂の教室までやって来たところで、彼女の手を放す。


「あ、そう言えばあの手紙」


 小さく折りたたまれた手紙を取り出し、読んでみる。手紙には、少し震えた文字でこう書かれていた。



ススム君へ


 ちゅーしてもいいよ


       みひろ



「……なるほど、学校でキスとかいうシチュエーションか」


 ススムは苦笑すると、最後のお願いを遂行するべく美比呂の両肩にそっと手を乗せる。

 そうしてたくさんの生徒に囲まれた学校内で、見せつけるように抱き寄せた。囃し立てる声もない、黄色い悲鳴も上がらない。


 唇が触れるだけのキス。「ヴヴヴ……」という唸り声を紡ぐ美比呂の吐息は暖かく、ススムの心を締め付けた。


「じゃあね、美比呂ちゃん」


 クラスメイトに交じって、ゆらゆらと徘徊を始めた美比呂に別れの言葉を掛けたススムは、彼女に背を向け、教室を後にした。



 野々原家まで戻って来たススムは、停めておいた自転車に乗ろうとして、ふと立ち止まる。


「ん? 雨か?」


 サドルに落ちた水滴に気付いて空を見上げるも、そこには長閑に流れる雲と青空が広がっているばかり。あれ? と思ってもう一度サドルに視線を降ろし、水滴の出所に気付いて得心する


「ああ……ああ、そうか……そうだよな」


 改めて自転車にまたがり、瞳から湧き出る涙は何となく拭き取らずそのままに、ススムはこの町の病院を目指して走り出したのだった。

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